正月の風物詩としての凧揚げ。1970年代の正月・冬休みは、ゲイラカイト・凧揚げへGO!

「釣り竿」で「凧」(ゲイラカイト)を揚げることができる。これは、当時は、まったく思いつきませんでした。

あっという間に凧・ゲイラカイトは空高く舞い上がる

バイオカイトでは専用の釣竿風のモノとリールも本格的なベイトリールを使います。

電動ベイトリールを使って上手くコントロールすると1200メートルくらいバイオカイトは揚がるそうです。

釣竿でバイオカイトを揚げる場合、500メートルくらいの高さは普通。
日本ではかつて正月を含む冬休みには子供たちが凧揚げをする光景がよく見られ、玩具店のみならず子供たちが買い物をする頻度の高い身近にある駄菓子店や文房具店などで凧も販売されていた。特に凧揚げが盛んに行われていた1970年代には、冬休みの時期には電力会社がスポンサーの夕方のニュース番組で「凧揚げは電線のない広い場所で」「電線に引っかかったら電力会社にご連絡ください」という内容のコマーシャルがよく流されていたほどで、当時のトラブルの多さを窺わせる。
凧揚げが安全にできる広い空間が少なくなったことに加え、少子化などもあり正月の凧揚げの光景も少なくなった。
ゴールデンウィークや特別の日などに、デパートへ「おでかけ」

1971(昭和46)年6月1日、初夏を迎えた東京・銀座のデパートでは店員の制服をホットパンツに衣替え。
デパートで、初めてのエスカレーター・エレベーター体験

大正3年に日本初のエスカレーターを設置したのは、日本橋三越なんです。

日本橋三越に、昭和2年には日本初のエレベーターができました。

日本で最初にエレベーターガールを置いたのは1929年(昭和4年)、松坂屋上野店のエレベーターと言われている

バブル崩壊後、人件費削減など諸般の事情により、1990年代終盤を以って、一部の百貨店店舗を除き、現在では殆どの百貨店で、エレベーターガールを廃し自動運転としている

宮沢りえ主演のドラマ『東京エレベーターガール』(とうきょうエレベーターガール)はTBS系列で1992年1月10日 - 3月20日に放送された日本のテレビドラマである。
デパートの最上階の大食堂でお子様ランチを食べる

デパートの最上階の大食堂でお子様ランチを食べる

「阪急百貨店二十五年史」より この写真は昭和34年、2階に開業した食堂「風車」です。

お子様ランチを日本初、提供したのも、日本橋三越。「御子様洋食」と呼称されていた。

日の丸の旗は、当時、祝祭日に玄関先に国旗を掲げる家が多く、英国皇太子が来日の際に、小旗をふって歓迎した事をヒントに、ライスの上に日の丸を立てたそうです。
お子様ランチがスターの座についたのはウルトラマンの力

1960年代、上野松坂屋が当時人気だった『ウルトラマン』のおもちゃをおまけに付けたところ、休日には1,000食もの注文を受けるほどの爆発的な人気を得るようになったという。

ウルトラマンの活躍でお子様ランチは飛ぶように売れて、子供向けメニューの不動の人気になった。
子供にとって楽園だった『デパートの屋上遊園地』 昔は百貨店の屋上には遊園地があり、母親が買い物をしている間に子供と父親はそこで時間を潰していたものです。

常設による日本初の屋上遊園地は「松屋浅草店」の「スポーツランド」

松屋浅草店の屋上遊園地の60人乗りとなる「スカイクルーザー」

「丸広百貨店川越店」(埼玉県川越市)の屋上遊園地

東武宇都宮百貨店の屋上遊園地のスーパーカーの乗り物

長崎の岡政デパートの屋上遊園地の飛行機の乗り物

阪神百貨店の屋上遊園地の新幹線の乗り物
デパートの屋上でのイベント・展示:ミスコンやスーパーカー展示など

「ミス大井どんたく」コンテスト 昭和40年頃 阪急百貨店の屋上

「ミス大井どんたく」コンテスト 昭和40年頃 阪急百貨店の屋上

スーパーカーブーム時期の1977年頃は、デパートの屋上でスーパーカー展示イベントが頻繁に行われた。
最後に、デパートのおもちゃ売り場で、好きなおもちゃを買ってもらう。最高の休日のクライマックス。

デパートのおもちゃ売り場。それは1970年代最強の子供の楽園。

ジャンボマシンダー「マジンガーZ」などを買ってもらえた日には・・・エクスタシー状態に

感動しまくり!人気のLSIゲーム(電子ゲーム)を買ってもらえた時には・・・絶頂に達してしまいますね・・・

LSIゲーム・電子ゲームは高いので、なかなか買ってもらえませんでした。

『ドキドキ!プリキュア』 キュアエース
70年代はハイキング・ピクニック・サイクリングが流行った。家族で公園でピクニック。

貴族のピクニック15世紀の図版

1934年(昭和9年)のピクニック
1950年代から60年代に高度経済成長を遂げた先進国の国民として、日本は働きすぎであると言われだした。欧米人のように上手に休暇を楽しまないといけない!という時代になっていく。
60年代のレジャーブームが始まる。この風潮が70年代にも続く。モウレツからビューティフルの時代へ突き進んでいく。現代でもできているとは言えないワーク・ライフ・バランスを模索していくことになる。

1962年ごろ、家族でピクニック

1965年ごろ、家族でピクニック

70年代のオシャレなピクニックスタイル

いかにも昭和なピクニックバスケット(昭和レトロカゴバッグ)

モウレツな昭和感が漂う無骨なアルミ弁当箱。いかにも日の丸弁当が入ってそうな感じ。

ピクニックでも無骨なアルミ弁当箱で日の丸弁当を食べるモウレツな戦士たちが1950年代から70年代に日本を急成長させた。

現代のピクニック
「ドン ペリニヨン」流ピクニック

ブルガリ屋上ラウンジで、「ドン ペリニヨン」流ピクニックを!

ブルガリ屋上ラウンジで、「ドン ペリニヨン」流ピクニックを!