【20世紀の偉大なシンガー(男性編)】清志郎さん、甲元さんからB.ディラン、J.レノンなど14人

【20世紀の偉大なシンガー(男性編)】清志郎さん、甲元さんからB.ディラン、J.レノンなど14人

 ローリングストーン誌の「100人の偉大なシンガーたち」を参考に、国内外のシンガー、今回は男性シンガーに焦点を当ててみました。洋楽はローリングストーン誌内からですが、邦楽は…悩みに悩んで選びました。おそらく、また動画だらけになると思います…ご了承ください。


 「20世紀の偉大な男性シンガー」です。
 参照にさせていただくのは、洋楽の場合「ローリングストーン」誌です。この場合、女性、そして、サム・クックやオーティス・レディングのように1960年代に亡くなっている方も除かせていただきます。
 70年代~90年代に主に活躍していた男性シンガー(順は不問)です。
 国内のシンガーさんは、悩みましたが…今回は特徴があるシンガーさんを選んでみました。
 では、洋楽からはじめます。

Aretha Franklin | 100 Greatest Singers of All Time | Rolling Stone

レイ・チャールズ(Ray Charles)

1930年9月23日生まれ、2004年6月10日逝去。
盲目というハンディを背負いながらも、R&Bやジャズ、ゴスペル、黒人霊歌などのブラックミュージックを、黒人である自らのルーツを遡って行くような音楽活動の中で、自分の魂を歌うという「ソウルミュージック」の形を自らで実証し、「ソウルの神様」と呼ばれたカリスマとなった。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第2位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第10位。
「Q誌の選ぶ歴代の偉大な100人のシンガー」において第24位。
(Wikipedia)

レイ・チャールズ

 ジョージア缶コーヒーなどCMでも有名な「我が心のジョージア」でした。そして、レイ・チャールズさん、もう一つこれまた有名な、日本で生まれたヒット曲も歌っていらっしゃいます。サザンオールスターズの「いとしのエリー」です。
 実は、サザンの桑田さんもこの「20世紀の偉大な~」の中へ…と思っていますが、YouTube動画で曲がない場合が多く、ここはレイさんの「エリー」をぜひ!

エルヴィス・プレスリー(ELVIS PRESLEY)

本名、Elvis Aron Presley。1935年1月8日生まれ。ミシシッピー州イースト・テュペロ出身。
1977年8月16日午後3時30分(テネシー州メンフィス)享年42歳7ヶ月8日。
1954年「ザッツ・オール・ライト」でメンフィスのサン・レコードからデビュー。56年に移籍したRCAからのファースト・シングル「ハートブレイク・ホテル」が初の全米No.1となり、キングの歴史が始まる。当時最も新しい媒体、テレビを利用して全米にエルヴィス旋風を巻き起こした50年代、映画出演が中心となった60年代、そして、ライヴに没頭した70年代と各年代を通して最高のエンタテイナーとして23年間に渡りスーパースターの座に君臨。18曲のビルボードNo. 1シングルを誇り、50枚のアルバムをTOP40に送り込んだ不世出のアーティスト。今までに売り上げたレコード枚数は推定30億枚と言われている。
(Sony Music Entertainment )

エルヴィス・プレスリー

 エルヴィス・プレスリーのなんと1950年代の「ハウンド・ドッグ」でした。これも有名な歌ですね!
 そういえば、原題のポップ・スターであるマイリー・サイラスが、トゥワークを最初にやった人としてエルヴィスの名前をあげていましたね! 言われてみたら、そうかもな…とも思えますね!

ジョン・レノン(John Lennon)

ジョン・ウィンストン・オノ・レノン (John Winston Ono Lennon, MBE、1940年10月9日 - 1980年12月8日) は、イギリスのミュージシャン。ロックバンドたるザ・ビートルズのメンバー。ヴォーカル・ギター・作詞作曲を主に担当した。身長178cm。
出生名はジョン・ウィンストン・レノン (John Winston Lennon)。オノ・ヨーコとの結婚に際しジョン・ウィンストン・オノ・レノンと改名。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位。同誌の「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第38位、「歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第55位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第5位。
ビートルズとしても、またソロシンガーとしても音楽界に多大な功績を残し、死後も絶大な影響を与え続けている。
(Wikipedia)

ジョン・レノン

 ジョン・レノンもビートルズ時代などをあわせると、とてもたくさんの名曲があってどれがいいのか迷いますね…。
 「イマジン」と、そしてこれは60年代のライヴで、ジョン・レノンのMCつきだったので「Help!」を…!
 これもカバーも多いですね!

マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)

マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye、1939年4月2日 - 1984年4月1日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン。
1971年1月、シングル「ホワッツ・ゴーイン・オン」を発表。この曲の成功を受けて、同年5月にアルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』を発表する。
音楽以上に人々に衝撃を与えたのは、このアルバムが、ベトナム戦争や公害、貧困といった社会問題を取り上げた歌詞と、それに対する苦悩を赤裸々に表現したマーヴィンの歌唱であった。
当時、シングル盤が中心であった黒人音楽の世界に、一つのテーマ、特に社会情勢などを元にしたコンセプト・アルバムを制作することは画期的なことであり、またこのアルバムで、内容に対して消極的になっていた会社に対して、マーヴィン自身がセルフ・プロデュースという制作体制で望んだことも大きな注目を集めた。
自分の感じたままのことを干渉されずに作品にまとめ上げるというこのセルフ・プロデュースの姿勢は、同世代に活躍した黒人ミュージシャンに大きな影響を与え、マーヴィンの行動に触発されたダニー・ハサウェイやスティーヴィー・ワンダー、カーティス・メイフィールドなどのアーティストが、より自分の才能をいかしたより個人的世界を反映した作家性の高い、意欲的で充実した作品を多く生み出すことになり、「ニューソウル」という新しい音楽を確立することとなった。また、この影響はベイビーフェイスなどの次世代の黒人アーティストにも受け継がれている。(Wikipedia)

マーヴィン・ゲイ

 マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイング・オン」もこれも、様々なアーティストがカバーし、歌い継がれている名曲ですね! 個人的に大好きな曲です。
 またマーヴィン・ゲイは彼のお父さんに銃で撃たれて亡くなる…という悲劇もありました。
 偉大なアーティストを奪ってしまう銃が、好きになれません…。

ボブ・ディラン(Bob Dylan)

ボブ・ディラン(英語: Bob Dylan、1941年5月24日 - )は、アメリカのミュージシャン。出生名はロバート・アレン・ジマーマン(Robert Allen Zimmerman)だが、後に自ら法律上の本名もボブ・ディランに改名している。
「風に吹かれて」「時代は変る」「ミスター・タンブリン・マン」「ライク・ア・ローリング・ストーン」「見張塔からずっと」「天国への扉」他多数の楽曲により、1962年のレコードデビュー以来半世紀以上にわたり多大なる影響を人々に与えてきた。現在でも、「ネヴァー・エンディング・ツアー」と呼ばれる年間100公演ほどのライブ活動を中心にして活躍している。
グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている。また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章している。そのほか、2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を、2016年に歌手としては初めてのノーベル文学賞を受賞した。(Wikipedia)

ボブ・ディラン

 2016年にはノーベル文学賞を受賞したボブ・ディランです。ミュージシャンでノーベル文学賞…で、話題沸騰でした。賛否両論だったわけですが、当のディラン氏には連絡がつかない状態(2016年10月現在)というので、ご本人がどう思われているのか…? それも歌にしてほしいな…なんて思ってしまいました。

「ボブ・ディラン氏は無礼で傲慢」ノーベル委員長が苦言:朝日新聞デジタル

スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)

スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder, 出生名: Stevland Hardaway Judkins, 戸籍名: Stevland Hardaway Morris, 1950年5月13日 - )は、アメリカのミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。身長184cm。歌のほか、様々な楽器を演奏するマルチ・インストゥルメンタリストであり、11歳の時にモータウンのTamlaレーベルと契約して以来、現在までモータウン一筋に活動する。30曲以上のU.S.トップ10ヒットを放ち、計22部門でグラミー賞を受賞、最も受賞回数の多い男性ソロ・シンガーである。
ステージでは主にピアノやフェンダー・ローズ、クラビネットなどのキーボードをプレイしながら歌うことが多いが、他にもドラム、ハーモニカ、シンセベースなどもプレイするマルチプレイヤーとして有名。
彼の非凡な音楽センスは、物心つく前から目が見えない代わりに神が与えたと称される。
様々なジャンルを違和感無く自身の音楽に消化してしまうことから、異ジャンルのミュージシャンから尊敬の眼差しを受けている。また、視覚障害や音楽的素養などの共通点があることから、しばしばレイ・チャールズと比較される。(Wikipedia)

スティーヴィー・ワンダー

 スティヴィー・ワンダーも多作で名曲も多数、そして他のアーティストとのコラボも多い方です。
 この「迷信」も元はギタリストのジェフ・ベックのために書かれた曲だったようです。そのためか、ギタリストでこの曲をカバーされる方も多いですね!

ジェームス・ブラウン(James Brown)

ジェイムズ・ジョセフ・ブラウン・ジュニア(James Joseph Brown, Jr., 1933年5月3日 - 2006年12月25日)は、アメリカ合衆国のソウルミュージックシンガー・音楽プロデューサー・エンターテイナー。通称JB。
ファンクの帝王と呼ばれ、 The Hardest Working Man in Show Business(ショウビジネス界一番の働き者)と称される。シャウトを用いたヴォーカルと、斬新なファンク・サウンドが特徴である。
父はアパッチ族インディアンで、母はアフリカ系黒人アメリカ人とアジア人の系統である。
「ナンバーワン・ソウル・ブラザー」「ミスター・ダイナマイト」「ファンキー・プレジデント」など、いくつものニック・ネイムを持っていた。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第10位。「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第7位。「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第37位。(Wikipedia)

ジェームス・ブラウン

 日本では「ゲロッパ」でおなじみのJBですね!
 HipHopもまだない時代に、メロディーでなくリズムで押し切る音楽をつくった、偉大です!
 大好きです!
 では、もう一曲「リヴィング・イン・アメリカ」。

ポール・マッカートニー(Paul McCartney)

ジェイムズ・ポール・マッカートニー(Sir James Paul McCartney, MBE, Hon RAM, FRCM、1942年6月18日 - )は、イギリスのミュージシャン。シンガーソングライター.世界で最も有名なマルチプレイヤーの一人である。 ファーストネームはジェイムズだが、父親も同じファーストネームのためかミドルネームたるポールを主に用いている。 
『ギネス世界記録』に「ポピュラー音楽史上最も成功した作曲家」として認定されている。
1960年代にロックバンドたるザ・ビートルズ在籍時にジョン・レノンなどと共に数多くの楽曲を作詞作曲しメインボーカルを務めた(レノン=マッカートニーを参照)。ビートルズ解散後はソロ歌手またはウイングス(ポール・マッカートニー&ウイングス)のメンバーとして活動。左利き。(Wikipedia)

ポール・マッカートニー

 最近では、リアーナ、カニエ・ウエストとも共演したポール・マッカートニーです。
 先のジョン・レノンと同じくビートルズのメンバーであり、これまた名作を多くつくっているリヴィング・レジェンド(生きてるけど「伝説」の人)ですね!
 若い頃は、音楽(バンド)仲間と「ポール派」か「レノン派」か…なんて言い合ったりしていました。私個人はそれを訊かれると困ったのですが、一応「ポール派」でした(あまり意味のない分け方なので、きにしないでくださいね!)。
 音楽もこれも悩んで…「ヘイ・ジュード」にしました。

リトル・リチャード(Little Richard)

リトル・リチャード(Little Richard、1932年12月5日 - )は、アメリカ合衆国の歌手。
ロックンロールの創始者の一人。本名:リチャード・ウェイン・ペニマン(Richard Wayne Penniman)。
ジョージア州メイコンのアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれる。同性愛者であるため、実の父親に疎んじられて白人の家庭へ養子に出される。
皿洗いの仕事をしながら歌い続け、1951年から1954年にかけて、友人ジョニー・オーティスの推薦でピーコック・レコーズから数枚のシングルを出したがほとんど売れなかった。粘り強くデモテープをレコード会社に送り続け、1955年、スペシャルティ・レコーズからデビュー。
「トゥッティ・フルッティ (Tutti Frutti)」、「のっぽのサリー (Long Tall Sally)」、「ルシール (Lucille)」、「リップ・イット・アップ (Rip It Up)」、「ジェニ・ジェニ (Jenny, Jenny)」、「グッド・ゴリー・ミス・モリー (Good Golly, Miss Molly)」といったヒットを飛ばす。エネルギッシュな歌唱法で、草創期のロックに決定的な影響を与えた。(Wikipedia)

リトル・リチャード

 ロックン・ロールの創始者の一人、リトル・リチャードでした。
 今見ると、新鮮でかっこいいですね!
 なんだか「バック・トゥ・ザ・フューチャー」の世界に紛れ込んだような気持ちになります。

アル・グリーン(Al Green)

アル・グリーン(Al Green、1946年4月13日 - )は、アメリカ合衆国アーカンソー州出身の歌手。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第14位。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」において第66位。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第41位。
子供のころは家族でザ・グリーン・ブラザーズというグループを作り、ゴスペルを歌っていた。
高校時代もアル・グリーン&クリエイションズというグループで活動していた。
1969年、ハイ・レコードのプロデューサー、ウィリー・ミッチェルと出会い、1970年のアルバム"Al Green Gets Next To You"と翌年の"Let's Stay Together"がヒット(タイトルトラックは全米シングルチャートで1位を獲得)、一躍スターとなる。(Wikipedia)

アル・グリーン

 アル・グリーンと言えば「レッツ・ステイ・トゥゲザー」です!
 「♪良い時も、悪い時も、幸せな時も、幸せでない時でも、一緒にいよう」
 なんて、ロマンティックです。
 結婚式にぴったりの歌ですよ!

ロバート・プラント(Robert Plant)※Led Zeppelin(レッド・ツッペリン)

ロバート・アンソニー・プラント(Robert Anthony Plant CBE, 1948年8月20日 - )は、イギリスのミュージシャン。ロックバンド、レッド・ツェッペリンのボーカリストとして特に有名である。ニックネームは「パーシー」。身長185cm。
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第15位[1]、イギリスの音楽雑誌「Q誌の選ぶ歴代の偉大な100人のシンガー」において第8位。
幼少の頃はアメリカのフォーク・ミュージックに夢中だったが、10代前半の頃、父親に連れて行かれたクラブで白人のブルース・マンが歌う姿に惹かれ、自らもブルース・バンドを組み演奏するようになる。プラントは「髭も伸びないうちからハーモニカを吹いては、マディ・ウォーターズの古い歌ばかり歌っていた」と当時を振り返っている。
16歳で家を出ると、いろんなバンドを渡り歩くミュージシャン生活に身を投じる。(Wikipedia)

ロバート・プラント

 ツェッペリンと言えば…この曲を…!
 最後の…
「And if you listen very hard(君が耳をすませてよくその音を聴くと)
The tune will come to you at last(ついには、それは君のところへやってくるだろう)
When all are one and one is all(全てが一つ、一つが全てとなる時)
To be a rock and not to roll」(それは、決して転がらない(不動の)岩となるんだ)

 「Rock and roll」でなくて「Rock and NOT to roll」というところが、何か凄み…!
 この曲は謎めいているのですが、ロバート・プラントはこの曲の歌詞について言及するのにうんざりだそうです。でも、この歌詞をつくった時は椅子から転げ落ちるほど自分でも驚いた…と聞いたことがあります。名曲です。

■この後、ミック・ジャガー、フレディ・マーキュリー、ボブ・マーリー、スモーキー・ロビンソンと続きますが、15位まで来ましたので、以降は日本の偉大な男性シンガーたちに行きます。

忌野清志郎 ※RCサクセション

忌野 清志郎(いまわの きよしろう、1951年4月2日 - 2009年5月2日)は、日本のロックミュージシャン。本名、栗原 清志(くりはら きよし)。既婚。
RCサクセションを筆頭に、忌野清志郎 & 2・3'S、忌野清志郎 Little Screaming Revue、ラフィータフィーなどのバンドを率い、ソウル・ブルースを下地にしたロックサウンドを展開。RCサクセションの「KING OF LIVE」からの流れで、KING OF ROCKの異称を取った。
アニメ監督の西久保瑞穂は従弟に当たる。(Wikipedia)

忌野清志郎

 忌野清志郎さんです。大ファンだからということもありますが、何よりも、とても個性的なメロディー・ライン、歌い方、声…という意味でも、偉大なる日本のロックシンガーだと思います。
 お亡くなりになられた時は身内が亡くなったかのように、落ち込みました…。
 

桑田佳祐 ※サザンオールスターズ

桑田 佳祐(くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、日本の男性ミュージシャン、慈善活動家。
神奈川県茅ヶ崎市出身。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はSPEEDSTAR RECORDS内のタイシタレーベル。鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。愛称は、ケイちゃん、すけちゃん、桑っちょなどである。
シンガーソングライターであり、またロックバンド・サザンオールスターズのリーダーで、楽曲の作詞・作曲・ボーカル・ギターを担当している。
妻は同バンドのメンバーの原由子。
青山学院大学在学中よりバンド活動を行いバンド名の変更とメンバーチェンジを繰り返した後、サザンオールスターズとしてデビューした。 1987年のソロ活動開始以降、サザンとソロ、それぞれの活動を数年毎のローテーションで行っている。
1982年に、サザンのキーボーディスト・原由子と結婚し、これまでに2男をもうける。長男はインディーズバンド・READ ALOUDのボーカル、桑田祐宜。(Wikipedia)

桑田佳祐

 桑田さんももちろん!
 バラードも良い曲が多いですが、桑田さんの特徴は声も良いのもありますが、声のパーカッションとでも言いたくなるような、リズムにうまく日本語の歌詞をあわせるのがとても、天才的にうまい! と思います。
 HipHopラッパーでないのですが、桑田さんはきっとラップもうまいのでは…? と思うほどです。
 動画の方ですが、懐かしい曲を…と思いましたがなかったので、最近の歌を…!

甲本ヒロト ※ブルーハーツ

甲本 ヒロト(こうもと ひろと、本名:甲本 浩人、1963年3月17日 - )は、日本のミュージシャン。身長174cm。既婚。俳優の甲本雅裕は実弟。
ラウンド・アバウト、ザ・コーツ、THE BLUE HEARTS、ヒューストンズ、THE HIGH-LOWSを経て、現在はザ・クロマニヨンズのボーカリストを務める。
中学生時代、セックス・ピストルズに衝撃を受け、「中学を卒業したら高校へは行かずに、上京してロックンローラーになりたい」と親に言うも、反対される。
シド・ヴィシャスの影響で元々はベーシストに憧れていたが、「誰にでも出来る」という理由でボーカリストになった。高校3年生の夏休みに、ボーカルが抜けた友人のハードロックバンド「ラウンド・アバウト」に誘われて加入。これが甲本のバンド初体験だった。
ブルーハーツ初期は、荒削りな歌声だったが、『BUST WASTE HIP』以降は歌い方が変わっている。曲によっては、ギターや10穴ハーモニカ(愛用は、H0HNER社製のSpecial 20)の演奏もする。ハーモニカを始めるきっかけは、ドクター・フィールグッドのレコードを聴いて、自分でも出来そうな気がしたからだという。
パンクやロックだけでなくブルースも好きで、インタビューや歌詞に、マディ・ウォーターズ、サニー・ボーイ・ウィリアムスン等のブルースシンガーの名前がよく出てくる。

甲本ヒロト

 甲元さんです!
 「♪ドブネズミみたいに~」を最初に聴いた時は、パンクぽくておもしろい発想で、でも、町田町蔵(今は「康」さんで作家ですが)さんにも感じたのですが、パンクを歌う方、歌がうまいと思いませんか?
 歌詞もいいし、声も歌もいいので、偉大です!
 

ちょっとしたまとめ

 日本からのシンガーさんが三人だけなのですが、本当は山下達郎さんや佐野元春さんなども…と思っていたのですが、自分があまり詳しくないことと動画が探せなかったことで、またの機会に…!
 なんとなく、YouTubeで日本の方の動画を探している時に、昔、ニューミュージック系のアーティストの方はテレビに出ない…ということがありましたよね? そんなことを思い出したりしていました。

 では、かなり駆け足で作成してみました。
 「20世紀の偉大なシンガー(男性編)」でした。
 ここまで読んでみてくださってありがとうございます。

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