1998年、マグワイアとソーサのシーズン最多本塁打記録争い
1998年にメジャーリーグで繰り広げられ、日本でも連日スポーツニュースで報じられるなど、注目度の高かったマーク・マグワイア(セントルイス・カージナルス)とサミー・ソーサ(シカゴ・カブス)によるMLBシーズン最多本塁打記録争い。
両者共に1961年にニューヨーク・ヤンキースのロジャー・マリスが樹立したシーズン61本塁打のMLB記録を更新するほどのハイレベルな争いとなり、最終的にマグワイアが70本塁打、ソーサが66本塁打の記録を残した。

マーク・マグワイア

サミー・ソーサ
この年、マグワイアは「現代のベーブ・ルース」とメディアから呼ばれる程の大打者に成長した。
また、シアトル・マリナーズのケン・グリフィー・ジュニアと共にアメリカ合衆国における野球人気復活の立役者にもなり、当時232日間に及ぶ長期ストライキ以降に大きく落ち込んでいたMLB全体の観客動員数も1998年シーズンはスト以前の水準にまで戻るほどの盛り上がりを見せた。
チケットは飛ぶように売れまくり、ソーサとの争いはワールドシリーズ以上の熱気とも言われた。
そして、ライバルのソーサも母国・ドミニカ共和国の国民的英雄となった。
1998年シーズン、ホームラン数の推移
1998年はスプリングトレーニングの時期からマグワイアやケン・グリフィー・ジュニアがマリスのシーズン本塁打記録を更新する可能性について盛んに語られ、注目されていた。
シーズンが始まってみると5月終了時点でマグワイアが27本塁打、後にライバルとなるソーサは13本塁打と14本の差があった。
しかし、ソーサが6月に月間新記録となる20本塁打を記録。7月10日にはマグワイアが37本塁打、ソーサが35本塁打と2本差にまで縮めていく。
期待されたケン・グリフィー・ジュニアは7月10日時点ではマグワイアの37本塁打と並んでいたが、その後失速し、最終的に56本塁打でシーズンを終えた。

ケン・グリフィー・ジュニア(シアトル・マリナーズ)
シーズン終盤の9月4日の時点でマグワイアが 59号、ソーサが57号であった。
そして、9月8日の対カブス戦でマグワイアは62号本塁打を放ち、マリスの記録を破った。
スタジアムは興奮のるつぼと化し、マグワイアがベースを一周するときは敵の内野手ともハイタッチ。
さらにはライバルのソーサもライトの守備位置からマグワイアのもとに駆け寄り、互いにソーサの代名詞でもあった投げキッスを交わすなどで健闘を称えた。
ソーサも9月13日に62号本塁打を放ちマグワイアと並んだ。65本塁打で並んで迎えた9月25日の試合では共に66号本塁打を放ち2試合連続で並んだ。

じゃれ合うマグワイアとサミー・ソーサ
9月27日、マグワイアは前の試合に続いて2本塁打を放ち、70本塁打の大記録を打ち立てて、シーズンを終了した。
この時点でソーサに4本もの差をつけた。
そして、9月28日のソーサの最終戦では本塁打は出ずに、66本塁打で打ち止めとなった。
同時に、二人の熱い「ホームラン競争」は終了した。
第70号のホームランボールの価値は270万ドルに!
シーズン最多記録となる70本塁打を達成した際のホームランボール。「外見上」は、真ん中にサインがしてあるだけでほかのボールと見分けがつかず、年の変哲もないボールである。
オークションはスポーツの殿堂、マディソンディソンスクエアガーデンで行われた。
午後7時。40万ドルで始まった注目のボールは、瞬く間に跳ね上がり、わずか5分ほどで270万ドル、およそ3億円になった。
記念ボールのこれまでの記録は、ベーブ・ルース選手の第1号ホームランがつけた、およそ1400万円余りが最高であった。

野球ボールでは史上最高額となる270万ドルで売却された!
記録更新の当日はスタジアムで観戦していたワシントン大学の遺伝子研究者フィル・オゼースキーさんが見事にキャッチ。
球団側からサポーターグッズとの交換の申し入れがあったものの辞退し、翌年ニューヨークの競売会社へコンサインされ、野球ボールでは史上最高額となる270万ドルで売却されることになった。
落札者は漫画スポーンの作者として知られるトッド・マクファーレン。

トッド・マクファーレン

アメコミの代表作「SPAWN」
記録の裏に「ドーピング」。本人は使用を後悔・・・。
マグワイアは市販の補助薬・筋肉増強剤アンドロステンジオンを使用していたことを認めた。
これはランディー・バーンズ(砲丸投)が金メダルを剥奪された薬物だが、当時MLBでは禁止されていなかったことと野球メディアもマグワイアを擁護する論調を展開したことから、記録に疑問を持つ人は少なかった。
しかし、引退後に「愚かな過ちだった。」と語り、現役時代のステロイド使用を告白している。
声明によると1989年のシーズンオフから使用を始め、1993年に故障してからは本塁打記録を更新した1998年シーズンを含めて早期回復と再発防止を目的にステロイドを使用したとされ、インタビューでは記録目的ではないと答えている。

現役時代の栄光が薄らいでしまった・・・。
1990年代にマグワイア等への薬剤供給ルートを調査した元FBI捜査官によると、マグワイアが入手したステロイドは馬に使用するための獣医用製剤だったとされている。
これにより、確実視されていた殿堂入りも困難となった。
獲得タイトル・記録
・新人王:1987年
・本塁打王 4回:1987年(49)、1996年(52)、1998年(70)、1999年(65)
・打点王 1回:1998年(147)
・1シーズン70本塁打(1998年)
※2001年にバリー・ボンズ(サンフランシスコ・ジャイアンツ)が73本塁打を打ち、破られた。ちなみに、この記録にもドーピング疑惑がある。

豪快なホームランが印象的だったマグワイア
野茂の活躍もあり、メジャーリーグに注目が集まっていた90年代後半。
その中でも特に目を引いた身長196cm、体重は110キロを超えた巨漢のマグワイア。
ソーサとの歴史に残るシーズン最多本塁打記録争いは、メジャーリーグファンの間で未だに語り草となっている。
後年、マグワイアはドーピング問題で揺れ、ライバルのソーサもコルク入りバットで出場停止になるなど、かつての輝きは失われてしまった。
しかし、真実はどうあれ、あれだけ興奮させてくれるのがエンターテイメントの国・アメリカのメジャーリーグらしかった。
言葉の使い方は最適ではないが、「記録より記憶」。そういった二人の男の戦いであった。