日本のソウルフード『お茶漬け』



もともと『永谷園』は歴史のある『お茶』屋さん

茶宗明神社(ちゃそうみょうじんしゃ)・大神宮社
神社人 - 茶宗明神社・大神宮社

煎茶の製法を発明した永谷宗七郎
永谷園の舞台裏より引用

青製煎茶
永谷園のルーツは緑茶にあり。
永谷宗七郎(宗円)さんのおかげで、私たちはおいしいお茶をいただいているのですね。
なるほど。
おいしいヒット商品を生み出す土壌に、「おいしさ」を大切にする由緒ある家系があるのだと納得がいきました。
「お茶づけ海苔」を作ったきっかけ
それでは話を、『お茶づけ海苔』が誕生する昭和に進めてみましょう。

永谷園10代目当主・永谷嘉男。

永谷園 お茶づけ海苔 ニッポン・ロングセラー考 - COMZINE by nttコムウェア

パッケージは歌舞伎の定式幕から
『お茶づけ海苔』のパッケージは、歌舞伎好きだった両親のために、永谷さん自身がデザインされました。また、高札に書かれた「お茶づけ海苔」の江戸文字も、ご自分で書いたそうです。
この鮮やかなパッケージは、一度見たら忘れられない強烈なインパクトを消費者に与え、長年のヒットの要因のひとつとなりました。

歌舞伎の定式幕のパターン
味だけじゃダメ!苦い思いをさせられた類似品
真面目に丁寧に作ってきた結果、味良し、見た目良しという商品が出来上がりました。
もちろん販売先の評判も良く、ヒット商品になり始めました。
ところがある時、得意先からの注文がパッタリと無くなり、売れなくなってしまったのです。
『お茶づけ海苔』の評判に便乗した類似品が現れたためでした。
その原因は当時のパッケージにありました。

後に現在に至るまで、『永谷園』のCMは、その名を視覚にも聴覚にも訴え続ける路線を貫いていますね。
あなたも永谷園のCM、歌えるくらい印象に残っているのではありませんか?
『永谷園』大ブレイクのきっかけは、北島三郎の「さけ茶づけ」
1970年、まだ鮭の加工品が珍しかった頃、鮭入りのお茶づけを開発・販売することになりました。
それに先立ってまず、九州地区でテスト販売されることになりました。
九州ではあまり鮭を食べる習慣がなく、「九州で売れれば全国で売れるはずだ」と考えられたのです。
商品を知ってもらうには、まずインパクトのあるCMが求められました。
そこで北島三郎さんが起用されたのです。
北島さんは当時、すでに「兄弟仁義」や「帰ろかな」「函館の女」が大ヒットし、演歌歌手としての人気を確立していました。
東映で映画化された『兄弟仁義』に自らも出演し、主演映画スターとして活躍していたのです。
商品は、CMと味の良さが相まって評判となり、飛ぶように売れたそうです。
九州で成功を収めた「さけ茶づけ」は、翌年には全国的なヒット商品となりました。
「妥協しない品質作り」✖「徹底したブランドパッケージ」✖「インパクトのあるCM」
どの業界においても大切な方程式ですね。
商品にぴったりなイメージキャラクター
『お茶づけ』シリーズは、『さけ茶づけ』に続き、『梅干茶づけ』も発売されました。
その個々の味にぴったりなイメージキャラクターをCMに起用するようになります。
『さけ茶づけ』は北島三郎さん、定番の『お茶づけ海苔』は京塚昌子さん、『梅干茶づけ』は都はるみさんの担当になりました。
余談になりますが、『ただいまお茶づけ中』というCM、覚えていますか?
1998年のCMで、タレントさんではなく、一般の方がメインキャラクターになっています。
CMを作る前段階のプレゼン映像で、タレントさんの代わりに出演していた広告代理店の社員の方の食べっぷりがあまりに良くて、永谷園の社長さんがそのまま彼を起用したそうです。
それだけ、商品のイメージにぴったりだったのでしょうね。
オンエア後、彼の正体についての問い合わせが殺到したそうです。
「これでインスタントかい?」評判になった柳家小さん師匠のCM

1974年に発売されたインスタントみそ汁「あさげ」。
当時、すでに売られていたインスタントものは「安かろう、まずかろう」が当たり前でした。
まず製法が、今とは違っていました。
インスタントみそ汁に使用されるみそは、熱風で乾燥する製法が取り入れられていました。
ところが熱風乾燥は安価にできるものの、独特の乾燥臭、粉っぽさがあり、生みそとは程遠い味だったのです。
永谷園はそこで、当時飛躍的に発達してきた真空凍結乾燥(フリーズドライ)製法を採用することにしました。
みその風味が損なわれないインスタントの登場は、当然喜んで迎え入れられました。
柳家小さん師匠がおいしそうに召し上がる姿が、「自分も食べてみたい!」と視聴者の購買意欲に一気に火をつけたのでした。
革命的だったフリーズドライ製法は、もともと救急医療分野の技術だった
フリーズドライ製法は、凍結させた食品を真空状態に置き、水分を昇華させ乾燥させる技術。救急医療の分野で輸血用の血液を遠隔地の病院に運ぶために開発され、医薬品類を中心に発達しました。
http://www.cosmosfoods.co.jp/freezedry/whats.htmlフリーズドライって何? | 1969年からフリーズドライ一筋 | コスモス食品

フリーズドライ食品
様々な分野の技術が、競うようにして進歩していった1970年代から80年代。
他分野の技術を取り入れることで、食品分野も保存技術の格段の進歩を遂げていきました。
『あさげ』のパッケージは、あたたかみのある「はり絵」


はり絵作家 内田正泰さん

内田正泰 ポストカード 四季セレクトセット
いよいよです!ふりかけはドリフターズ!

ドラえもんもマリオも!懸賞付きで、子どもの心をわしづかみ!
『ドラえもん』も『スーパーマリオブラザース』も、永谷園の世界に合流!
よく考えたら、マリオが茶の間で白米を食べているのも変な構図なのですが、子どもにとっては関係なし。おもしろくて見入ってしまいます。
「ふりかけ」も「カレー」も、抽選で当たる懸賞の「救急ロボ」も、すべてが子どもの心をわしづかみ!
み~んな欲しくなりました。

永谷園懸賞品 ドラえもん四次元ポケット缶

スーパーマリオブラザースふりかけ

永谷園懸賞品 スーパーマリオの救急ロボ
大人の楽しみ 東西名画カード

ロングセラー商品を振り返ると、思い出も蘇る
その後ももちろん、新しい商品・新しいイメージキャラクターが生まれ続け、現在に至っています。ただ最近は、おいしいけれど「感動する」ということが少なくなってきたように思います。
1970年代から80年代は、食べ物でも車でも家電でも、いろいろな工業的な製法でも、様々な分野で、今までにない「新しいもの」を創ろうという意欲が大人にみなぎっていました。
だから面白かったんだと思います。
消費する私たちも「そんなものができたんだ!」と、驚きと喜びで飛びつく機会が多々ありました。
なかには「なんじゃこりゃ」という商品だってたくさんあったけれど、そのカオス全体をみんなで楽しんでいましたよね。
ロングセラー商品が生まれる時代は、モノを創る方も享受する方も、感動を味わうチャンスが多い時代だったのかなと思いました。
あなたの『お茶づけ』時代の思い出、何か思い出されましたか?