小山田圭吾(おやまだけいご)とは
小山田圭吾
1969年1月27日に東京で生まれた小山田圭吾は、1989年に、フリッパーズ・ギターのメンバーとしてデビュー。フリッパーズ・ギター解散後の1993年からは、ソロユニットCornelius(コーネリアス)として活動開始。国内外のアーティストとのコラボやや楽曲提供、リミックス、プロデュース、加えて世界各国でライブを行うなど、活動の幅は広く、世界的にも高い知名度を誇ります。また、2014年からは、高橋幸宏率いるMETAFIVEの一員としても活動しています。
小山田少年の音楽との出会い
テレビっ子だったと自負する小山田少年の音楽との出会いは、CMや音楽番組だった言います。当時は、テレビでの音楽番組の全盛期ということもあり、「ザ・ベストテン」をはじめ、「夜のヒットスタジオ」や「紅白歌のベストテン」などを、画面にかじりつくように観ていたそうです。
クイーン(QUEEN)
小学校の高学年になると、年上のいとこの影響からクイーン、キッス、ジャパンなどの洋楽も聴くように。音楽雑誌や貸しレコード屋に通うことで知識を深めていきました。
中学時代にも、輸入盤屋を自転車で回る日々を過ごし、テレビでも「ベストヒットUSA」やテレビ神奈川の洋楽番組など身近に洋楽を耳にする環境の中、音楽にのめり込んでいったそうです。
小沢健二とともに2人の才能が凝縮「フリッパーズ・ギター」
フリッパーズ・ギター
元々は、小山田圭吾(ボーカル、ギター)と井上由紀子(キーボード)の2人で結成したバンド「Pee Wee 60's」が原型になります。後に「ロリポップ・ソニック」へ改名し引き続きライブハウスなどで活動していましたが、小沢健二などが加わり5人編成となり、1989年に再度「フリッパーズ・ギター」に改名。全曲英詩のアルバム『スリー・チェアーズ・フォーアワ・サイド~海へ行くつもりじゃなかった』でメジャーデビューしました。
デビュー直後よりメンバー内で音楽性の違いが露呈し、3人が脱退。1989年11月より小山田と小沢の2人組に。翌年6月にセカンドアルバム『カメラ・トーク』をリリース。1991年7月には『ヘッド博士の世界塔』をリリースするものの、同年10月に突然の解散を表明。すでにチケット発売が開始されていたライブツアーの直前というタイミングであったため、世間から少なからず批判を受けるとともに、当時の音楽ファンを大いに驚かせました。
1stアルバム『Three Cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった』
Three Cheers for our side ~海へ行くつもりじゃなかった
2ndアルバム『カメラ・トーク』
全曲英詩の前作に対し、2作目の本作ではインスト曲を除いて全曲日本語詞に。小沢健二と小山田圭吾の2人組となり、お互いの才能が上手くミックスした作品になりました。
カメラ・トーク