成田空港で、猪木は佐藤に頼んだ。
「本を買ってたんだ。
あとで金を払っておいてくれ。」
佐藤が支払いに行くと
「本代1000円借りました 猪木寛至」
と書かれた紙片を渡された。
これは「アントニオ猪木手作り1000円事件」として伝説となった。
猪木は大の文房具好きで、文房具店に入るとなかなか出てこない。
ある日、猪木が議員室に閉じこもったまま、いやに静かだったため、佐藤はそっと中をのぞいて見た。
すると猪木が小さなハサミで紙を小さく刻んで遊んでいた。
1990年、猪木は国会の会期中にイラクに旅立った。
届けを出していないため「無届け外遊」だった。
佐藤は猪木が帰国する前に関係各所に謝罪して回った。
猪木が帰国すると、形だけでもいいから謝罪してほしいと頼んだ。
すると猪木は着替えるために議員会館の議員室に入った。
すると中から「ガターン」とものすごい音がして、みてみると猪木が床に倒れていた。
「俺、具合が悪いから今日は家に帰る。」
「いい加減にして下さいよ。
子供じゃないんだから。」
結局、猪木は謝罪して回った。
「めんどくせえ!!」
佐藤久美子と共に、新間寿も、連日、ワイドショーに出演し、猪木のスキャンダルを暴露した。
1993年6月30日、
たちまち疑惑まみれになった猪木は記者会見を開き、暴露本や週刊誌に出た数多くのスキャンダルを完全否定した。
そしてマスコミに
「なぜちゃんと反論しないのですか?」
と聞かれると
「めんどくせえ!!」
の一言で終わらせた。
「ワールドプロレスリング」を放送するテレビ朝日は、アントニオ猪木の試合は放送しないことを決め、1995年1月4日に解禁となるまで1年間、テレビで猪木の試合が見られない状態が続いた。
アントニオ猪木のPKO
1995年、新間寿は、猪木の出馬する参議院選挙に合わせ告発本の出版を計画していたが、参議院選挙が早まったため、急遽出版時期を繰り上げて本の出版記者会見を開いた。
そして
「女性の方は耳をふさいでください。
アントニオ猪木のPKO。
それはパンパン来い来いオ○ンコやろう。」
と放送禁止用語を発言し、その模様はTBSで全国に生中継された。
落選
1995年7月に行われた第17回参議院議員選挙で、猪木は2期目を目指して再出馬したが、44.2%という低い投票率に加え、金銭スキャンダルのため根、54万票しか獲得出来ずに落選した。
江本孟紀は、猪木へ不信感から離党した。
スポーツ平和党は、江本孟紀副代表が離党し、猪木の実兄:猪木快守が党首に就任した。
前述の暴露によると、猪木快守は、選挙期間中に自民党からもらった選挙資金を持ってきたとき、持って帰り、ブラジルのアントン牧場に流用したという。
また自民党の他の代議士から陣中見舞いやプロレスのプロモーターから祝儀なども勝手に持ち出したという。
快守はブラジルから日本に来て、アントン・トレーディング、アントン・ハイセル、アントン管財、新日本プロレスと渡り歩いていた。
そのたび会社の金を流用して追い出されていた。
しかし弟であるアントニオ猪木、すなわち猪木寛至は「小さいころ、面倒を見てくれた」ということで大目に見ていた。
この後、スポーツ平和党は政治活動はなくなり、2007年3月には公式サイトを閉鎖し、そして政治団体解散届が総務大臣に提出された。
しかし猪木はチャレンジし続ける
1995年4月、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の平壌で行った「平和の祭典」で、猪木はリック・フレアーと対戦し勝利を収めた。
このイベントは延べ38万人を動員し一見成功したかに見えた。
しかし実はこれが原因で新日本プロレスは倒産寸前にまで陥ってしまった。
「平和の祭典」のきっかけは、北朝鮮側からの「2億5000万円の報酬を出すから(平和の祭典を)やってくれ」という打診だった。
新日本プロレスはこのイベントを引き受け、「2億5000万円入るなら」と開催までの費用はひとまず新日本プロレスが負担。
事前に米を送ったり機材を送ったりいろんな物資を北朝鮮に送った。
ところが「平和の祭典」が終わっても北朝鮮側は約束の金を払うどころかなしのつぶてだった。
最終的には猪木事務所と新日本プロレスの幹部が責任を取れというところまでいったが、これもウヤムヤになった。
その結果、新日本プロレスはその負債をまるまる抱えることになってしまった。
当時の坂口征二社長は億単位の赤字を埋めるために奔走した。
坂口は
「血の小便が出るような努力だった。」
という。
1995年10月9日、東京ドームで、新日本プロレスと高田延彦率いるUWFインターとの対抗戦が行われた。
このイベントの成功で新日本プロレスはようやく資金的に息をついたといわれ、これがなければ新日本プロレスは間違いなくつぶれていたという。
1996年、猪木は
「『ロッキー4』の世界を現実化させる。」
といって、勇利・アルバチャコフ(旧ソ連)、オルズベック・ナザロフ(旧ソ連)、崔鉄洙(北朝鮮)など、プロスポーツがない共産主義国の有望ボクシング選手を日本に呼び、親交の深い金平正紀率いる協栄ボクシングジムにあずけ、日本でプロデビューする道を拓いた。
(現在、猪木は薬師寺ボクシングジム後援会名誉会長として、薬師寺保栄を支援している。)
また、同時にソ連のアマチュアレスリングのトップ選手を新日本プロレスでプロデビューさせた。