オカマキックボクサーとして活躍したパリンヤー選手の現在

オカマキックボクサーとして活躍したパリンヤー選手の現在

『オカマのキックボクサー』として注目され、1998年には来日したパリンヤー・ジャルーンポン。 しなやかでスピードのあるハイキックを武器にムエタイの聖地ルンピニースタジアムでも活躍し、日本では女子プロレスラー井上京子と異種格闘技戦も行った。 そんな彼(彼女?)の経歴と現在について紹介。


90年代後半に注目された『オカマキックボクサー』パリンヤー

オカマ(ニューハーフ)のムエタイ選手として本国タイのムエタイや、日本でもシュートボクシングや異種格闘技の試合を行い、その容姿と圧倒的な強さで話題になったパリンヤー選手。
(オカマボクサーと呼ばれることもあったが、ボクシング選手ではなくムエタイ出身のキックボクサーである。)

「話題作りのために女装している」と批判されることもあった彼(彼女?)はどんな選手だったのか?
その経歴と現在の活動について紹介していく。

パリンヤー・ジャルーンポン(Parinya Charoenphol)
愛称:ノン・トゥム〈Nong Toom〉
1981年6月9日生まれ
タイ王国の首都バンコク出身。
兄2人、姉1人、弟1人の5人兄弟の4番目。

パリンヤー・ジャルーンポン

貧しい家族を助けるためにムエタイデビュー

幼い頃は、両親の仕事の都合でタイ国内を転々とする。
子供の頃から性同一性障害に悩んでおり、自分を男の身体に生まれてしまった女だと信じていた。

女の子っぽいパリンヤーはいじめられっ子だったが、「自分を守れるよう強くなれ」と母に言われて13歳からムエタイを始めた。
14歳の時にたまたま出場したお祭りのムエタイ大会で勝ち、賞金を手にしたパリンヤーは貧しい家族を助けるためにチェンマイのジムに入門する。
1996年、15歳でムエタイデビュー。
スピードのあるハイキックを得意技とし、圧倒的な強さで連勝を重ねる。
次第に女であることを抑えきれなくなっていき、化粧をしてリングに上がるようになった。

強さと女性らしい行動で一躍有名に

16歳でムエタイの聖地、ルンピニー・スタジアムに初登場し勝利。
強さだけでなく、独特の踊りや試合後のキスなど『オカマ』ならではのパフォーマンスによって一気に脚光を浴びる。

ムエタイでは師匠やムエタイの神様への感謝を示すワイクルーという試合前の踊りがある。
パリンヤーはこの踊りで化粧を塗る仕草や鏡を見る仕草を取り入れ、「オカマの踊り」として注目を浴びた。

試合前に独特な踊りを見せるパリンヤー

試合に勝利すると敗れた相手にキスをした。
パリンヤー曰く、相手に対する謝罪と嫌ってる訳では無いよという気持ちを表現しているとのこと。
敗れた選手からは「屈辱のキス」と呼ばれていた。

試合後には対戦相手にキス

馬鹿にされ、見世物的な扱いを受けることも多かったパリンヤーは、ムエタイへの興味が薄れて女性ホルモンを飲み始める。

胸が膨らみはじめ体つきが女性らしく変化していくパリンヤーはそれから試合に負け続けるようになる。
この頃、パリンヤーの噂を聞きつけ日本の団体が招聘したのだった。

1998年4月シュートボクシングの試合に出場するため初来日。
トップクラスの日本人選手に勝利、互角の戦いを見せた。

女子プロレスラー井上京子との異種格闘技戦

1998年11月、女子プロレスラー井上京子と異種格闘技戦を行う。
体重が60Kg程度のパリンヤーに対して、井上京子の体重は約100Kg。
体格的には井上が有利であったが、ボクシンググローブを付けて戦うルールはパリンヤーが有利であった。

パリンヤーは1999年6月にも来日。
シュートボクシング・シーガル級チャンピオン土井広之と対戦したが判定負けであった.。

1999年にパリンヤーは性転換を受け、引退。

見世物的な扱いに耐えながら戦い続けたパリンヤーには、十分なお金が貯まっていた。
念願の性転換手術を受けたパリンヤーは、心だけでなく体も女性になった。

ニューハーフに比較的寛容なタイの社会だが、ムエタイの殿堂ルンピニー・スタジアムとラジャダムナン・スタジアムは権威ある施設のため、女性は試合はおろかリングに触れる事もできない。
性転換手術を受け女性になるということは、もう二度とこれらのリングに上がれなくなることを意味している。

16歳の若さでムエタイの聖地ルンピニー・スタジアムで勝利を挙げた天才少年パリンヤーは、ムエタイ選手として引退すること宣言した。

女優・モデルとして活動中のパリンヤー

ムエタイの引退後は女優・モデルとして活動。
性転換したことについて、「将来どんなことが起こったとしてもすべて自分の責任、何があっても覚悟するという決意で受けたものだから後悔していない」と語っている。

「妹」として姉と暮らし、女優・モデルと兼業して女性にムエタイを教えている。

現在のパリンヤー・ジャルーンポン

パリンヤー容姿の変遷

女性キックボクサーとして試合も。

ときおり、女性キックボクサーとして女性相手の試合も行っており、日本でも2戦している。
女優・モデルとして活動しているせいか、男性時代と比較して顔への打撃を極端に避けるようになった…

2003年にはパリンヤーの半生が映画化

「オカマキックボクサー」として大きな話題となった実在のムエタイ選手パリンヤー・ジャルーンポンの半生を映画化した実録ドラマ『ビューティフルボーイ(Beautiful Boxer)』が2003年に公開。

幼い頃から自分を男の身体に生まれてしまった女だと信じていた主人公が、ムエタイ選手として活躍しながらも、本当の自分を探し求めて葛藤する姿を描いている。

ビューティフル ボーイ APS-91[DVD]

パリンヤー役には元ムエタイ選手で新人俳優のアッサニー・スワンを起用。 実際にパリンヤーと対戦した女子プロレスラー、井上京子も本人役で登場している。

現在ではニューハーフ(オカマ)先進国のタイ

ニューハーフ(オカマ)であることに苦労したパリンヤーだったが、現在のタイはニューハーフ(オカマ)に対して非常に寛容な環境となってきている。

タイでは、体は男性で心が女性のニューハーフを「レディーボーイ」と呼び、30万人近く存在すると言われている。
未だ差別的な扱いをされることもあるが、国立大学でニューハーフに女子の制服着用を認めたり、ニューハーフの村長が誕生したりしている。

タイの中学・高校ではニューハーフの生徒専用のトイレを設けているケースもある。

ニューハーフのためのトイレ標識

タイの国技ムエタイで活躍し、その半生が映画になるほどの存在になったパリンヤー・ジャルーンポン。
彼(現在は彼女)の活躍は、ニューハーフたちを勇気付け社会的地位を向上に大きな影響を及ぼしたのかもしれない。

関連する投稿


30年ぶりの女子プロレス特集!「Number」が「『極悪女王』秘話~クラッシュ・ギャルズとダンプ松本の時代~」を掲載!!

30年ぶりの女子プロレス特集!「Number」が「『極悪女王』秘話~クラッシュ・ギャルズとダンプ松本の時代~」を掲載!!

文藝春秋より、スポーツ雑誌『Sports Graphic Number』1109号が現在好評発売中となっています。価格は730円(税込)。


「カップヌードル 担担」のCMが「ダ・ダーン!ボヨヨンボヨヨン」だと話題に!当時出演していたレジー・ベネットを振り返る!

「カップヌードル 担担」のCMが「ダ・ダーン!ボヨヨンボヨヨン」だと話題に!当時出演していたレジー・ベネットを振り返る!

日清食品が展開するカップヌードルの新商品「カップヌードル 担担」のCMが、あの懐かしのCMのパロディだと昭和生まれ世代を中心に大きな話題となっています。


北斗晶も!豊田真奈美も!井上貴子も!歌手デビューした全女の選手たち!

北斗晶も!豊田真奈美も!井上貴子も!歌手デビューした全女の選手たち!

ビューティーペア、クラッシュギャルズ、JBエンジェルスなど「女子プロレスと歌」は全日本女子プロレスの定番でした。この記事では、クラッシュやJBの後輩選手たちスポットを当てて、90年代前後にどんな選手が歌手デビューしていたのか振り返ってみました。


クラッシュギャルズだけじゃない!’80年代の女子プロレスを盛り上げた【JBエンジェルス】

クラッシュギャルズだけじゃない!’80年代の女子プロレスを盛り上げた【JBエンジェルス】

クラッシュギャルズ人気で盛り上がっていた1980年代の女子プロレス。そのクラッシュギャルズの1年後輩にあたるのが、山崎五紀・立野記代の「JBエンジェルス」です。タッグを組んで数多くの試合に臨み、全米サーキットにも参戦した他、リングで歌も披露したお二人について、実は仲違いしていた時期あったことや、現在はどうされているのかなどを調べてみました。


女子プロレス界に旋風を巻き起こした【クラッシュギャルズ】のシングル曲まとめ

女子プロレス界に旋風を巻き起こした【クラッシュギャルズ】のシングル曲まとめ

1970年代の女子プロレス人気を牽引したビューティーペアに続き、1980年代にはクラッシュギャルズが爆発的な人気となり「クラッシュ旋風」を巻き起こしました。日々激しいファイトを繰り広げる一方で、テレビ番組やCM出演、アイドル雑誌にも登場するなど芸能活動の方も大忙しでした。そんなクラッシュギャルズの2人が歌ったシングル曲について振り返ります。


最新の投稿


世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

葛飾区商店街連合会は、2025年10月10日より『キャプテン翼』とのコラボイベント「シーズン2」を亀有・金町・柴又エリアで開催。キャラクターをイメージした限定メニューやスタンプラリーを展開し、聖地巡礼と地域活性化を促進します。


キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

人気アニメ『キン肉マン』の「完璧超人始祖編」の名言・名場面を題材にした英会話学習書『キン肉マン超人英会話』が、2025年11月29日(土)にKADOKAWAより発売されます。超人たちの熱い言葉を通じて、楽しみながら実用的な英語表現をインプットできます。TOEIC満点保持者やプロレスキャスターなど、豪華プロ集団が監修・翻訳を担当した、ファン必携の英語学習本です。


【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

開催直前!TOKYO MX開局30周年記念「昭和100年スーパーソングブックショウ」が10月16日に迫る。古舘伊知郎と友近がMC、豪華ゲストと共に贈る一夜限りの昭和ベストヒットに期待高まる!


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。