怪我を乗り越え!バルセロナオリンピック柔道古賀稔彦の奇跡の金メダル
『柔道』が『JUDO』になってからしばらく経ちますが、今も昔も日本柔道は「柔よく剛を制す」の精神でしょう。この精神を体現していたのが平成の三四郎・古賀稔彦。なかでも練習中の怪我を乗り越え金メダルを獲得した1992年バルセロナオリンピックは今も語り草です。

古賀稔彦 - Wikipedia
バルセロナオリンピック大会直前、乱取り中に怪我
金メダル有力候補で、日本選手団の主将として臨んだバルセロナオリンピック。しかし、古賀に信じられない試練が待っていた!吉田秀彦との乱取り(練習)中、左ひざを負傷。あまりの激痛で、試合自体してもおかしくないほどの重症で、痛みから減量もできないほどだった。
怪我がおしての金メダル

立っているのもやっとの状況の古賀。常識なら勝てるわけがないが、屈指の精神力で勝ち進み、見事金メダルを獲得。その時の鬼気迫る表情はまさにサムライだった。
練習相手の吉田秀彦も金メダル

古賀の怪我で人一倍責任を感じていたのが、後輩で練習相手だった吉田秀彦だ。吉田は相当なプレッシャーの中、金メダルを獲得、「古賀先輩と二人で1つ」と、古賀の気持ちを奮い立たせたのだ。
教え子も続々オリンピックへ
現役引退後も、古賀は全日本女子柔道チーム強化コーチ、環太平洋大学柔道部総監督などを歴任。続々と古賀遺伝子を持つ愛弟子がオリンピックでメダルを獲得していっている。
谷本歩実

梅木真美

いかがでしたでしょうか?今も目の覚めるような背負い投げは鮮明に覚えていますよね。これぞ日本人と言う古賀稔彦、今後は第2、第3の古賀を生み出していって欲しいです。