結成から、不遇な時代を経て、日本ロック界をリードする人気バンドになるまでの軌跡

初期のハウンドドッグ
涙のBirthday - ある音楽人的日乗
HoundDogは、1976年、、東北学院大学の音楽サークルに参加していた、経済学部2年の大友康平を筆頭に、3人構成のロックバンドとして結成され、その後、6人編成となり、初代HoundDogメンバーが揃う。
1980年、「嵐の金曜日」でデビュー。 拠点を仙台から、東京に移し、マザーエンタープライズ所属アーテイストとして、本格的にプロミュージシャンとしての活動を開始。
日清カップヌードルのCMのテーマソングとして知られている、 代表曲「ff(フォルテシモ)」(1985年)をはじめ、「ONLY LOVE」(1988年)、「AMBITIOUUS」(1990年)、「BRIDGE~あの橋をわたるとき)」(1992年)など数々の、ヒット曲を出す。
年間200本以上という驚異の数のライブをこなし、絶大な動員力を誇るバンドである

8th NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL
NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL ハウンドドッグ
そんな彼らにも不遇の時代があった。
1983年11月3日に、初の武道館公演を奇跡ともいえる満員御礼で成功を収めたものの、メンバーの脱退、メンバーチェンジが相次ぎ、バンド解散の危機にさらされる。
また、楽曲が幼稚であると、某老舗ライブハウスから、出演禁止を食らったり
当時、司会を務めていた音楽番組のADから、「HoundDogはおしまいだな」とテレビ局の廊下ですれ違いざまに、言われたという。

HoundDogのリーダーであり、ボーカルの、大友康平はそれでも負けじと音楽業界に挑み続け、
1985年「フォルテシモ」の、爆発的ヒットにより世の中に、HoundDogの名を知らしめた。
それ以降、日本のROCK界において、多大な功績を遺す。
中でも1988年3月28日に行われた東京ドームでの公演は、日本人アーティスト初の単独ライブとして有名である。

HoundDog名物 メンバー6人でのパフォーマンス

1980年当時、ロック界のドンと呼ばれていた内田裕也いわく
「俺の認める日本のボーカリストは矢沢永吉と大友康平だけだ」という言葉からもわかるように
HoundDogの魅力は、ボーカル大友康平の魂からの叫びの様な歌唱力と、ファンからは「おやじギャグ」と揶揄されていた、彼のコメディアンの様な、ユーモラスなMC
そして、ミュージシャンとしてだけでなく、エンターテイナーとしての才能を感じさせる、メンバー6人が一体となって魅せるパフォーマンスにあると私は思います。

メンバープロフィール
HDのリーダー・ボーカル 大友康平

1956年1月1日 宮城県塩釜市で、東北でも三本指に入る材木問屋の三代目として生まれる。ところが、生後間もなく、倒産。
母の故郷である青森県弘前市、千葉県松戸市と、住まいを転々とし、埼玉県入間郡生越にて、父が材木問屋を再開させる。
大友は、愛称でコッペと呼ばれ、大友家の一人っ子として可愛がられた。幼い頃から、歌自慢大会やお祭りなどに参加する、人前に出ることことが好きな少年だった。

中学では野球部に所属し、4番でピッチャー、キャプテンを務め、二年生の時には、県太会で優勝。
将来は甲子園、プロ野球選手を目指していたが、3年の時に、肘を痛め断念。
高校は県内の川越工業に入学し、軽音楽部に所属。中学時代から、始めていたドラムを担当する。
また、社会人とバンドを組み、ビアガーデンで演奏中にビールをストローで飲み、倒れてしまったというエピソードがある。
初代ギタリスト 高橋良英

愛称よっちゃん HoundDogの生みの親ともいえる存在
ステージでの、パワフルなパフォーマンスで、ファンを魅了していました。
現在は、故郷の仙台市内で、酒屋とホルモン焼き店を経営しています。
初代ベーシスト 海藤節生

愛称うみちゃん 気さくな人柄でファンから慕われていました。
現在は、宮城県苅田郡七ヶ宿町で「NPO法人水守の郷」の理事長を務める傍ら、窯焼きPizzaの店を経営し、シンガーソングライターとしても活動しています。
初代ドラマー 藤村一清

愛称かきちゃん バンドの土台といえる縁の下の力持ち的な存在
ひげむくじゃらの外見に似合わず、笑顔の素敵な優しい人でした。
リードギター 八嶋順一

愛称やっさん
ジミヘンの大ファンだという八嶋さんの、鳴かせるようなギタープレイには、いつもしびれました。
寡黙な中に、温かみを感じさせる人でした。
現在は毎週 神奈川県海老名市にあるライブハウスで活躍 北海道、仙台などでも音楽活動を行っています。
キーボード 蓑輪単志(写真右)

愛称たんちゃん
代表曲「ff(フォルテシモ)」の作曲者
小型のキーボードを弾きながら、ステージを駆け回る姿が、やんちゃ坊主のようで素敵でした。
現在は都内の企業で、幹部として勤める傍ら、音楽活動も行っています。
ベース 鮫島秀樹

愛称さめちゃん
大友さんを後ろから支える頼りがいある存在でした。
現在は、大阪を中心に音楽活動を行っています。
ドラム 橋本章司

愛称ブッチャー 関西弁の弾丸トークで笑わせるのが得意な人でした。
パワフルで正確なリズムを刻むドラマー
スティックを器用にくるくる回す姿が、印象的でした。
現在は、「ぶちやす」と題して、八嶋さんと組んで定期的にライブを行っています。
ギター 西山毅

愛称たけし 王子様
端正な顔立ちと、スーパーテクニックなギタープレイで、ファンを魅了しました。
現在は、ギタリストとして活動する傍ら、ギター教室を開催しています。
数々の名曲から、当時のエピソードを交えながら、何曲かピックアップしてご紹介します
デビュー曲 嵐の金曜日
デビュー当時、キーボードの蓑輪単志は、まだ大学生。
仙台と東京を往復しながら、学生とプロミュージシャンを、掛け持ちしていました。
SONGS
この曲は、1983年当時のアルバムには入っておらず、ライブでのみ聴けた曲。
後に、42枚目のシングルとして、2005年にリリースされる。
大友のボーカルに蓑輪のピアノが、まるで絡み合うような、ぴったりと息の合った演奏が印象的です。
サンセットロード
作詞作曲:海藤節生 彼は1983年に行われた、初の武道館ライブの後、自ら脱退。
武道館大成功に、沸き立つHDキッズ達の知らなかった真実は、解散か、メンバーチェンジして、続行するかの合間で、メンバー全員が苦しんでいたということ。
岐路に立たされたリーダー大友が選んだのは、メンバーチェンジでした。
Hey Brother
海藤の脱退後に、発表されたバラード。
急遽、元TWISTの鮫島秀樹が、サポートメンバーとしてツアーに参加。後に、正式メンバーとなる。
彼は、たった一週間でセットリストをマスターしなければならなく、妻子を実家に帰してまで、練習に集中したそうです。
ラストヒーロー アフターコンサート
伝説の西武球場「TyphoonPartyTour1985」 大雨の中、白熱のライブ。
終盤の「ラストヒーロー」を熱唱中に、突然、花火が爆発し、大友が炎の中に飛び込んでしまい、瞼を負傷。
会場は、叫び声と泣き声で、騒然となる。
大友は痛みをこらえ、再び登場。
声を絞り出すように唄う「アフターコンサート」は、感動的だった。
ROAD
1987年リリースのアルバム、「BE QUIET」収録曲。
この翌年、1988年3月28日に東京ドームにて、日本人アーティスト初の単独ライブを開催。
また、同年4月4日、5日には、HoundDogと、人気を二分していたといわれているBOOWYが、解散ライブを行っています。

ラストナイト ラストタイム
1990年、「武道館15Days」を開催。
「ラストナイト ラストタイム」はデビュー当時から、ライブの締めくくりの曲として歌われ続けた名曲です。
リードギタリストであり、この曲の作詞作曲者である、八嶋順一のコーラスが、素晴らしい曲です。

1990年~1999年の10年に渡り、大友康平プロデュースのイベント「夢の島」を開催。
「大友康平命」と、背中にプリントされたハッピ姿の女性ファンや
大友を真似た、赤やブルーなど派手なカラーの、だぼだぼなスーツを着た男性ファンが多く見られました。

BRIDGE~あの橋をわたる時~
1992年リリース。アサヒスーパーDRYのCMソングとして起用され、同タイトルのアルバムが、、オリコン初登場第1位を獲得。
この前年には、紅白歌合戦出場者として、選ばれたものの
NHK側の「ff(フォルテシモ)」を歌って欲しいとの要求に、大友が反論。意見は受け入れられず、出場を辞退。
代理として、バブルガムブラザースが出場しました。

アカペラ PopCorn
2005年7月9日 「HoundDog日本武道館帰還」と題して、デビュー25周年、49回目の武道館ライブを開催。
これが、HoundDog,6人揃っての最後のライブとなりました。

思い出の武道館をバックに・・・
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事務所とのこじれから、裁判沙汰にまで発展し、HoundDogは現在、大友康平のみで活動していますが、
ギタリストであった西山毅は自身のblogで、昨年(2015年)7月9日(HoundDogメンバーとして、、
最後のステージとなった日本武道館帰還公演が行われた日)に、
「6人揃ってHoundDogの卒業式を行いたい」と、綴っています。