『斜陽族』(1947年) 「〇〇族」の元祖。

「お嬢さん乾杯!」(1949年) 没落した「斜陽族」の令嬢役を原節子が演じる。
1947年、当時人気作家だった太宰治が小説「斜陽」を発表すると、第二次大戦後の世の中の急激な変化により没落した上流階級の人々や、当時の社会の一面を的確に言いあらわした言葉として1948年の流行語となった。

斜陽産業、斜陽族といえば、悲しいくらいに右肩下がりなグラフのイメージ・・・
会社の経費で遊興する人々を意味する「社用族」(1950年代)

会社の経費で遊興する人々を意味する「社用族」(1950年代)

交際費天国といわれ「社用族」が跋扈していた当時の銀座の夜は今より華やいでいた。
パチンコに打ち興じる人たちを揶揄した「親指族」(1950年代)

当事のパチンコは今のように玉を電動で打つのではなく、一発づつ親指でレバーを弾いて打った。ここから親指族と呼んでいた。
親指族とは名古屋で流行していたパチンコが全国的に人気となった1950年代始め、パチンコに熱を上げ、パチンコばかりしている人を嘲う言葉として使われた。当事のパチンコは今のように玉を電動で打つのではなく、一発づつ親指でレバーを弾いて打った。ここから親指族と呼んでいた。

1953年(昭和28年)新橋のパチンコ屋の様子 写真:共同通信社
現代の「親指族」 携帯電話を日常的に使いこなしている人を指す俗称である。

2000年(平成12年)携帯電話に夢中になる「親指族」 写真:共同通信社
『太陽族』(1955年)

1955年発表の、石原慎太郎の小説「太陽の季節」からは「太陽族」が生まれた。
1955年には、石原慎太郎の小説「太陽の季節」が発表されると、小説に描かれるような享楽的で無軌道に行動する若者を意味する「太陽族」が早々と流行語となった。
当時の夏の海岸には、石原裕次郎を真似てサングラスにアロハシャツ姿で闊歩する若者が多数現れた。

石原慎太郎、1956年1月に芥川賞を受賞したとき、彼はまだ一橋大学の学生だった。

アロハシャツにサングラスと言ういでたちで湘南海岸にたむろする「太陽族」
『ながら族』(1958年)

立派な『ながら族』の元祖といえば、二宮金次郎さんでしょうか。

最近の子はマルチタスク型の「ながら族」が多いという。

昭和の「ながら族」はラジオの深夜放送を聞きながら・・・勉強をするとかですね。

モバイル型「ながら族」が急速に増加していくのはウォークマンからでしょうか。

歩きスマホ、ポケモンGOに夢中になりすぎると危ない。
『カミナリ族』(1959年) 現在の暴走族の前身

『カミナリ族』(1959年)

ナイロン製の白いマフラー、革ジャン、ゴーグルなどが主なアイテムだった『カミナリ族』(1959年)

『カミナリ族』(1959年)

『カミナリ族』(1959年)

オートバイは排気量の大きい750ccのものが憧れの的となり「ナナハン族」という呼び名も生まれる。
『みゆき族』(1964年)

『みゆき族』(1964年)

『みゆき族』(1964年)
『モンキー族』(1965年)

「モンキーダンス」を踊る若者たち『モンキー族』(1965年)
モンキーダンスは、ダンスのジャンルの一つ。手を上下に動かして踊ることが猿に似て、非常にユーモラスなことから名づけられた。主に、1960年代に大流行した。
『原宿族』(1966年)

『原宿族』(1966年)

『原宿族』(1966年)
『六本木族』

繁華街を徘徊する六本木族。少年少女たちは深夜営業のバーで夜明かしした。
『イエイエ族』(1967年)

レナウン「イエイエ」

レナウン「イエイエ」
『フーテン族』(1967年)
![1960年代後半の日本においては、オリジナルのヒッピーという呼び名のほかに、新宿を中心に呼ばれた「フーテン」という呼称もあった。ただし、自らフーテンであったと自称する作家の中島らもは、「ヒッピーとフーテンは違う」との自説を述べている。
思想を持ち、そのためのツールとしての薬物使用を是とするヒッピーに対し、「フーテンは思想がないんよ。ラリってるだけやん」と評価し、ヒッピー・ムーブメントが生んだ文化のみを摂取してスローガンを持たなかった日本のフーテンと、ヒッピーとを同義化する風潮を批判すると同時に、「自由ほど不自由なものはないんだよ[2]」と述べ、ヒッピーの思想自体に懐疑的な立場を表明している。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
いわゆるフーテン族を中心にシンナーが大流行し、社会問題になった。

ゴーゴー喫茶で踊るフーテン族
『サイケ族』

『サイケ族』
『アンノン族』 旅行の主役として女性客が重視される最初の契機となった現象。

『アンノン族』
女性と流行語の45年史 アンノン族からリケジョまで |WOMAN SMART|NIKKEI STYLE
『カニ族』

リュックの中に寝袋、飯盒、食糧、燃料などを詰め込んで全国を旅行して歩いたカニ族。

『カニ族』 登山者を除いたカニ族の主体は、余暇の多い大学生等の若者であった。
『ニュートラ族』 現在に至るブランドブームの起源とされる。

1975(昭和50)~1982(昭和57)年―ニュートラ族。トラッドファッション、ブランドブームの先駆け
『窓際族』(1977年)

『窓際族』のふりをする特命係長「只野仁」
窓際族(まどぎわぞく)とは、日本の企業や団体の職場において閑職に追いやられた、主に中高年の社員・職員を指す言葉。
1977年6月(安定成長期で円高不況時)の北海道新聞のコラムでラインの管理職から外れて仕事も与えられず窓際に追いやられた中高年層がデスクで新聞を読んだり、外を眺めては時間を潰すという光景を『窓際おじさん』という言葉で載せた。
また1978年の1月に、日本経済新聞が新年連載「ニッポン・生きる条件」で、OLの雑談中にあった言葉として窓際族を紹介している。

相棒の特命係も『窓際族』に近い
『竹の子族』

竹の子族の衣装例:ハーレムスーツ
原宿ロックンローラー族・ローラー族
『カラス族』

全身黒ずくめの「カラス族」
みゆき族の一部に見られた黒ずくめのスタイル。
DCブランドブーム時に見られた黒ずくめのファッションを好む人。

カラス族という異名も轟く川久保玲風の黒尽くめスタイル 東京人「東京モードファイル」1996.4
『クリスタル族』

当時一橋大学の学生・田中康夫の小説『なんとなく,クリスタル』(80年の 文藝賞受賞作品)
当時一橋大学の学生・田中康夫の小説『なんとなく,クリスタル』(80年の 文藝賞受賞作品)から。
80年前後のブランドなどでオシャレをした女子大生などをさして呼んだ。
『くれない族』 84年のTBSドラマ「くれない族の反乱」から。「××してくれない」と夫に不満を募らす主婦を指す

『くれない族』 84年のTBSドラマ「くれない族の反乱」から。「××してくれない」と夫に不満を募らす主婦を指す
『ハナコ族・hanako族』

創刊後から1989年にかけて雑誌が対象とする読者像が時代を象徴する女性像となり、『Hanako』『Hanako族』は1989年の流行語大賞も受賞している。