「暗黒大陸じゃがたら」デビュー

1979年、日本のロック・インディーズシーンに突如あらわれたロックバンド「JAGATARA」
ファンク、レゲエ、パンクのごった煮のサウンドと、ボーカル「江戸アケミ」の特異なキャラクターで一躍有名になりました。
活動初期のバンド名は「じゃがたら」
また、ライブを重ねる度に 『江戸&じゃがたら』。『暗黒大陸じゃがたら』、『財団法人じゃがたら』etc・・・名称を少しずつ変化させていました。
エロ・グロ・ナンセンス?過激なパフォーマンスで有名に

活動初期のJAGATARAは、パンクロック色が強くステージングも過激でした。
当時、豚の内蔵を客席に投げ込むパフォーマンスをすることで有名だったTHE STALINと並び、サブカル的な関心を集め数々の雑誌に露出していきました。
一度食べたものを嘔吐してまた食べる、額を割って流血する…とにかく、過激さのための過激さというか、自虐のエスカレーションのような阿鼻叫喚のステージであった。
http://ameblo.jp/hide-smile/entry-10755930955.htmlじゃがたら…という狂気と情熱|What's Entertainment ?
群を抜いたパフォーマンスで注目を集めたJAGATARAでしたが、バンドの音楽性ではなく風俗として扱われる事に嫌気がさしたボーカルの江戸アケミは1981年、音楽活動に専心することを決めました。
JAGATARAの音楽性 その進化と評価
音楽活動に専念することを決めた翌年の1982年。
JAGATARAはファースト・アルバム『南蛮渡来』を自主制作で発表します。
ファンクを取り入れたサウンドとその高度な技術が一部のロック専門誌上で絶賛されました。
また、江戸アケミが生み出す 皮肉を含んだ言葉遊びのような歌詞と、語りかけるようなボーカルスタイルは熱狂的なファンを獲得しました。
今でも彼の残した格言はファンの間で語り継がれています。
モンティー・ホール問題公式サイト:今日の名言 江戸アケミ - livedoor Blog(ブログ)
JAGATARAのメンバー

JAGATARA - Wikipedia
江戸アケミの死。JAGATARA終焉
1989年、アルバム「それから」でビクターからメジャーデビューしたJAGATARA。
順調にバンド活動を行っているように見えましたが、その中でボーカルの江戸アケミは不眠症に悩まされ、幾度となく体調を崩します。
そして1990年1月、自宅の浴室で謎の溺死。バンドの中心人物を失ったことで JAGATARAの歴史は突然の終止符を打つことになりました。
しかし、活動停止後も彼等の残した音源や高度なステージング、そして江戸アケミの天才的な人物像は伝説として語り継がれています。
JAGATARAの残した音源

JAGATARA - Wikipedia
いかがでしたか?多様な音楽性で精神世界を表現し続けた天才 江戸アケミとJAGATARAの軌跡。
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