60年代のシルヴィ・ヴァルタン

Sylvie Vartan
あまりにも可愛らしく小粋なシルヴィ・ヴァルタン。彼女を見ているとフランスのエスプリという言葉が思わずでてきますが、シルヴィ・ヴァルタンは、ブルガリア人の父親と、ハンガリー人の母親の間に1944年8月15日 ブルガリアのイスクレツというところで生まれ、8歳の時に家族でパリに亡命しています。
1961年17才でパリ・オランピア劇場に初出演しその輝かしいキャリアをスタートさせます。
このパリ・オランピア劇場での公演はそもそも代役としての出演だったのですが、劇場支配人の目に留まり次の公演の出演依頼を受けています。
やはり輝くものがあったのでしょうね、偶然が必然となるわけです。
最初のヒット曲は、それから2年後の1963年「Tous mes copains(邦題:おセンチな17才)」です。

おセンチな17才
翌1964年には、「La plus belle pour aller danser(踊りに行く一番の美人)」(邦題:アイドルを探せ)が世界的に大ヒットします。
それにしても素晴らしい邦題ですね。原題からは大きく逸脱していますが、当時のシルヴィ・ヴァルタンにまさにぴったりです。

アイドルを探せ
同じく1964年には3枚目のアルバム「夢のアイドル」が発売されています。

夢のアイドル
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日本でも大人気となったシルヴィ・ヴァルタンですが、どのくらい人気だったかというと、1965年5月の初来日時に婦人服・レナウンの「ワンサカ娘」のTVCMに出演しています。
シルヴィ・ヴァルタン20歳、作曲は小林亜星が担当しています。
シルヴィ・ヴァルタン、なかなか日本語が上手ですね。
1965年「パリからの贈り物」、1966年「恋を歌う」、1967年「パリより愛をこめて 」と毎年アルバムを発売し、快進撃を続けるシルヴィ・ヴァルタン。
1968年発売の「シャンソン・イエイエの女王」も良い出来栄えです。
因みに「イエイエ」とは、アメリカン・ポップスのフランス語カバーが多かったようですが、フランス版ロックン・ロールのことです。

シャンソン・イエイエの女王
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続く1968年に発売されたアルバム「パリの妖精」には、日本でも大人気の「あなたのとりこ」を含む素晴らしいアルバムです。
「あなたのとりこ」は、日本では映画「ウォーターボーイズ」の挿入歌をはじめいくつものCMソングとしても使われています。

パリの妖精
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70年代のシルヴィ・ヴァルタン
70年代に入るとシルヴィ・ヴァルタンは音楽の幅を広げ今までにない顔を見せていきます。「哀しみのシンフォニー」もそのひとつです。

哀しみのシンフォニー
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1976年に発売されたアルバム「そよ風のブロンド」は、もしかすると日本ではあまり人気がないのかもしれません。
しかし、この中にはシルヴィ・バルタンの70年代の最大のヒット曲である「Qu'est-ce Qui Fait Pleurer Les Blondes ?(そよ風のブロンド)」が収録されています。

そよ風のブロンド
これ以降、シルヴィ・ヴァルタンは徐々にアメリカ志向となっていきます。折からのディスコ・ブームの流れに乗り、そのものズバリの「ディスコ・クイーン」なるシングルを1978年に発売し、翌1979年には全曲英語で歌われるアルバム「アメリカン・ナイト I don't want the night to end」を発売します。

アメリカン・ナイト
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アメリカ志向は賛否両論ありますが、「アメリカン・ナイト」を見るとこのセクシーさにやられてしまいます。
1984年に、自分の分身というほどの信頼と愛情を寄せるアメリカ人のトニー・スコッティと結婚することになるわけですから、シルヴィ・ヴァルタンのアメリカ志向もここに極まれりといった感じですね。