ZERO-ONEでの闘いに加え、2004年からは「ファイティング・オペラ」と銘打って新たなプロレスの潮流となりつつあった「ハッスル」にも参戦。「ハッスルあちち」のニックネームで大会を盛り上げました。
しかし、ZERO-ONEは旗揚げ当初の勢いを徐々に失い、2004年11月、橋本選手はZERO-ONEの活動停止を発表。これを受けて、所属選手だった大谷選手たちは新たな行動に出ます。
ZERO1-MAX~ZERO1へ
ZERO1 - Wikipedia
大谷選手は2008年、ZERO1-MAXの運営会社ファースト・オン・ステージの社長に就任。ZERO1-MAXは2009年にプロレスリングZERO1へ改称、そして2016年に新運営体制に移行し、現在に至ります。
ZERO1が新運営体制 故橋本真也さん出身地・岐阜で再出発/ファイト/デイリースポーツ online
ZERO-ONEの創始者であり、橋本真也選手は、右肩の手術から復帰を目指していた2005年7月11日、脳幹出血により40年の太く短い生涯を閉じました。
その後、橋本選手の長男、橋本大地選手は2011年3月にZERO1でプロレスラーとしてデビューし、現在は大日本プロレスに所属しています。
技も熱い!
若手時代は、伸びやかなドロップキックなどで会場を沸かせた大谷選手。現在も使われている得意技も、一味違う切れ味を見せます。
中でも、大谷選手といえばこの技を思い浮かべる人も多いでしょう。
プロレスの教科書
大谷選手がインタビューなどでよく引き合いに出すのが「プロレスの教科書」。選ばれた者しか読むことができないというその本には、プロレスのみならず、人生においても参考になる言葉が綴られているといいます。
大谷選手の「プロレスの教科書」 - プロレスだいすき