1970~80年代、街にはニチイがありました
皆さんは「ニチイ」と「サティ」だとどちらがなじみ深いですか?筆者は間違いなく「ニチイ」の世代でございます(笑
西日本を発祥として全国に広く展開したニチイは、後にサティ→イオンやビブレに名を変えていきました。
サティやジャスコなどが後にイオンとなるわけですが、そのサティの前身がニチイということで、ブランドの移り変わりは早いなと感じてしまいます。

西日本を中心にに広く全国展開したニチイ

こちらは79年のロゴ変更以降のニチイ
閉店間際に流れたこの曲、憶えてませんか?
ニチイもそうですが、かつてのスーパーマーケットは現代のように大型化してませんでしたよね。
日常の生活感が溢れているといいますか、駄菓子屋や商店街がある一方でニチイのようなスーパーがある。
それらが併存している時代だったと感じます。

子供がドキドキするような催事もありました
1963年のニチイ発祥から1979年のロゴ変更まで
元々は衣料品店としてのスタート
1963年11月、大阪の天神橋筋商店街の衣料品店「セルフハトヤ」と千林商店街の衣料品店「赤のれん」中心にした4社の新設合併で(旧)株式会社ニチイを設立。
1970年9月に、内外商事株式会社が(旧)株式会社ニチイを合併して新たに株式会社ニチイに商号変更。
1979年10月、ロゴマークを変更し、10月23日開業のニチイ徳力店より店舗看板などに使用開始。
主に70年代、全国に次々とニチイが登場していったのでした。

1979年9月までのロゴ

1979年10月からのロゴ
全国にニチイのCMが流れていました
なかでもソフィー・マルソーを起用したCMが話題に
80~90年代は、ニチイからサティ、ビブレへ
1982年3月、ビブレ1号店天神ビブレを福岡市に開業(旧ニチイ天神店をリニューアル)。
1984年、サティ1号店の「学園前サティ」を奈良市に開業。
1988年、マイカル宣言。
1989年9月、マイカル本牧がオープン、大規模店舗の趨りに。
1990年、ニチイをサティ、ビブレへと転換開始。
1996年、商号を株式会社マイカルに変更。

サティ

ビブレ
マイカル - Wikipedia
業績好調だったワーナー・マイカル・シネマズ
1993年、日本初のシネコン「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」がオープン

ワーナー・マイカル・シネマズ海老名
長崎屋といえば”サン サン サンバード♪長崎屋~のサンバード♪♪”手軽な衣料品が揃っていました。 - Middle Edge(ミドルエッジ)