80年代に活躍したシンガー「大沢誉志幸」

1957年10月3日に東京都杉並区に生まれた「大沢誉志幸」。中学生のころから兄の影響でボブ・ディランやオーティス・レディングなどを聴いて育ちました。のちにR&Bに目覚め、駒澤大学在学中にバンド「クラウディ・スカイ」を結成。卒業後の1981年に同バンドのボーカル&ギターでデビュー。シングルを2枚、アルバムを1枚リリースしたものの、ヒット曲には恵まれず、同年末には解散してしまいました。
翌年、単身渡米。1年ほどニューヨークで過ごし、数多くのアーティストへのプロデュースや楽曲提供を行いました。帰国後の83年にシングル「彼女には判らない」でソロデビューを飾ります。
84年にリリースされた代表曲「そして僕は途方に暮れる」

そして僕は途方に暮れる
「そして僕は途方に暮れる」は、1983年にソロ・デビューした翌年、1984年9月21日EPICソニーから5枚目のシングルレコードとしてリリースされました。

CONFUSION
同じく1984年にリリースされたアルバム『CONFUSION』からは2曲目のシングルカット曲でした。大沢本人の話によれば、本来、この曲は鈴木雅之に提供するために作られたものだったといいます。もしそうであれば、彼の最大のヒット曲が幻になっていたかもしれません。
当時、日清カップヌードルのCM曲に抜擢され、いくつかのパターンのCMのバックにこの曲のサビの部分が流れ話題になりました。今でも曲を聴くとCMの映像が浮かぶという方も少なくないのではないでしょうか。
よき相棒の詩人・作詞家「銀色夏生」

ソロになった大沢誉志幸をいかに売り出していくかとレコード会社で模索している中、当時、20代前半の若き詩人「銀色夏生」も、その輪の中にいました。大沢の哀愁のあるメロディと銀色の失恋の切ない喪失感を伴う独特の世界観の詩という二人の才能が絶妙のタイミングで開花し、前述の「そして僕は途方に暮れる」も生まれました。
その後も、作詞・銀色夏生、作曲・大沢誉志幸、というダッグを組み、多くの楽曲を世に送り出しました。
1986年にシングルレコードとしてリリースされた「クロール」も作詞・銀色夏生×作曲・大沢誉志幸の懐かしい1曲。当時は、アサヒ飲料「三ツ矢サイダー」のCMに起用され、CMには富田靖子が出演していました。
ざまざまなアーティストに楽曲を提供
ソロデビューの前から、当時の人気歌手であった沢田研二や山下久美子、同じく人気アイドルの吉川晃司や中森明菜らへ曲を書き、メロディーメーカーの才能を存分に発揮していた大沢。
沢田研二 「お前にチェックイン」「晴れのちBlueBoy」
山下久美子 「こっちをお向きよソフィア」、「時代遅れの恋心」
吉川晃司 「ラ・ヴィアン・ローズ」、「NONOサーキュレーション」
中森明菜 「1/2の神話」
鈴木雅之 「ガラス越しに消えた夏」「Midnight Travellar」
ビートたけし 「哀しい気分でジョーク」「BIGな気分で唄わせろ」
小泉今日子 「永遠の友達」、「純愛」
など、他にもさまざまなアーティストに楽曲を提供しています。

鈴木雅之
1986年にリリースされた鈴木雅之のソロ・デビュー作になります。「そして僕は途方に暮れる」同様、日清カップヌードルのCM曲になりました。1994年には大沢自身もセルフカバーしています。

吉川晃司
吉川晃司 - TOWER RECORDS ONLINE
1984年にリリースされた、吉川晃司の3枚目のシングル。こちらも大沢が後にセルフカバーしており、大沢自身もライブのMCやラジオ番組などでお気に入りの曲だと公言しています。
カバーされることで歌い継がれる「そして僕は途方に暮れる」
2016年も引き続き歌い継がれています

「続こううたう」
2016年に入っても、柴咲コウのカバーアルバム「続こううたう」の1曲目に収録されたり、93年にデビューしたシンガーソングライター古内東子のアルバムの中では、初の「そして僕は途方に暮れる」デュエットバージョンが収録されるなど、依然、後世に歌い継がれる曲として人気は続いています。
他にも数々のアーティストにカバーされています

ハナレグミ
2003年にリリースされた、カバーコンピレーションアルバム『DISCOVER THE SONGS 〜J-STANDARD〜』に収録されています。アコースティックでゆったりした曲調になっているカバーです。永積タカシの優しい歌声が哀愁を誘います。

福山雅治
2002年にリリースされた福山雅治のカバーアルバム「福山エンヂニヤリング」サウンドトラック The Golden Oldiesに収録されています。彼のカバーで新たにこの曲を知ったという方もいたかもしれません。
まとめ

いかがでしたでしょうか。本来はR&Bの音楽をやりたかった中、当時「そして僕は途方に暮れる」があまりにも大ヒットし、イメージがつき過ぎてしまったため、その後の活動がしづらく、この曲がわずらわしくなった時期もあるといいます。しかし、多くのアーティストに歌い継がれていくのを見ているうちに、やはり、自分の一番大切な曲と思えるようになったそうです。
後に日本でもメジャーとなるR&Bの先がけともいえる彼の音楽を改めて聴いてみるのもよいのではないでしょうか。
大澤誉志幸 official website | ohsawa yoshiyuki official website