2006年9月6日は秋篠宮紀子さまのご出産でお祝いムード一色となりました。
TV各局が慶事を伝える中TV東京の街頭インタビューでは・・・
どこにでもある街頭インタビュー、しかしこの男は只者ではなかった

って高橋名人じゃん!
あのころ、子供たちの「神」だった
もはや説明など不要なくらい、ファミコン世代ならば誰でも知っているお兄さん。
それが高橋名人だったのです。これはTV局の仕込みでもなんでもなく、お仕事でたまたま歩いていたところを、TV東京にインタビューされた、というのが真実なようです。
神であると同時に「まっとうな大人」だった

高橋名人の名言
ハドソンのハチのマークと高橋名人。16連射という響きのかっこよさと、ゲーム会社の社員でありながら、子供たちに「ゲームは一時間まで」と諭すまっとうさ。当時はこの発言は「ゲーム会社の社員なのにゲームのやりすぎはだめなんて!」と社内でかなり問題になったようです。
「ゲームは一日一時間。外で遊ぼう元気よく」という部分がとても有名なフレーズですが、その後に「ぼくらの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。ぼくらは未来の社会人」という言葉が続きます。
高橋名人の温かみのある人柄が伝わってくる言葉ですね。現代のこどもたちにもぜひ、変わらず伝えていきたい言葉です。
「高橋名人」誕生は1985年、小さなイベントからだった

高橋名人現る
高橋名人 - Wikipedia
当時の「特別」はゴールドだった、だってバブルですもの

キン肉マンマッスルタッグマッチ ゴールドカートリッジ

当時のお菓子「ハイスコア」
改めて、高橋名人のすごさを振り返る
1983年に「ファミリーコンピュータ」が発売されたものの、そのブームはまた一部だけの盛り上がりでしかありませんでした。一気にブームが爆発したのはその2年後の1985年頃。くすぶりつつ、点火のきっかけを待っていたファミコンブームの前夜、その頃彗星のように現れた子供たちのヒーロー。それが高橋名人だったのです。
始まりはコロコロまんがまつり
ハドソン全国キャラバン~スターソルジャー1986~ - YouTube
十六連射のヒーロー登場
ゲームが上手いお兄さん、という高橋名人のスタンスが一気に大ブームになった火付け役は「16連射」でした。
16連射 (じゅうろくれんしゃ)とは【ピクシブ百科事典】

懐かしのシュウォッチ!
「子供を指導するのではなく、一緒に遊んでいるお兄ちゃんでいよう」
こうして改めて動画を見てみると、高橋名人の語り口調と声の調子がとても優しいことに改めて気付きます。終始語りかけるように、色々なアドバイスをしてくれます。なかでも、子供たちが最も知りたい疑問である「どうすれば高橋名人みたいにうまくなるの?」という疑問に答える形で、「お友達と一緒に遊びながらテクニックを学ぶ」(だからみんなで仲良く、おしゃべりしながら遊ぶんだぞ)という優しい本音が透けて見えている気がしますね。「ゲームは惰性でやったってうまくはならないぞ」というまっとうなコメントも、だからゲームをやりすぎちゃ駄目だぞ!という意味合いでおっしゃってたのかな、と思ったりします。

高橋名人からのアドバイス
有名になりすぎたがゆえの弊害もあった
高橋名人 - Wikipedia
おそらく高橋名人のお話に基づくと仙台でこの噂は始まったと予想されます。当時はネットもスマホもないのに、900キロ離れた場所の小学生だった私の元にもこの噂は流れてきました。この伝播の大きさは何だったのでしょう。それほど高橋名人が子供たちに注目されていた存在だったといえるのかもしれませんが、この噂によって、ハドソンには業務に支障をきたすほどの多くの問い合わせが殺到したのだそうです。なんともひどい話です。
“高橋名人”という社会現象―高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編) (1/5) - ITmedia ビジネスオンライン

高橋名人を特集した東京新聞の記事
高橋名人のファミコンゲーム別攻略法 - YouTube
思い出|高橋名人オフィシャルブログ「16連射のつぶやき」Powered by Ameba -3ページ目
怒涛のメディアミックス!
当時は実在の芸能人とか人を主人公にしたファミコンソフトが多かったとはいえ、高橋名人はついにゲームの主人公にまでなってしまいました!
Bugってハニーゲームブック
スーパーファミコン発売と「冒険島Ⅱ」発売、その因果関係を考える
1990年には、スーパーファミコンの後続機「スーパーファミコン」が発売されました。
あずき色でごつごつしたフォルム、どこか骨太な感じがした初代ファミコンに対し、スーパーファミコンは緑、黄、赤などボタンがポップな色使いで、コントローラーも機体も丸みを帯びたフォルムでした。「入れ方を誤ると色が反転したり、ドットがズレたりする」「イジェクトレバーがしぶい」「ソフトがなかなか抜けない」という初代の弱点を克服し、本体部分に滑らかな動作感があったように思います。軽量化はしましたが、コントローラーがあまりにも軽すぎて、ややチープになった感はありました。

スーパーファミコン
スーパーファミコン元年翌年、敢えて「ファミコン」で発売された謎



高橋名人の冒険島Ⅱの新要素
高橋名人の冒険島II - YouTube

高橋名人の冒険島Ⅱの新要素②

ハドソンゲームコレクション
Amazon.co.jp: ハドソンベストコレクション VOL.6 冒険島コレクション (高橋名人の冒険島、II、III、IV 収録): ゲーム
子供の夢を守ろうとした大人たち

「高橋名人の冒険島」と「冒険島2」の比較画像
実は「リボン」が描かれているのは「冒険島」だけです。この「リボン」は、当初発売前に水着の女性が敵に攫われている、という表現を、子供たちにゲームを買い与える立場のお母さんたちに「いやらしい」と思われるのではないか、という危惧から付けられたものなのだそうなのです。リボンを付けることで、きわどい部分を隠したのだそうなのです。あんまり隠れてない気もするのですが・・・。
いくつかの高橋名人のインタビュー記事のなかに出てくるエピソードですが、高橋名人はブレイク当時、会社の偉い人に、いかがわしい界隈をたまたま通りかかることすら制限されたことなど、語っています。「週刊誌の写真に撮られでもしたら、子供たちにどう説明すればいいんだよ!」と諭されたという言葉が印象に残りました。
あのころ、ファミコンはまるで魔法の詰まった宝箱でした。そんな宝の山の中で遊ぶことができたことと、あの頃子供であったことを心から良かったと思うのです。
16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (1/5) - ITmedia ビジネスオンライン

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