ジョージ・ハリスン

George Harrison
1943年2月25日生まれ。
ザ・ビートルズのメンバーとして活躍し、解散後はソロとして活動。2001年に肺癌と脳腫瘍のため死去。
特徴的なスライドギターの名手で、2011年版の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」で第11位。
1988年ビートルズのメンバーとして、2004年には個人としてロックの殿堂入りを果たしています。
ザ・ビートルズ時代の代表曲
ビートルズ時代のジョージ・ハリスンの作品は、1作のアルバムにつき2曲しか発表できなかったため「タックスマン」「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」「嘘つき女」「恋をするなら」など20曲程度しか残せていません。
但し、後期になると「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」などの美しく完成度の高い曲を発表しています。
ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス (While My Guitar Gently Weeps) は、1968年に発表されたザ・ビートルズのアルバム『ザ・ビートルズ』(通称『ホワイト・アルバム』) に収録されています。
映像は、ザ・ビートルズ解散後のバングラデシュ・コンサートからですが、ここでリードビターを弾いているのが若かりし頃のエリック・クラプトンですね。
で、そのエリック・クラプトンはザ・ビートルズのアルバムでもゲスト参加して弾いていました。
オール・シングス・マスト・パス

オール・シングス・マスト・パス - All Things Must Pass
ザ・ビートルズ時代は、圧倒的な存在感を放つジョン・レノンとポール・マッカートニーの陰に隠れて、あまり目立たない存在だったジョージ・ハリスンですが、解散後早々にソロ活動を開始し、ザ・ビートルズのメンバーの中で最も高い評価を受けました。
それが実質的な初のソロ・アルバムであり、歴史的な名盤ともいわれる『オール・シングス・マスト・パス』です。
ジョージ・ハリスンの妻であったオリヴィア・ハリスンさんは、『オール・シングス・マスト・パス』のことをこのように語っています。
オリヴィア・ハリスン 電話インタビュー - ジョージ・ハリスン - UNIVERSAL MUSIC JAPAN
このアルバム『オール・シングス・マスト・パス』からは、LPレコードで3枚組という大作でしたが、全英・全米ともに第1位を記録しました。
また、「マイ・スウィート・ロード」(My Sweet Lord)がシングル・カットされ、アメリカの『ビルボード』、『キャッシュボックス』ともに4週連続第1位を獲得しミリオン・セラーとなりました。
イギリスでは1971年度の年間チャートの1位にもなっています。
オリヴィア・ハリスンも語っておられるように、このアルバム『オール・シングス・マスト・パス』にはエリック・クラプトンをはじめとしてデレック&ザ・ドミノスが参加しています。
デレック&ザ・ドミノス

いとしのレイラ
デレク・アンド・ザ・ドミノス(Derek and the Dominos)は、エリック・クラプトンが在籍したアメリカのロックバンドです。
アメリカ南部のブルースロックやサザンロックに強い影響を受けたエリック・クラプトンは、デラニー&ボニー&フレンズからボビー・ウィットロックとカール・レイドル、ジム・ゴードンを引き抜いて1970年に結成しました。
そして、1970年11月にアルバム『いとしのレイラ 』を発表します。
実は、このレイラとはジョージ・ハリスンの当時の奥さんパティ・ボイドです。
名曲「いとしのレイラ」のモデル、パティ・ボイド

パティ・ボイド
パトリシア・アン・ボイド(Patricia Anne Boyd)1944年3月17日生まれ。
イギリスのモデル、写真家として活躍。
ジョージ・ハリスンの「サムシング」、「フォー・ユー・ブルー」やエリック・クラプトンの「いとしのレイラ」、「ワンダフル・トゥナイト」、「ベル・ボトム・ブルース」などの曲にインスピレーションを与えたといわれています。
しかし、今見ても、なんともキュートですね。
ジョージ・ハリスンやエリック・クラプトンが一目惚れするのもわかるような気がしますが、他にもザ・ビートルズのジョン・レノン、ザ・ローリング・ストーンズのミック・ジャガーも魅かれていたそうですよ。



ジョージ・ハリスンとの出会いは、1964年、パティ・ボイドが19歳のときで、映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』にビートルズファンの女学生役で出演した時でした。
最初にジョージ・ハリスンがパティ・ボイドに「結婚しないかい?」と言ったところ、パティ・ボイドが笑ったため、「じゃあ、結婚してくれないなら、今夜夕食でもどう?」と誘ったそうです。
その後、付き合いが始まり1966年2月21日に結婚しています。

ジョージ&パティ
アルバム『オール・シングス・マスト・パス』に続くソロ2枚目の『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』も大ヒット。パティ・ボイドと仲睦まじく幸せな日々を送っていたことでしょう。
そこに突然、親友エリック・クラプトンから愛妻を略奪されるという思いもよらぬ(たぶん)ことが起きてしまいます。
世紀のスキャンダルです。
エリック・クラプトンとジョージ・ハリスンは1960年代の終盤ごろから親しい友人となり、作曲やレコーディングを共に行うようになっていました。エリック・クラプトンがパティ・ボイドに恋をしたのもこの頃とされていて、前述のようにエリック・クラプトンはパティ・ボイドへの切なく、どうしようもない想いを『いとしのレイラ』に込めています。
美男美女といいますか、ベストカップルですね。
ほんとうにお似合いです。


ジョージ、嬉しそう!
しかし結局、ジョージ・ハリスンとは1974年の6月に離婚し、エリック・クラプトンと結婚することに。

で、こちらも負けていませんね。
とてもステキです。

エリック&レイラ


それから
エリック・クラプトンとパティ・ボイドの付き合いが始まったのは、ジョージ・ハリスンの3枚目のソロアルバム『ダーク・ホース』制作中の出来事だったそうです。
このアルバム、多忙なスケジュールや私生活上でのトラブルが原因と言われていますが、声がガラガラで曲によっては別人が歌っているように聞こえるほどです。
同時期に行われた最初で最後となったアメリカ・ツアーもこの声のせいでしょうか酷評されてしまいます。
ザ・ビートルズ解散後、順風満帆だったソロ活動に陰りがみえてきます。
『ダーク・ホース』にはエヴァリー・ブラザーズのカヴァーで「バイ・バイ・ラヴ」という曲がはいっています。パティ・ボイドと別れた悲しみを反映しているといわれていますが、暗い!あまりにも暗いアレンジになっていて、エリック・クラプトンの情熱の全てをつぎ込んだような「いとしのレイラ」とはあまりにも対照的です。

全米ツアー時のジョージ・ハリスンの雄姿
エリック・クラプトンとパティ・ボイドは1979年に結婚し、1989年に離婚してしまいます。
しかし、その間も、その後もジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンは深い友情で結ばれており、それはジョージ・ハリスンが亡くなるまで変わることはありませんでした。

ジョージ・ハリスン追悼コンサート