ダウンタウンブギウギバンド
宇崎竜童と言えば、まずこのグループでしょう。
1973年レコードデビューし、白のツナギが印象的だったツッパリバンド。
でも、デビュー当時はごく普通のフォークバンドみたいなファッションだったのです。
「スモーキン・ブギ」から一変。リーゼントにサングラス。
これが歌とマッチして一躍スターダムに邁進していきます。
1970年代は、彼らにとって栄光の歴史となったのでした。
知らず知らずのうちに
1973年12月発売。彼らのレコードデビュー曲です。
詩はちょっと単調さを感じますが、バラード調のメロディがうまくリードしていて、なかなかいい歌だと思うのですが、当時はまったくと言えるほど売れませんでした。

目覚めの一服 食後の一服
スモーキン・ブギ
50万枚を売り上げた、1974年12月発売の大大大ブレイクのサードシングルです。
前2曲が鳴かず飛ばずだったのに、この歌がいきなり大ヒット。
しかも「ツッパリ」に大変身。つなぎファッションも一躍人気になり、流行しました。
でも、教育界からは大ヒンシュクを買ったのです。
「学生服のポケットにそっと隠すぅ」「授業をさぼって喫茶店で一服」
これはヒンシュクを買いますよね。教育ママゴンのお怒りの顔が目に浮かぶようです。
ダウンタウンブギウギバンド=非行の根源とまで言われましたが、そんな教育界の世論とは裏腹に、若者たちの絶大な人気を集めたのでした。

スモーキン’ブギ(ダウン・タウン・ブギウギ・バンド)/1974年 | あのころ博物館
アンタ、あの娘のなんなのさ!
港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ&カッコマン・ブギ

ギラギラのスモーキン・ブギから大転換の語りべソング。
1975年4月発売の4枚目のシングル。
当初は「カッコマンブギ」のB面で発売されました。ところがこれが大ヒット。
「アンタ、あの娘の何なのさ!」は一大ブームを巻き起こしました。
そしてこの歌の詩を担当したのが「阿木燿子」。
作詞家「阿木燿子」の誕生でもあり、竜童&燿子の二人三脚黄金時代の始まりでもあったのです。
宇崎竜童が、この詩を初めてみた時の感想を語っています。
宇崎竜童「阿木の詞で作曲に困ったのは“港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ”1曲だけ」 | アサ芸プラス
ひび割れた鏡の中に 裏切り者の顔が歪む
裏切り者の旅

ダウンタウンが本来目指していたブルーバンド、デビュー当時の原点に戻った曲です。
1976年3月発売の6枚目のシングル。
題名からはアウトロー的な内容の歌の印象を受けますが、じつは、男の哀愁を描いたラブソングなのです。
想い出さえ 誰にも言えずに
涙のシークレット・ラヴ

1976年7月リリース。
女性の悲恋をバラード調のメロディに乗せた、心にしみてくる名曲です。
実は、この歌によって、1人のトップアイドルがさらなる飛躍を遂げることになるのですが、それはまたちょっと後でご紹介しましょう。
女は今日の顔で泣く
サクセス&愛しのティナ

1977年3月リリース。A面はサクセス、B面に愛しのティナ。
両曲ともこの年の資生堂のCMとタイアップしました。
サクセスは夏まで、愛しのティナはその後入れ替わりで秋から。
CMのための歌の構成?歌に合わせたCM構成?と思えるほどのマッチングで、見事にヒットしたのでした。
涙は裏切るけど 優しさなら分かち合える
身も心も

1977年9月リリース。
7分以上あるとても長い歌なのですが、宇崎独特の胸に響くメロディと、阿木の男の恋心を描いた実にいい歌です。
都会は宝石散らした 欲望の街
欲望の街

1979年3月発売。ヒット映画「白昼の死角」の主題歌になりました。
ちょっとアウトロー的な男の、女に対する思いを、阿木燿子がハードボイルドに仕上げたカッコイイ詩です。これが、映画とベストマッチして、映画共々ヒットしました。
「白昼の死角」は1979年4月公開。夏木勲主演の上映時間2時間半の大作。
キャッチコピーは「狼は生きろ 豚は死ね」という、言葉を選ばない、ストレートなもので話題になりました。
山口百恵との出会い

山口百恵と宇崎竜童を引き寄せたのは、
ダウンタウンブギウギバンド時代の「涙のシークレット・ラヴ」でした。
横須賀ストーリー〜“百恵伝説”はここから始まった!16才の少女の人生を変えた歌〜|街の歌|TAP the POP
こうして生まれたのが、
「アイドル・山口百恵」の殻を破ることになった「横須賀ストーリー」。
大人の女の恋心を歌うことで、「歌手・山口百恵」への階段を登り始めたのでした。
「横須賀ストーリー」の後、山口百恵が引退するまでの20曲のシングルの内、12曲を阿木&宇崎コンビが手掛け、すべてオリコンチャートベスト10入りという快挙を成し遂げています。
その中でも、引退時に歌った「さよならの向う側」は、とても印象に残るとともに、多くの涙を誘った名曲でした。
最愛のパートナー 阿木燿子
1971年12月にお二人は結婚。
宇崎竜童さんもデビュー前で、その頃はこの先どうなるかわからなかったでしょうに、夫の才能を信じていたのでしょうね。大した女性です。
「阿木燿子」という女性は、男の哀愁を実に巧みに描く作詞家です。
詩に「愛してる」という言葉をあえて使わないようで、見当たらないのですが、「愛しい」という表現を好んでいるようですね。ロマンティストですねぇ。

つなぎにサングラスだった宇崎竜童さんも、今年で70歳。
健康に留意して、奥さんの阿木燿子さん共々、まだまだ頑張っていただきたいものです。