その後のエリック・クラプトンとこぼれ話
名曲「いとしのレイラ」誕生とドラッグの日々
70年にはいると、ブルースの聖地=アメリカに渡る。そこでデレク・アンド・ドミノスを結成。大ヒット「いとしのレイラ」が1970年に誕生する。幅広いファン層ができて一躍スターダムに登る。
クリーム時代の高揚と短命なブラインド・フェイス、そしてデレク・アンド・ドミノスも1年で解散。それが尾を引いたか、クラプトンは70年代に入ってドラッグに浸るようになる。
それも1971年、同じ英国バンド;ザ・フーのリードギタリスト=ピート・タウンゼントの支えもあり、ドラッグ依存症を克服する。
デレク・アンド・ドミノス:いとしのレイラ
欲しいものは親友の奥さんだって手に入れる
クラプトンは、ビートルズ一番のハンサム男=ジョージ・ハリソンの妻、パティ・ボイドを略奪愛。1979年の結婚からおよそ10年間共にするが1988年で離婚。憧れのボイドとの結婚も必ずしも幸福ではなかった。80年代にはいって、今度はアルコール依存症になる。
なお「いとしのレイラ」は、パティのことを想って作曲した曲という。ただ、実際に結婚してみると、浮気に走る。他に複数の女性と関係を持ち、子供まで生ませるなど悪い癖も持っていた。
パティ・ボイドとジョージ・ハリソン
クラプトンにおんぶのボイド
我が子コナーの非業の死と名曲「ティアーズ・イン・ヘブン」
亡き愛児 コナーと
クラプトンは、パティ・ボイドと結婚中であったにも関わらず、ニューヨークでイタリア人女優ロリ・デル・サントと同棲。男児コナーをもうける。クラプトンはコナーを大変可愛がった。本妻ボイドの知ることになった息子の存在。お陰でボイドとは1988年には離婚に至る。だが不幸はそれだけではなかった。1991年3月20日、当時4歳過ぎったコナーが母親の目を離した隙に、高層アパートの53階に上がり、踊り場の窓から転落して死亡してしまった。
クラプトンはこの絶望的な悲報にショックを受け、引きこもりの生活が続く。再びアルコールとドラッグに浸るのではないかと周囲も心配したが、亡くなった愛児=コナーに、名曲「ティアーズ・イン・ヘヴン」を捧げることで立ち直りをはかった。曲も全米チャート2位を記録するなど大成功に。
我が子の非業の死にショックを受ける
ティアーズ・イン・ヘブンで立ち直るクラプトン
クラプトンは日本好き
原宿:福よしとクラプトン
福よし看板
親日家で、1974年初来日以来、2016年現在で21回の来日公演を果しており、武道館での公演記録を91回という最多記録を作った。
公演以外にもお忍び来日も多く、クラプトンは大のトンカツ好きで知られる。原宿の「福よし」でさりげなくとんかつを食べているシーンが幾度か報告される。古希を迎えた最近では、健康を考えて、もっぱらチキンカツに切り替えたともいわれる。一方で、日本の格闘技の大ファンでもあり、K1の放送中にテレビでクラプトンが映し出されることもあったという。
客席で豪華な共演;アントニオ猪木とクラプトン