4番DH、門田博光
門田博光(かどた ひろみつ)
5番レフト、石嶺和彦
石嶺和彦(いしみね かずひこ)
6番ライト、藤井康雄
藤井康雄(ふじい やすお)
7番センター、本西厚博
本西厚博(もとにし あつひろ)
8番キャッチャー、中嶋聡
中嶋聡(なかじま さとし)
9番ショート、小川博文
小川博文(おがわ ひろふみ)
エースは、星野伸之
星野伸之(ほしの のぶゆき)
星野は最速130km/hそこそこの速球に90km/h台のスローカーブ、110km/h前後のフォークボールという、先発投手としては非常に少ない球種で勝負する異色の投手だった。
球速の遅さにまつわる逸話として、1990年9月20日の対日本ハム戦(東京ドーム)で星野のすっぽ抜けたカーブを捕手の中嶋聡が右手で直接捕球し、星野を超える球速で返球したことで失笑が起こった。
ベンチに帰り星野は「素手で取るなよ。ミットが動いてなかったぞ」と機嫌を悪くしていたが、中嶋は「ミットが届かなかったんです」と誤魔化し事態は収まった。
球界屈指の強肩捕手である中嶋は1995年のオールスターで行われたスピードガン競争で146km/hを記録したほどであり、当時は「星野が中嶋に投げる球より、中嶋が星野に返す球の方が速い」とまで言われていた…。
圧倒的な打撃力を誇るも、わずか1厘差で逃したリーグ優勝
ブルーサンダー打線と呼ばれた打撃力は、ブーマーが開幕から5試合連続で本塁打を放つなど序盤から威力を発揮、チームは開幕8連勝とスタートダッシュに成功し、6月終了時点で2位近鉄に8.5ゲーム差を付け独走状態となった。
しかし7月に入ると、ベテラン中心の投手陣に疲れが見え始め徐々に失速し、8月12日にはついに首位から陥落。
9月に持ち直し、近鉄・西武との三つ巴の激しい争いとなったが、最終的にはオリックスは72勝55敗3分、勝率.567で、71勝54敗5分、勝率.568の近鉄にゲーム差0.01で2位に終わった。
門田ハイタッチ脱臼事件
1989年9月25日の対ダイエー戦で、門田は3回裏に本塁打を打ち、ホームで出迎えたブーマーからのハイタッチに応じた際に右腕を脱臼。
登録抹消という最悪の事態は免れたが、残り17試合のうち8試合の欠場を余儀なくされた。
『ハイタッチで脱臼』という異色の事件は面白おかしく報じられたが、最終的にたった1厘差で優勝を逃したオリックスファンは、「門田の“脱臼事件”がなければ…」と悔やみまくった。
なお、テレビなどでブーマーの怪力によって門田は脱臼させられたと思われているが、もともと門田は入団1年目の1970年に、二塁走者として出ているとき帰塁の際に右肩を脱臼して以来、持病として脱臼癖を持っていた。
1984年4月14日の日本ハム戦でホームランを打った際のハイタッチでも右肩を脱臼している。
だが、まったく悪気がなかったブーマーはひどく落ち込み、以後ハイタッチを自粛した。
門田ハイタッチ脱臼事件