1996年、ついに引退。
怪我により自慢の怪力も鳴りを潜め、大関時代130kg以上あった体重も、陥落後半年が経つ頃には120kg台前半まで落ちるなど体力の衰えも目立った。
幕尻近い西前頭14枚目で迎えた1996年3月場所は3勝12敗で終わり翌場所は十両陥落となることから、この場所限りで引退。
『和製ヘラクレス』と呼ばれた怪力の名大関は、21年の土俵人生に別れを告げた。
霧島、現役最後の相撲
引退会見では「気力がなくなり、引退を決意しました。悔いはまだないとは言えないですが、今日負けた時点でもうはっきりこれで終わりだと自分で納得しました。」と落ち着いていた。
後年、悔いがいっぱい残っていると明かし「怪我をしなければ、もっと長くできたかなぁ」、「相撲しか知らない自分は辞めたらどうなるんだろうという不安があった。できれば死ぬまで相撲を取り続けたかった」などと語っている。
主な力士との幕内対戦成績
| 対戦相手 | 通算成績 |
| 千代の富士(横綱) | 2勝12敗 |
| 北勝海(横綱) | 6勝11敗 |
| 旭富士(横綱) | 6勝15敗 |
| 双羽黒(横綱) | 0勝2敗 |
| 大乃国(横綱) | 8勝6敗 |
| 朝潮(大関) | 0勝6敗 |
| 若嶋津(大関) | 1勝3敗 |
| 北天佑(大関) | 8勝4敗 |
| 小錦(大関) | 19勝19敗 |
| 貴乃花(横綱) | 5勝9敗 |
| 若乃花(横綱) | 6(1)勝9敗 |
| 曙(横綱) | 3勝10敗 |
| 武蔵丸(横綱) | 2勝6敗 |
| 貴ノ浪(大関) | 5勝4敗 |
※若乃花の(1)は不戦勝。
※他に優勝決定巴戦(1990年3月場所)で小錦に1勝、北勝海1敗がある。
●千代の富士には初対戦から11連敗と歯が立たなかったが最後の3戦に限ると2勝1敗である。(その1敗も霧島の勇み足)
●大乃国は平幕時代から得意とし、大乃国の横綱昇進以降も6勝3敗と勝ち越している。
●曙・貴乃花・武蔵丸らには大関時代から分が悪く苦手にしていた。相手が大関以降に昇進すると殆ど勝てなくなってしまった。
●若乃花には当初6勝1敗と圧倒したが大関晩年の1992年11月場所以降から8連敗を喫してしまった。
霧島のエピソード
新入幕から引退に至るまで天覧相撲で星を落としたことがなく、現役期間中に行われた取組14回全てで勝ち星を飾っている。そのため、記者に対し「毎日来てくれれば全勝なのに」と語ったことがある。
ゴルフが趣味であり腕前はシングルプレーヤー。現役時代は「ドラコンの横綱」と呼ばれ、力士会のゴルフコンペには欠かせない存在であった。
愛煙家であり、陸奥部屋付き時代には稽古場で喫煙しながら指導していたが先代陸奥から注意されたことをきっかけに携帯灰皿を購入して外から稽古を眺める形で指導するようになったという。
長江健次と親交があり、2014年8月2日に本人の生誕50周年を記念したライブにもサプライズ参加している。
無給だった幕下時代に知り合った夫人との間に一人娘がいるが、上記の父親の影響を受けてか、東北福祉大学在学中、ゴルフ部に所属していたという。
1988年夏場所、水戸泉と対戦で三度の物言いがつき、三度の取り直しの末、霧島が敗れた。
霧島は悔しさのあまり、取組みの直後にジムに行きトレーニングをしたという。
現役引退後の霧島
引退後は同部屋の弟弟子である寺尾が持つ年寄・錣山(しころやま)を借りて襲名した。
その後名跡を勝ノ浦(伊勢ノ海親方所有の借株)に変更し井筒部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていたが、1997年12月に陸奥親方(元前14・星岩涛)の退職を受け、陸奥に名跡変更(年寄株取得)するとともに陸奥部屋(みちのくべや)を継承した。
さらに2000年11月に立田川親方(元関脇・青ノ里)が停年退職した際に、立田川部屋を吸収して突如大部屋に変貌することになった。
2010年1月場所までは審判部に所属しており、幕内の取組で勝負審判を務めることも多かった。
2010年2月より日本相撲協会理事を務めるが、2011年4月に弟子の八百長問題の影響を受けて委員に降格となった。
現在は監察委員を務めている。
また、ちゃんこ料理店とジンギスカン専門店を経営している。
現在の霧島(陸奥親方)
ちゃんこ霧島 - 元大関霧島のちゃんこ料理店
ジンギスカン霧島 - 元大関霧島のジンギスカン専門店
陸奥部屋 公式サイト