1978年11月10日に2ndアルバム『動乱(獣を野に放て) (Give 'Em Enough Rope)』を発売。
その後、クラッシュは音楽性の幅を広げ、他のパンクバンドとは一線を画した作品をリリースすることになる。1979年12月14日に3rdアルバム『ロンドン・コーリング』ではアメリカでも広く知られるようになり、今までパンクをこき下ろしてきたイギリスの音楽批評誌にも絶賛されることとなる。
アルバム「ロンドン・コーリング」のジャケット写真、ポール・シムノンが自らのベースを叩き壊しています紛れもなくパンクの象徴となったショット
http://ameblo.jp/babyr/entry-10728473664.htmlベースは低い位置で構えろポール・シムノン Rock The Casbah@THE CLASH|ベイビーアール代表 Kiyokoのブログ
1980年12月12日に4thアルバム(3枚組の意欲作)『サンディニスタ!』を発売。本国だけではなくアメリカでも次代を担うバンドの一つとしての評価を確立しました。
しかし、バンド結成の立て役者でありながら一度は解雇されたバーニー・ローズがマネージャーの座に復帰したのを契機に、メンバー間の関係性にヒビが入りはじめました。
1982年5月14日に、5thアルバム『コンバット・ロック』発売前に、バーニー・ローズの発案で、話題づくりのためストラマーが失踪。このことがきっかけとなりメンバー間に不協和が生まれ、『コンバット・ロック』発売直前にトッパー・ヒードンがヘロイン中毒により脱退、1983年3月28日にカリフォルニア州サンバーナーディーノで開催されたUSフェスティバルを最後にジョーンズがグループをクビになってしまいます。
当時のミック・ジョーンズの解散では・・・。
ストラマーとシムノンは新メンバー3人を迎えた新体制で再出発を図るが、1985年11月4日に発表した6thアルバム『カット・ザ・クラップ』はメディア、ファン両者の支持を得られず、結局バンドは解散しました。
クラッシュ再結成、か? - 本と奇妙な煙
ザ・クラッシュの出したアルバムはどれも素晴らしく、現在でも色褪せない曲が多いです。私的には、当時人気だったセックスピストルズよりザ・クラッシュの曲の方が楽しめ聴くことができ、音や歌詞のセンスもあると思っています。有名になった事でバンド内で色々とありましたが、最強のメンバーが終結した最高のバンドです。
ザ・クラッシュが日本で来日公演をしていた!!
ボーカルのジョー・ストラマーについて
ジョー・ストラマー失踪 - 本と奇妙な煙
1999年に結成したバンド『ザ・メスカレロス』では、
クラッシュ再結成、か? - 本と奇妙な煙