刑事ドラマ(警察ドラマ)の歴史(概観):80年代までの刑事ドラマはアクションドラマ、現在は人間ドラマや謎解きが中心
1960年代までの刑事ドラマ:「警察」は推理ドラマの脇役、権力・圧政の象徴として扱いが良くなかった。
『にっぽんGメン』(1948年(昭和23年)から1960年) 製作した東映はこれを刑事ドラマの原点として紹介している。
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1961年10月より日本初の1時間連続ドラマとして『特別機動捜査隊』(NET(現在のテレビ朝日))の放送が開始された。
80年代までの刑事ドラマは派手な銃撃戦やカーチェイスを中心としたアクションドラマ志向だった。ヒーローもの。ヒーローが格闘と銃撃戦で犯罪者を倒すようなイメージ。
『太陽にほえろ!』(1972年・日本テレビ系列) 日本の刑事ドラマの代表格
『Gメン'75』(1975年5月24日・TBS系列) 単なるアクションドラマではなく、シリアスで社会派のハードボイルド志向を目指した
『特捜最前線』(1977年4月6日・テレビ朝日系列) 1981年頃、アクション重視の路線から「人情系」の路線へとシフト
『西部警察』(1979年10月・テレビ朝日系列)
『あぶない刑事』(1986年10月・日本テレビ系列) 1988年頃が最盛期の「トレンディ刑事ドラマ」系(最高視聴率:26.4%)
1980年代までの刑事ドラマは、警察組織の現実的な設定やリアリティではなく、「出演者のヒーロー性やカリスマ性」と「アクションドラマとしての娯楽性」を最重視した作品が中心となっている。
派手な銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンが毎回のように盛り込まれる作品には多額の制作費が必要となる。バブル崩壊前で、番組制作予算が潤沢だったから、こういう作品が作れたというのも理由になる。
各作品は、制作当時の社会的な情勢や風潮の影響も強く受けるため、それぞれ当時の世相や状況を反映させた路線や作風の変更、リニューアルや微調整がなされている。
バブル崩壊(1990年から92年)により人情・人間ドラマにフォーカスした刑事ドラマが頭角をあらわすようになる。刑事ドラマの原点の模索が始まる。
『はぐれ刑事純情派』(1988年・テレビ朝日) バブル崩壊後の第5シリーズ(1992年)に最盛期(最高視聴率:25.4%)
コミカルな要素と謎解きの魅力に特化した『古畑任三郎』の人気で刑事ドラマは大きな転換点を向かえる。バブル崩壊で番組制作予算が減ったことも変革の理由。
『古畑任三郎』(1994年・フジテレビ系) 最高視聴率:28.3%(1999年)
1990年から1992年前後のバブル崩壊で、製作予算がかかる派手なアクションドラマを作りにくくなり、景気悪化に伴う国民のマインド悪化もあり、ますます派手なものは作りにくくなっただろう。
このコミカルな謎解きストーリーの『古畑任三郎』がバブル崩壊後の時代にマッチしたのは、至極妥当だと思えます。脚本重視・人間関係重視の刑事ドラマの可能性が見えてきます。
『踊る大捜査線』以降の刑事ドラマは、所轄と警視庁の対立・警察の内部事情など現実の設定を押さえた人間ドラマ志向へ。刑事ドラマは完全に変わっていく。
『踊る大捜査線』(1997年1月・フジテレビ系) 最高視聴率:23.1%
所轄と警視庁の対立・警察の内部事情など現実の設定を押さえた人間ドラマである『踊る大捜査線』は非常にエポックメーキングな作品であり、その後の刑事ドラマの方向性を決定付けた作品と言えるでしょう。
派手なアクションドラマタイプの刑事ドラマから人間ドラマタイプの刑事ドラマへ完全に舵が切られたと言えるでしょう。主人公だけでなく味のある脇役が活躍をすることでチームワークによる問題解決が強調されている。