サッカーのゲームなんて、当時は画期的でした!!
まだまだ野球全盛の時代、あるものがきっかけでサッカー少年が増加
1983年に発売された任天堂ファミリーコンピュータ。やはり初のスポーツゲームソフトにはベースボールが選ばれました(同年発売)。当時はJリーグもなく、日本でサッカーはまだまだ少数派のスポーツ。グラウンドでは野球部が幅を利かせ、サッカー部は隅っこでゴールに蹴り込むぐらいしかできなかった時代です。
そんな中、高橋陽一先生の漫画「キャプテン翼」の人気に伴い、少年サッカー人口は飛躍的に増加。「ボールはトモダチ」等の名言と共に、若林源三の真似をするキーパーや「ツインシュート」を練習する子供達がそこら中で見られるようになりました。

少年達の間で大流行
満を持して「サッカー」ついに発売!!
ファミコン発売から約2年、1985年4月に「サッカー」がついに発売!!
世のサッカー少年達を虜にしたゲームのデビューです。

1985年4月9日に発売
ファミリーコンピュータのゲームタイトル一覧 - Wikipedia
電源を入れたら、ワクワクの始まり!

タイトル画面
ドキドキのチーム選択画面、日本は・・・ピ、ピンク!?
電源を入れてスタートボタンを押すと、まずチーム等の選択画面。
USA(アメリカ)、GBR(イギリス)、FRA(フランス)、FRG(西ドイツ)、BRA(ブラジル)、JPN(日本)、ESP(スペイン)の7チームから好きなチームを選びます。チームによってスキルが違うなどという事は全くありません(笑)。個人的には、イギリスの黒いユニフォームが強そうだったので好きでした。そして日本はなぜかピンク!?・・・選んだことは数える程しかありませんでした。ちなみに対CPU戦では相手チームは選べません。
そしてレベルの選択ですが、レベルと言うより選手・ボールのスピードが変わる感じです。5(最高レベル)が動きが早くて本物っぽく見えました。
最後に試合時間の選択。ゲーム上で時間はかなり短縮されていてものすごい勢いでカウントダウンするので、30分ハーフくらいが一番楽しめたと思います。(本当の45分ハーフだったら、後半のいい時間帯で親に怒られます)
いよいよ、試合開始!どっちが先攻かは始まるまでわからない・・・ドキドキの瞬間です。

セレクト画面
ついにキックオフ! あれ?人数が・・・ま、いっか(笑)
データ量の小さいファミコンソフト、コントローラには十字キーとA・Bボタンしかありませんので、操作はいたって単純。チームの人数においては、キーパー+フィールド5人の6対6です。フォワード3人とディフェンス2人といったイメージですね。画面が分割されているせいか、さほど違和感はありませんでした。歓声とともにキックオフ!

緊張のキックオフ!
画面は自陣・センター・敵陣の3画面を横スクロールで移動します。ボールを持ったらドリブル開始。フェイントやタックルとかはなく、ドリブルの方向転換だけで相手を抜き去ります。選手によってスキルが違うなどという事は全くない(むしろみんな同じで見分けがつかない)ので、全員が主役です!パスを繋いで相手ゴールを目指します。

相手ゴールまで一直線!
Aボタン(本来はシュートボタン、弾道が低い)をうまく使用した芸術的なスルーパスや、少し難しいダイレクトシュートが決まろうものなら、自然と「自己実況中継」にも熱が入ります。
高等技術の「フェイント」
ドリブルで方向転換をする時は、まずボールから動くという特徴がありました。上から下に方向転換をすると、まずボールだけがプレーヤーの下に移動してから下向きのドリブルが始まります。この特徴をうまく利用し、ドリブル中に十字キーを1回転させると、プレーヤーはそのままにボールだけがプレーヤーの周りを1回転しました。これを「フェイント」と呼び、高等技術の1つとされていました。

フェイント
「SOCCER」攻略ページ(初期ファミコン任天堂サッカー) top
ゴールはやっぱり気持ちいいっ!
攻める方は、ドリブルをしながらカーソルを動かしてシュートコースを選択するのが難しかったのですが、守る方も、ディフェンダーを操作するとキーパーが連動して動いてしまう為、シュートを打たれた時にキーパーがゴールマウスから失踪している事がよくありました。
シュートが決まった瞬間はやっぱり何とも言えない!大歓声とともに自陣に引き上げる選手達をドヤ顔で見つめ、コントローラを置いて手の平の汗をズボンで拭いたものです。

ゴールが決まると?
反則はオフサイドのみ!
ラフプレイもありませんし、キーパーはペナルティエリアから外に出られませんのでハンドもありません。ファウルはオフサイドのみ。フィールドプレーヤーは5人なので結構レアでした。そしてどこでオフサイドになってもスタートの位置は一定。スローイン・コーナーキック・ゴールキックは普通にありました。
コントローラは手放せない
ベースボールと違って攻守の交代もありませんし、ゴルフと違って制限時間もあるので、常に操作しっぱなし。コントローラを手放す余裕は、点が決まった時かハーフタイムしかありませんでした。麦茶を飲む余裕もなく、画面をずっと見つめながら手と口を動かす、結構奇妙な光景でした。
裏技もあった!?
また裏技として、ページがスクロールする瞬間にシュートすると、キーパーを操作する間もなくゴールに突き刺さるなんて「えげつない技」もありました。乱発すると友達をなくす技です。
ファミコン初期なのでバグも多く、いろんな裏技が実在した時代です。
ハーフタイムはショータイム!
ハーフタイムになると登場してくるチアガール。友達とプレイしている時はさほど苦にならないのですが、一人でプレイしている時は妙に腹立たしく、スキップもできないのでボーっと眺める羽目になります。

ハーフタイムのチアガール
勝負がつかなければPK戦へ
前後半戦って同点の場合はPK戦です。対戦プレイの時はシュート方向のカーソルが非表示でしたので、ヤマ勘でした。友達とお互いのコントローラが見えないように隠してプレイしたものです。フィールドプレーヤーはちょうど5人しかいないので、PKで決着がつかなければ引き分けです。
それぞれの楽しみ方で盛り上がりました
友達を集めてトーナメントを開催する
4人いれば、集まって準決勝からのトーナメントを開催!希望するチームが被ったらじゃんけんで決めていました。どのチームになろうとスキルは全く変わらないのに、見た目にこだわる小学生。何事も格好から入る小坊主軍団です。
優勝の副賞は、これまた当時はやった「キン消し」。みんなで1つずつ出し合ったのを優勝者が総取りでした。取られる可能性もあるので、本当に大事なキン消し(レア物)は提供しない。毎回同じようなキン消しが行ったり来たりでした。

副賞はキン消し
好きなチーム・選手と勝手に思い込んで実況
見た目が全く変わらない5人のフィールドプレーヤー+キーパーに名前を付け、実況しながらプレイもしました。人気があったのはやはりキャプテン翼。しょっちゅう南葛VS明和が行われていました。「翼君、華麗なドリブルで相手を抜き去る~!」「おおっと、若林君横っ飛びでキャッチ~!さすがにペナルティエリア外からは決めさせません!」・・・大騒ぎしながらプレイしたものです。
以後のサッカーゲームの変遷
どんどんリアルに進化していきます
コマンド選択型のゲームができ、必殺シュートが打てるようになり、チーム・選手ごとにスキルの違うゲームができ、チーム・選手を強化できるようになり、実在の選手が登場し、3Dになり、解像度が飛躍的にあがり、etc.・・・。当時は自分で熱く実況中継しながらプレーしていましたが、今ではアナウンサーが自分のプレーに実況を付けてくれる時代です。
「サッカー」のソフトデータ量は320キロビット、バイトで換算するとわずか40kBです。およそ15年前のガラケーで撮影した写真1枚分。この記事のサムネ画像より小さいのです。これに対して、よりリアルに、よりキレイに、より楽しくを追求した結果「ウイイレ2016」(PS4版)は約20GB。30年ちょっとで実に5万倍になった訳ですが、やっぱり原点はこの「サッカー」だったんですね。この「最初の1歩」から、様々な方向に進歩していったのだと思います。
初めてプレーした時のドキドキ感は忘れないと思います。もう一度プレーしたいっっ!!