ガッツ石松  伝説の男は幻の右でKOしガッツポーズとってOK牧場

ガッツ石松 伝説の男は幻の右でKOしガッツポーズとってOK牧場

プロテストは2回目で合格。世界チャンピオンになるまで10敗以上。そして層の厚いライト級で世界タイトルを5度防衛。間違いなく偉大なボクサーである。


ガッツ石松

ガッツ石松

本名は鈴木 有二
プロボクサー
WBC世界ライト級チャンピオン
5度防衛
俳優
タレント
広島国際学院大学現代社会学部客員教授
ガッツエンタープライズ代表取締役社長

鈴木 有二

ガッツ石松は栃木県上都賀郡粟野町の農家に生まれた
周囲は鮎、ドジョウ、栗、柿と自然いっぱいの山河だった
ガッツ石松はガキ大将だった
たくさん喧嘩もしたしイタズラもした
授業もサボったし田んぼ畑から食い物を盗んだこともあった
しかしそれは男のメンツを貫くため
そして我慢できないほどの腹を満たすためだった
たしかに家は貧しかったけれど
人を羨んで卑屈になるようなことなかった
まして卑怯なことや陰湿なことはしなかった
ただ悔しい思いはたくさんした

お徳用マッチ箱の衝撃

ガッツ石松には
同級生に密かに好きだった女の子がいた
地主の娘だった
放課後、校門を出ようとしたときだった
「あ、有ちゃん(ガッツ石松の本名は鈴木有二)!」
とその女の子がニッコリ笑いながら頭を傾けた
そのとき跳ねたお下げの髪がかすかに頬に触れた
その瞬間、道端にヘビがいるのがみえた
そしてなぜかそれをつかんで振り回しながら
その女の子を追いかけてしまった
気がつけば
後ろから先生に捕まえられ
シクシク泣く女の子をみながら呆然とした

検便のときのこと
当時は各自、家からマッチ箱に便を入れ学校に持ってきて提出するシステムだった
教師が便を集めていくとき
ガッツが密かに好きだった女子のマッチ箱をふざけて取り上げた男子がいた
ガッツは怒りそれを奪い返した
しかしそのマッチ箱が衝撃的に重かった
その女の子のマッチ箱は普通のマッチ箱ではなく家庭用徳用マッチ箱だった
ガッツは心の中で絶叫し泣きたい気持ちになった

ガッツは自宅の裏に鳩小屋をつくり
そこに雛から育てたカワラ鳩が数羽いた
「ほーら、お前らちゃんと帰ってこいよ
迷うんじゃねえぞ」
そういって飛ばしてやった
躾けられらた鳩たちは
数時間後には帰ってきた
そしてガッツはこの鳩を欲しがる人にこれを売った
「ヒモもつけてやっぺ
えっか?
1日1度は飛ばしてやるといいっぺ
運動させてやるのが長生きさせるコツだべ」
こうして転売を繰り返した

自転車事件

あるとき村の地主が息子のために買った自転車がなくなり
ボロボロになって見つかったことがあった
ガッツ石松は駐在所に連れて行かれた
ガッツ石松にはうすうす犯人がわかっていた
それは子分格の同級生だったが
「知らない」
「やっていない」
を繰り返した
翌日、その同級生は学校を休んでいた
ガッツ石松は家に行き凍りつくその同級生にいった
「でえ丈夫だ
おめえの名はいってねえ
そんなこと、オラ知らねえ
けんどオラの気持ちはこのままじゃすまねえべ
わかってんな」
と拳を突き上げてみせた
聞いてみると
あまりに自転車がかっこよくて
調子に乗って乗り回していて壊してしまったことを認め
かつ彼の家は自転車を盗まれた地主の田んぼを借りていることを話し
そして謝罪した
ガッツ石松は
(コイツもツレえんだ
オラがちっと我慢するだけのことだ)
と思った
「もういいべ
おめえ、ちゃんと明日っから学校出てくっぺ
じゃな」

保護観察処分

自転車が盗まれ壊された件で
真相を話さないガッツ石松は裁判所に送られ保護観察処分となった
判事の前でもガッツ石松は
「やっていない」
といい続け真相はしゃべらなかった
「やっていない」ことも真相だけど・・・
「まったく君みたいに強情な少年はみたことがない」
「すみません
私からもよく言い聞かせますんで」
唇を尖らせている息子の隣で父親がひたすら謝った
「そうおっしゃっても本人に反省の色がみられないのでは困りますね」
ガッツ石松には
なぜここまで責められるのかわからなかった
「まったく・・・
お父さんもお父さんだ
いったいどんな育て方をすればこんな乱暴者になるのか
いいですか
貧しさをいいわけにしてはいけませんよ
いかに貧しくても
盗まず不正はせず志高く清らかに生きることはできるんです」
「はい、すんません」
「今後はちゃんと親として責任を果たしてもらわないとね」
「す、すんません」
「父ちゃんは悪くねえ」
ガッツ石松はいった
「なんですか?
有二君」
肩眉を吊り上げ判事がいった
「すんません
ほんとにもう2度とご迷惑は」
父親はあわてて息子の頭を手で押さえ下げさせた
(なしてだ
なしてそったら頭下げなくっちゃなんねんだ)
惨めさと腹立たしさで涙が出た
「有二君、いいですね?
今後ご両親に迷惑をかけるようなことはしないと約束できますね?」
父親は必死に息子をみた
「約束できますね?」
ガッツ石松は黙ったまま頷いた

1杯のラーメン

裁判所を出て
父と息子はラーメン屋に入った
「ラーメン?」
ガッツ石松は初めてだった
「ラーメン1つ」
「ハッ?1つ?」
「はい1つ、お願いします」
やがて出てきた湯気の立つドンブリをガッツは一気に食べてしまった
「どら」
息子の食べっぷりをみつめていた父親は
丼の底に残った僅かな汁にコップの水を注ぎ
指で混ぜてグビグビと飲んだ
店を出るとき洗ったようにきれいな丼がテーブルに1つあった
中学3年生になる直前の春だった

アベベショック

上京

東京都品川区
小さな町工場が並ぶ一角に
ガッツ石松がの就職先があった
工場で出来上がったネジを自転車に積んで配達し
ステンレスのブラシで機械の汚れを落とし
布で磨き油をさした

3日後、駅のゴミ箱で拾った新聞で
日暮里の弁当屋の仕事を見つけ
その日のうちに強引に働き出した
ネジ屋で学んだことは安易に夢を口にしないことだった
密かにボクシングへの想いを燃やしつつ働いた

ヨネクラジム

上京して1年
「この近くに米倉ジムっつうのがあんべ」
ある日、再会した栃木の同級生がいった
この何気ない一言で決まった
次の日、ガッツ石松は
仕事後、入会金と月謝を持って米倉ジムに向かった
暗い路地にジムの明かりが漏れていた
中では男たちがひたすらトレーニングに励んでいた
「こんにちは」
「なんだ!」
「あのオラ、ボクシングがやりたくて
よろしくお願いします」
「入会希望か
この紙を書けや」
と紙と鉛筆を渡された
住所、氏名、年齢、希望を記入するようになっていた
希望にはアマチュアとプロの選択
「ボキッ」
プロと書こうとして力が入り鉛筆の芯が折れた
「あっ」
「どうした」
「あの鉛筆が」
「しょうがねえなあ、ホラ」
投げられた2本目の鉛筆もまた折れ
3本目でやっと書き上げた
「鈴木有二
プロ希望か
俺はトレーナーの松本だ
厳しいぞ
やれるか」
「はい!
よろしくお願いします」
「おう!
ロッカーはそっちだ」

松本清司トレーナー

サンドバッグが1つ空いていた
ガッツ石松はそっと近づき
1発、ドスッと殴った
1年ぶり、柿の木以来だった
「気持ちいいべ」
夢中で殴った
「今までやったことあんのか?」
いつの間にか松本トレーナーが立っていた
松本清司トレーナーは
「ボクシングの鬼」と呼ばれ
愛弟子を試合中の事故で亡くした後も
男たちをリングに送り出し5人の世界チャンピオンを生み出した伝説のトレーナーで
自ら「ボクシング中毒」と公言していた男だった
「いえ」
「ふーん
おい、誰かこいつにグローブつけてやれ」
いわれるまま生まれて初めてグローブをつけてもらった
「準備できたらこっち来いや」
リング上から松本トレーナーが呼んだ
「沢登、お前相手してやれ」
いきなりのスパーリング
ファイティングポーズをとれたのは最初の15秒だけ
喧嘩腰で向かっていったが
ガンガン、パンチをもらい
3R目にガックリ膝を折ったオエオエとえづいた
「よーしそれまで
沢登、どうだ?」
「いいんじゃないすかね」
「そうか
おい鈴木
明日からもちゃんと来いよ」
松本トレーナーは歩いていった
「おい」
沢登が手を伸ばしガッツ石松を助け起こした
「大丈夫か?」
「ああ」
「まるで喧嘩だな
面白いよ
けどな
ボクシングは喧嘩じゃない
スポーツだぜ
それだけはキッチリ区別しろよ」
「そうけ
じゃあオラ、喧嘩とボクシングの両方でそのうちおめえをぶっちめてやる」
「強気だな」
「弱気でボクシングなんかできねえべさ
オラいつかチャンピオンになんだ」
「どっちが先にチャンピオンになるか
その相談も兼ねてこれからメシ食うってのはどうだ?」
「いいな!」

米倉ジムに通って4ヶ月
17歳をなるのを待ちかね受けたプロテストは不合格だった
「お前のはボクシングじゃねえ」
松本トレーナーにいわれた
スパーリングでは相手を圧倒した
しかし荒っぽすぎた
まるで殺し合いのようだった
次の日ジムにいったときのこと
「こんにちは」
「おお何しに来た」
「あの練習に」
「そうか
まだやるか」
「はい」
松本トレーナーはニヤッと笑った
「心配するな
大丈夫だよ
とにかく脇を締めて大振りはしないこと
荒い癖のついた自己流は嫌われるからな
それだけ気をつければ大丈夫だ」
沢登にいわれた
「けどオラ不合格だ
おめえは1発で合格だったんだんべ?」
「俺は器用なだけだよ
でもお前は違う
どこまで強くなるのかわからない
コワいよ」
ガッツ石松は
1ヵ月後のテストでプロボクサーになった

鈴木石松となる

デビュー戦を1RKO
その後も連勝した
5戦目は不慣れなサウスポーを相手に判定負けした
「しょうがねえなあ」
と米倉会長は
ガッツ石松を
ジムの後援会長であり安土桃山時代の武将、蜂須賀小六の末裔だという蜂須賀氏に引き合わせた
「お前の面構えは森の石松そっくりだねえ」
「はっ?」
「決まりだ
今日からお前は鈴木石松だ」
「いいですねえ
ついでに三度笠に道中合羽でも羽織らせますか」
「ちょんまげ結って刀差すってのはどうだ?」
わっはっはと会長たちは盛り上がっていた
そして6戦目、
三度笠、合羽姿で登場
合羽をからげて
三度笠を客席に向げ投げポーズをとった
「(ゴチン!)痛ェッ!」
笠が大きく弧を描いて後頭部に直撃した
会場は大ウケ
レフリーと対戦相手も笑いをこらえていた
そしてこの前回負けたサウスポーボクサーとの再戦を引き分けた
この後、月1回というハイペースで試合をこなしていった

石松組

「一途もいいけど
硬すぎる刀は折れやすいってな
俺みたいなナマクラでちょうどいいのさ」
そういう沢登に誘われ
ジムの帰り道に酒を飲み
仲間内で花札をやった
さらに沢登からイカサマ技も教えてもらい
ジムの仲間から小遣いを巻き上げるようになった
博打で金を得るようになると弁当屋をやめた
親分肌のガッツ石松の周りには自然と仲間が集まってきた
その中には栃木時代の仲間もいた
彼らは自らを「石松組」と呼び
花札で遊び
お姉ちゃんをからかい
侠気を競い合った

やがて石松組は白タク
(営業許可を受けず自家用車でタクシーをすること)
を始めた
定職がなくなり自然と生活は荒れたが
ジムでの練習は力が入った
鼻息を荒くしてがむしゃらにパンチを叩き込んだ
そして全日本ライト級新人王となった
同期の新人王にウェルター級の輪島功一がいた
ガッツ石松が19歳のときである

世界挑戦1

20歳で
ガッツ石松は
東洋太平洋ライト級チャンピオン:ジャガー柿沢に勝ち
ジャガー柿沢が挑戦するはずだった世界タイトルマッチに挑むことになった
試合はパナマで行われた
「ピー、エヌ、エー、エム
オラの飛行機だべか
パナマって書いてある」
そういってガッツ石松はパンアメリカン(PANAM)航空の飛行機に乗った

自分を、自分の拳を信じられる者と信じられない者

パナマから帰ってくると
また石松組の面々に囲まれ
ボロアパートでイカサマ花札を引いて
ジムで1時間半ミッチリ練習し
白タクを転がす生活に戻った
ガッツ石松に限らず
チャンピオンになれない多くのボクサーは悲惨だった
夢をあきらめて世間の片隅で生きていく者
ヤクザな用心棒に身を落とす者
覇気をなくし生きていく者
多くの者が落ちていく世界だった
しかしたとえチャンピオンになれなくても
たとえ試合に勝てなくても
自分を、自分の拳を信じられる者がいる
チャンピオンになれるかなれないかではなく
自分を信じられるか信じられないか
それこそボクシングの本当の意味なのかもしれない
沢登は
ボクシングを引退した後、自殺した
ガッツ石松は
悔しかった
悔しくて腹が立った
「いっぱしの男になる
絶対に勝たくなくちゃならねえ」
と誓った
ガッツ石松は土壇場で自分を信じられる男だった

東洋太平洋ライト級チャンピオン

昭和47年
東洋太平洋ライト級チャンピオンへ挑戦した
相手は門田新一
昨年対戦し8RKO負けしていた

「したっけれ
勝つのはオラだ
強いヤツが勝つんじゃねえ
勝ったヤツが強いんだべ
そうだろ?沢登
おめえもそう思うだろう」
そして12R戦い判定で勝ち
「今の目標は生意気ですがブキャナン(当時WBA王者)です」
と試合後に語った

場外乱闘8KO事件

マージャンをしていたとき電話が鳴った
ガッツ石松が出ると白タクを流していた仲間の青木からだった
「兄ぃ、
や、やられ・・・
池袋・・・」
「なにいってんだかわかんねえ
ハッキリいってみろ」
「・・・巻かれてる
別・・・白タクのヤツらだ
チクショー
向こうは10人くらいいやがる」
「クソッタレ
今行く
待ってろ!」
受話器を叩きつけガッツ石松は1人で飛び出した

深夜の池袋をひたすら走った
やがて人だかりをみつけた
15、6人の男がオモチャのように2人の男を弄んでいた
その周りに大勢の野次馬が囲んでいた
ガッツ石松をみつけた青木は
ボコボコの顔を歪めて泣き笑いの表情になった
「兄い!」
「おう、悪かった」
「なんだ?てめえ」
「関係ないヤツはすっこんでろ」
「悪いな、関係あんだよ」
男たちはいきり立った
「邪魔するんじゃねえ」
「ぶっ殺す」
1人がナイフを出して構えニタッと笑った

(卑怯っ)
ガッツ石松は多勢の上に素手で戦わないことにキレた
(カス以下だ)
腹は決まった
スッと腰を落とし構えた
「ウグッ!」
「次ッ!」
「ウッ」
「おめえも!」
「ウゲッ」
東洋チャンピオンの拳は次々と男たちを地面に沈めていった
ガッツ石松は8人までは数えていたがあとはわからなかった
時間にしてわずか1分足らず辺りに男たちが転がってうめき声を上げていた
「そこまでだ!!!」
肩に固く冷たいものが押し当てられた
「あんだ?」
みてみるとそれは警棒だった
次の瞬間、ガッツ石松は数人の警官にガッチリ押さえ込まれた
周りをみると
大勢の警官がいて
数台のパトカーがサイレンを鳴らし赤色灯を回していた
「現行犯で逮捕する」
手錠をかけられパトカーに押し込められた

池袋署の前ではたくさんの記者がいた
そして翌日
”石松8人をKO路上でケンカの助っ人”
”三度笠チャンピオン、路上で8人KO”
などとハデな見出しが躍らせた
この石松の武勇伝はTV、ラジオでも取り上げられた
当然、世間ではガッツ石松を非難する声も上がったが
胸にすくような助っ人ぶりに喝采を送る人もいた
留置所の部屋の中でガッツ石松は膝を抱きガックリ頭を落とした
これからのこと
嫁のこと
嫁のお腹の中にいる子供のこと
ボクシングのこと
不安ばかりだった
しかし翌日、面会に来た青木には笑顔をみせた
「兄ぃ、すまない、俺のせいで」
「怪我は大丈夫か」
その後、自分の房に帰って腹を決めた
(どうなるか、決めるのは俺じゃない
だからどうなるかはわからない
でもたとえどんな結果が出ても俺はボクシングをする
いっぱしになると約束したんだ
資格を剥奪されたらまた挑戦すればいいだけのこと
ここでやめたら負け犬だべさ)
翌日手錠をかけられ護送車で東京地検に運ばれた
そして検察官が言い渡した
「不起訴」
2日ぶりのシャバは快晴だった
迎えに来ていた石松組の面々に解散を宣言
白タクもやめると告げた

そしてその後、米倉ジムに向かった
さすがに敷居が高かった
しかしボクシングだけはやめるわけにはいかない
「ご迷惑おかけしました」
「おう」
米倉健司会長は軽くうなずくだけだった
「あの、これからもよろしくお願いします」
「おめえ警告処分だそうだぜ
コミッショナーだよ」
「え?」
「よーく反省して真面目にボクシングやれってこったろう」
「あのそれじゃあ」
「それからなおめえにもう1つ知らせがある
たった今岩手から連絡があった」
「あっ」
(岩手はガッツ石松の嫁の実家があった)
「女の子だそうだぜ」
「あああっ!!」
「1ヵ月後に試合だ
勝ちを土産に女房子供、迎えに行って来い」
「会長!あのオラ」
「この野郎
わかったら無駄口叩いてないでサッサと練習しろ」

昭和47年12月18日、
後楽園ホールのリングで
ガッツ石松は岩田健二を1Rで沈め
そのまま嫁と子供を迎えに行った
そして東京に帰ると
ボクシングとスナックのバーテンの仕事に励んだ

世界挑戦2

ガッツ石松となる

そしてこの後
「鈴木石松」は「ガッツ石松」に改名することになった
とうとう本名:鈴木有二は欠片もなくなった

エディ・タウンゼント

米倉会長は
エディ・タウンゼントをガッツ石松のトレーナーにした
伝説の名トレーナーである
「OK、ボーイ
あのネ
ボクシング、戦争ネ
戦争、相手殺す
OK?
負けること死ぬことネ」
(そうだ
勝たなくちゃなんにもならねえ
負け方考えていたオラはとことんバカだ)
「大丈夫
きっと勝つネ」
そういってエディはガッツ石松の手を覗き込んだ
「ナイス、ボーイ
この手、チャンピオンの手
OK?」

ガッツ石松は他人に強制されることが大嫌いで
万事独立独歩だった
トレーナーの命令でロードワークに出ると
途中で近道をして水道の水を浴びて全力疾走したようにみせた
「Hey、ガッツ、6時よ」
「エディさん、オレ眠いよ」	
「OK、じゃあ何時?
9時?
10時?
ハイ、10時ね」
「あ、起きます」	
「OK、走るね、GetUp」
エディはあくまで選手がやる気になるまで待った
そうされるとガッツとしても自然と起き上がれた
ガッツは初めて嫌いなロードワークを走り込んだ
こうしてすべて自分の責任においてトレーニングするのでごまかしは自分の損である
石松とエディのフィーリングはピッタリ合った

そして左を嫌になるほど繰り返した
「ガッツ
あんたの左はすっごく強い
でももっと強くなれる
あんたの打ち方は肘が上がっている
これだとパンチの力が抜けるのよ
左の脇を締めて下から上へ突き上げるの
アッパーで打つの」
エディの左手のミットを出したまま石松に左ばかり打たせた
「ミミズだって、体半分ちぎれても、コンチクショーって暴れるでしょ
もっとガッツがあるところみせてよ」
左、左、左、左である
それをバリエーションをつけていく
左ジャブ、左アッパー、左フック、左ボディ
ボディは相手のレバー(肝臓)をえぐる角度で打つ
10発20発と左を打った後、右を1発だけ打たせる
石松はうれしくて猛烈なパワーで右ストレートをぶち込む
パンチが生きるようになるまでエディはミットを受け続けた
ガッツクラスのパンチを受け過ぎると茶碗が持てなくなるがエディはかまわなかった
次はディフェンスの問題
石松はボディが弱かった
「ガッツ
ボディ空いてるね
それは肘でカバーするの
エルボーブロックね」
エディは拳を捻って肘を張ってカバーする防御を教えた

ガッツ石松は練習嫌いだとよくいわれた
確かにロードワークは嫌いだったが
ジムワークは好きで
スパーリングは大好きだった
ただしあくまで自己流にやった
ボクサーの三戒、酒、煙草、女も大歓迎だった
エディはいつもショートホープ、ハイライト、セブンスターを持ち歩くヘビースモーカーだが
ガッツ石松はエディに煙草をせびった
「オオ、ボクに煙草くれいうのガッツだけね」
そういいながら1本あげる	
そして練習はめいいっぱいやった	
「ガッツ
もういい
ストップよ」
そうエディが牽制するほどやった	
「ガッツ、練習キチガイよ」

世界挑戦3

3度目の世界挑戦に備え
伊豆の吉奈温泉で行われたキャンプでは
10kmの山道を駆け上がった
その後ろをスクーターに乗ったエディが追った
ガッツ石松の戦績を見ると冬に強かった
寒い季節にはKO勝利が増えている
寒いとスタミナが失われずにすむらしい
チャンピオン:ロドルフォ・ゴンザレスとの試合は1月
ガッツ石松は密かにほくそえんでいた
しかしゴンザレスが
ロスでトレーニング中に毒蜘蛛に刺され試合を延期したいと申し入れてきた
試合まで2週間という時だった
ガッツ石松は得意の冬の試合はパスされてしまった
「頭にきたぜ
俺が絶好調と知ってあの権兵衛は逃げたんだ
ロスまで行ってぶん殴ってやりたいぜ
こうなりゃオレはリングネームをスパイダー石松に変えて
野郎が日本に来たらブスリと毒針を刺してやる」
試合は4月ごろに延期になるため
異例の3度目のキャンプが行われた
延期はむしろラッキーだった
エディは左レバーブローを教えることができた

延期されていたガッツ石松の世界挑戦の日時が決定し
米倉会長は池袋のスナック:メモリーで記者会見を開いた
この時の思い出にふれるとエディは涙ぐんでいう
「たくさん記者を招いたの
でも来たのはたった5人よ、5人
ガッツ、かわいそうね
誰もガッツ、勝てない思った
それで5人しか来なかった
涙出るよ」
寂しい光景に米倉ジムのスタッフはがっかりした
独りガッツ石松だけは平然としていた
「来ないのは当然よ
これまでのオレの実績を考えてみろよ
オレが勝てると誰が思うものか」
長い下積みをくぐってきて無視や冷遇に対する耐性ができあがっていた
所詮この世は力がすべてなのだ
閑散とする記者会見パーティーの光景をみながら気にもとめなかった
「なんつたって実績がなければ誰も相手にしてくれないぜ
その代わり勝てばこんな狭いスナックなんか足の踏み場もなくなるほど人が詰め掛けるだろう
それが世の中というもんよ」
チャンピオン:ロドルフォ・ゴンザレスが羽田に到着
空港貴賓室で会見を行った
「毒蜘蛛に刺されたのは不覚だった
右膝がフットボールみたいに腫れてしまった」

ガッツ石松とエディは赤坂プリンスホテルに入った
ホテルの脇の坂道でガッツ石松自慢の外車がエンジンストップしてしまった
試合が近い選手に車を押すなんてさせられないよと
エディは石松を運転席に残してウンウンいいながら後ろから車を押した
「ガッツ
車はやっぱり乗るもので押すもんじゃないね」
やっと動き出した車の助手席でエディは息を弾ませて笑った
石松はそんなエディの気持ちに応えたいと思った
「エディさん
オレ必ず勝つよ
相手も人間
オレのパンチが当たったらKOさ」
「そうよガッツ
あんたは強いよ
勝つ負けるはあんたの気持ちの問題よ」
石松は過去2度の世界挑戦ではどうせ負けると思いろくな練習もせずに乗り込んだ
それで後にラグナ、デュランという名チャンピオンを相手に10Rまで耐えた
倒れたのはパンチが効いたのではなく
練習不足によるガス欠でイヤ倒れしたことを本人は自覚している
今回はたっぷり練習した
負ける気がしなかった
一方、米倉会長は頭を抱えていた
試合の4月11日は
春闘の交通ゼネストがされる日に当たっており
チケットの払い戻しが続々始まり試合の収益がどんどん逃げていった
「試合会場は閑古鳥が鳴くのでは・・・・」

ロドルフォ・ゴンザレス1

試合当日、
大規模なストが打たれ
早朝から鉄道、地下鉄、バスといった交通網がストップ
背景には
前年のオイルショックと
それに伴う便乗値上げによる物価の狂乱が今年まで流れ込み
生活の危機感の高まりがあった
夕方になると徐々に交通機関が運行され始め
試合会場の日大講堂には7000人の客が入った
2ヶ月前の同会場で行われた柴田国明の世界戦の半分の入りだった
ゴンザレスは
57戦52勝42KO5敗
KO率は73.7%
ボクシングをやる前に殺人の刑で服役したこともあり
リングでも1人殺している
ガッツ石松は
36戦25勝13KO11敗
KO率36.1%
戦前の予想は石松不利

8R
ゴンザレス、ジリジリと攻め石松をロープに詰めた
その瞬間、石松の左フックがゴンザレスの顔面へ
間髪いれず右ストレートを突き刺す
ゴンザレスがスローに前のめりに崩れていく
「ウォー」
ガッツ石松はニュートラルコーナーの走っていき右グローブを高く掲げた
レフリーのカウントが遅い
後のタイムキーパーの証言では15秒かかっている
身びいきのロングカウントだろう
意識朦朧のゴンザレスが立ち上がった
ガッツ石松は左右フックで襲いかかる
ゴンザレスはヨロヨロと後退
石松の右が当たる前に倒れた
レフリーはこれをスリップと判断
さらに仰向けになっているゴンザレスを両手を持って引っ張り起こそうとしている
ルールではレフリーはブレークの時以外選手に触れてはいけない
「ダウンだ!」
米倉会長が叫び
エディは英語で喚きながらコーナーポストに駆け上がった
ガッツ石松は
レフリーが不等にチャンピオンを勝たせようとしていること
このまま続行しても自分の勝ちは動かないことを確信した
そして自陣のセコンドがリングに入りでもしたら反則負けにされるかもしれないと思った
ガッツ石松はニュートラルコーナーから自分の青コーナーに行って叫んだ
「エディさん、黙って
大丈夫
オレ、あいつを殺すから
必ずぶっ倒すから黙っていて」
レフリーに無理やり起こされたゴンザレスはファイティングポーズをとった
ガッツ石松は猛然とラッシュ
2分12秒
ゴンザレスは崩れ落ちた

幻の右

「やったぞ」	
石松は吼えた	
(ざまあみろ、このヤロー)	
何か得体の知れない黒い巨大なものに対して心の中で怒鳴っていた	
帰りの花道でファンに胴上げされた	
控え室で新チャンピオンは矢継ぎ早に質問を受けた	
「フィニッシュのパンチは覚えてる?」	
「もちろん覚えてますよ	
あれがオレがいう幻の右です」	
「あれはストレート?フック?」	
「それがわからないところが幻のパンチでしょう	
あれはいつもはジムで打たない	
出すとパートナーが来なくなっちゃうから	
そのためしょっちゅうパートナー呼んでくれ	
いや相手がつかまらないで会長と喧嘩ですよ」	
石松は少しも疲れていなかった	
これからもう1人相手にして防衛戦やっても大丈夫と思うくらいだった	
スカッとした快勝で舌がよく回転し記者会見は独演会となった
この夜、赤坂プリンスホテルで祝勝会が開かれ
石松は元石松組員たちと徹夜マージャンに興じ
翌朝6時に妻子のいる我が家へ帰った

ガッツポーズ

「ガッツ」を国語辞典で調べると「guts」「根性」
「guts」は英和辞典では「腸」とか「中身」という意味もあるらしい
これが転じて「根性」とか「強い精神力」というような意味が生じる
ガッツ石松が世界チャンピオンになったときとったポーズを
新聞は「ガッツポーズ」と表現した
またこのガッツ石松が世界チャンピオンになってガッツポーズをとった日、
4月11日は「ガッツポーズの日」でもある

世界が変わった

その後
世界がガラリと変わった
後援会からお声がかかり
高級料亭、会員制クラブ、超高級店でご馳走され
ご祝儀ももらった
時給350円のバーテンダーは一夜で数百万の現金を得ることができた
初めてテレビにも出て
持ち前のサービス精神とノリのよさに
その強さだけでなく
そのユニークさでも圧倒的な人気を得た

チェリー・ピネダ1(初防衛戦)

名古屋市愛知県体育館でガッツ石松の初防衛戦が行われた
挑戦者は世界ランキング10位のチェリー・ピネダだった
試合2日前のパレードで
人前が大好きなガッツ石松は上着を脱ぎ捨ててハッスルした
90分のパレードを終えホテルに帰ると
減量前の栄養状態の悪さのせいか風邪を引いていて注射が打たれた
そのためか試合は凡戦だった
挑戦者が攻めチャンピオンは後退しカウンターを狙う
そんな消極的な展開が淡々と続いた
エディはイライラし始めていた
12Rまでガッツ石松はポイントで負けていた
「Hey、ガッツ!
あんた負けてるよ
何やってるの!」
ガッツ石松はハッとした
「何!
オレ負けてるの?
それ早くいってよ」
13R
ガッツ石松は遮二無二出た
この攻勢がポイントとなって辛うじてドローとなった
危ない防衛だった
おそらく外国での試合ならタイトルを失っていただろう

ロドルフォ・ゴンザレス2 (2度目の防衛戦)

ガッツ、これケンカよ

11Rが終わりコーナーの戻ると	
石松はエディにクレームをつけた	
「左ジャブ出せ、足使え、頭振って	
それをいってよ」	
エディは耳元で怒鳴った	
「あんた何いってるの
あんたこの試合負けてるの
左ジャブ、頭、足?
そんなもの関係ないよ
よく聞きなさい
ガッツ、これケンカよ
あんた得意でしょ?
ケンカよ、ケンカ」
(おお、そうか!)	
石松に急に電源が入った	
エディは石松の頭を両手でつかんでグイっとゴンザレスの方にに向けた	
「あいつの顔よくみろ
みろ!
これケンカよ
ケンカよ」
エディは耳元で何度もケンカと怒鳴った	
ガッツ石松の中で闘争本能がムラムラと蘇った	
キッとゴンザレスを見ると幸せそうな顔をしている
ムカッと腹が立ってきた
(ようし上等だよ
このヤロー
ケンカやってやろうじゃないか)
12R
(テメエ、クッソー、このヤロー)
石松はグローブを胸の前でバシバシ打ち合わせ口の中でブツブツいっている
やる気だ
終盤、ゴンザレスが不用意に詰めたところを
ガッツ石松は左フックで一閃、次いで右ストレートを打ち下ろす
ゴンザレスは顔面がぶち抜かれ
ヨロヨロとリングを横切り後退し反対側のロープへもたれた
ガッツ石松は刀を抜いたように右グローブを振りかざし突進した
顔面をカバーしロープを背負ったゴンザレスをガッツ石松の蛮刀が滅多斬りにした
ゴンザレスは動かなくなった
石松はロープに躍り上がり両手を上げて派手に吼えた
再び奇跡を起こしたのだ

ケン・ブキャナン(3度目の防衛戦)

チェリー・ピネダ2(4度目の防衛戦)

4度目の防衛戦はチェリー・ピネダとの再戦
危なげなく判定で勝った

アルバロ・ロハス(5度目の防衛戦)

5度目の防衛戦はアルバロ・ロハス
10Rに右アッパーでダウン寸前に追い込み
14Rに同じく右アッパーでKO
5度目の防衛に成功した
しかしこの頃から減量がきつくなり始めた
世界戦前の合宿でさえ
夜は女を引っ張り込むガッツ石松は
試合後は
節制などせず
酒や肉やと美食三昧だった
そのため非常にきつかった
この試合では19kgも減量した

名チャンピオン

エステバン・デ・ヘスス(6度目の防衛戦)

入札戦

WBC本部からガッツ石松に試合について打診があった
王者ガッツに挑む挑戦者はエステバン・デ・ヘスス
強打とテクニックをあわせ持ち
かつてロベルト・デュランを破ったこともある
この試合はWBC本部からの指名試合、つまり義務づけられた試合で
その上、試合の日時と場所はオークションで決めることが指示されていた
タイトルの認定権を持つWBC本部の命令は絶対である
WBC本部はメキシコにあり
中南米のボクシング関係者が
利権を得ようと日本からタイトルを奪取しようと策動しているのは明らかだ
この指示を無視すればタイトルを剥奪するだろう
米倉会長は怒りを屈辱を忍んでメキシコシティに飛んでオークションに参加した
相手はメキシコのサリナスプロモーションだった
米倉会長はオークションに勝つ自信があった
経済大国日本が中南米のプロモーターに負けるはずがない
オークションはホセ・スライマンWBC会長のオフィスで行われる
米倉会長は
15万ドルが相場と読み
20万ドルを呈示することを決めたが
ダメ押しでポケットマネー1万ドルをプラスし21万ドルを呈示した
しかし蓋を開けると相手は25万ドルを呈示し
日本側は4万ドルで負け
サリナスプロモーションは興行権を握った
内訳はチャンピオン:20万ドル、挑戦者:5万ドル
試合の場所はサンファン
期日は4月17日
当時の為替で1ドル=300円
石松のファイトマネーは6000万円となる
「まったくひどいもんです
こっちの読みの甘さもあるけど、
25万ドルとは驚いた
プエルトリコ側がそんなに払えるわけがない
これには日本のテレビ局がからんでいるんですよ
こっちの情報が筒抜けの上
同じ日本の資本で争っているんですから馬鹿馬鹿しいったらありゃしない
こんなことやってたら挑戦者のほうが強くなって世界チャンピオンの権威はガタ落ちだよ」
羽田に帰ってきた米倉会長が憤慨やるかたない表情で語った
「なんでオレばかりこんな目に遭わなきゃならないんだ
どうして米倉会長はチャンピオンが挑戦者の地元で試合しなきゃなんないの?
どっちがチャンピオンなんだ」
石松も怒っていたが次第に落ち着いていった
なんといっても6000万円のファイトマネーは悪くない
それにどこで戦っても勝てなくてはチャンピオンではないのだ

6度目の防衛に向け
ガッツ石松は19kgもの減量が必要だった
欲望のままに饅頭だ、ステーキだ、焼肉だとむさぼり食ったツケだった
ロードワークで
以前は走った坂道を登ることができなくなっていた
米倉会長は試合日を5月8日に延期させることに成功した
サンファンは暑い国で夏が苦手な石松には最悪だった
そのためにハワイホノルルでキャンプを張って調整期間を置くことにしたのだ
ホノルルでは
午前はロードワーク
午後はダウンタウンのジムで現地の選手相手にスパーリングをした
そしてプエルトリコに向けて出発
カリブ海は熱帯圏に属し加えて5月は真夏だった
「幻の右で9回から11回の間にKOしてタイトルを守る」
常夏のハワイで暑さに慣らしてサンファン入りしたガッツ石松はぶち上げた
しかし現地の新聞は石松が160ポンド(72.6kg)もあると報じた
本当ならリミットまで10kg減量しなくてはならないことになる
実際、石松は減量に四苦八苦していた
スズメの餌ほどの野菜を食べて後は寝てばかりいた
間もなく日本から応援ツアーがサンファンに入った
約20人のツアーの中には妻子もいた
石松の気持ちはようやく安らいだ
米倉会長はファイトマネーの問題で苦慮していた
200万ドルという途方もない金額で落札したくせに
サリナスプロモーションはなかなか現金を渡さない
強く迫ると懐からピストルをポトリと落として見せた
米倉会長はいざとなったら試合をキャンセルし帰る心づもりを決めた

WBC世界ライト級タイトルマッチ
チャンピオン:ガッツ石松 vs 挑戦者:エステバン・デ・ヘスス
試合当日
石松は骸骨のようにやせ細っていた
9時45分、
計量は10時だったのでチャンピオン側は現場に到着
しかし計量場である鉄格子のはまった殺風景な更衣室は
何の準備もされていなかった
10時、
定刻が過ぎても誰も来ない
「早く誰かと交渉してくれ」
早く腹いっぱい食事したい石松が怒り出し
しまいには米倉会長に嚊みついた
「オレだけ先にやらしてくれよ」
これも相手の策略だったのかもしれない
計量場は更衣室でなくマウンドに特設されたリング上だった
石松はトレーナーに両腕を抱えられるようにリングまで歩いた
10:15分、
ヘススが現れ秤に乗って計量をパスした
石松も1発でパスし
素っ裸で秤に乗ったままバンザイした
その後待機してあったワゴン車に飛び込み
いきなりオレンジジュースをがぶ飲み
胃が受け付けずバケツに吐いた
それからホテルに着くまで20分間
飲み、食い、戻し、食った
地獄の餓鬼のようだった
ホテルに戻ってもバイキング料理を片っ端から皿に盛り
口に放り込んで吐いた

「食べてみな」
少し落ち着いた石松は
とボーイを呼んで日本から持参したおやつを1つあげた
「ウッ」
ボーイは吐き出した
石松は手を叩いて喜んだ
それは梅干だった
21時
会場には30000人の観衆
夜になっても気温は30℃を超えている
ヘススはプエルトリコの英雄だった
アマチュアで33戦32勝
プロで49戦46勝25KO3敗
トレーナーには数々のチャンピオンを育てたアンジェロ・ダンディが付いた
ヘススとダンディが立てた必勝プランは
左を突いて戦って
決して無理してKOは狙わず
確実にポイントで勝つというもの
対するガッツ陣営の作戦は
ヘススはスタミナに難があるから後半勝負というもの
またオークションに持ち込んでの母国試合や数々の優遇策が
逆にヘススにプレッシャーをかけているとも読んでいた
ガッツ石松は縞のカッパに三度笠スタイルでリングに上がった
観衆は異国の風体に興奮しざわめいた
そんな中、米倉会長は密かに不安と緊張がピークに達していた
ファイトマネーがまだ支払われていない
もし試合前にファイトマネーの支払いが無ければ直ちにこのままリングを降りる覚悟だった
ボクシングはファイトマネーの支払いは試合前に現金というのが慣行になっているし
試合が終わってしまうとてんやわんやで滅茶苦茶になってしまうことは目にみえている
リングサイドでは
サリナスプロモーションの代理人と
こちらの交渉役であるリッチー井上が猛烈にやっていた
米倉会長はセコンドをしながらリング下のリッチー井上の様子を見ていた
王者と挑戦者、互いの国歌が演奏される直前
リッチー井上が親指と人差し指で丸をつくってリング上の米倉会長にOKサインが出した
米倉会長はやっとマネージャーの仕事を終えセコンドとして試合に集中できた

宙ぶらりんになってしまう

王座陥落後、ガッツ石松は1度は引退を口にしたが撤回した
解説者として仕事をしてみるとギャラは3万円だった
ヘスス戦で6000万円を得たガッツ石松にとって
1万、2万の計算などできなかった
ジムを経営するには若すぎるし
元石松組員にやらせていた副業は失敗した
例えば
金融業が遠藤に任せていた
帳簿をみると
融資先に「遠藤」の名がある
聞くと小遣いがなくなったからだという
ある3万円の貸し付けについて聞くと
遠藤が3万円を貸したその老婆の家に取り立てにいくと
部屋にはコタツとテレビだけだった
テレビを持っていこうとすると老婆は
テレビだけが楽しみだと泣いて訴えたため帰ってきたという
篠原にやらせていたスナックも
アルバイトの女の子に手を出すわ
客より多く飲むわで
儲からず借金だけを増やしていた
しかしジムにはほとんどいっていなかった
タレントとしてCMや番組で笑いをとるためにテレビ局に通ったが
なにか宙ぶらりんな生活だった

センサク・ムアンスリン

そんな生活が1年続いた後、復帰戦が決まった
1階級重いJ・ウェルター級に転向し
しかもタイトルマッチだ
勝てばいきなり2階級制覇となる
相手のセンサク・ムアンスリンは
プロ3戦目で世界チャンピオンになった怪物だった
ガッツ石松は1ヶ月の準備時間がなかった
当然負けた
センサクのパンチを避けるだけに終始し
6R、ボディにもらったパンチでリングに膝をついた

新井容日(ラストファイト)

センサクに負けてから1年後
復帰2戦目の相手は
日本ウェルター級3位の新井容日
後の日本J・ミドル級チャンピオンとなる選手である
しかしまだノンタイトル
過去の対戦相手に比べると格下だった
そしてガッツ石松は負けた
静かにお辞儀しリングを去った
これが最後の試合となった
29歳
上京して13年
築いた戦跡は51戦31勝17KO14敗6分

芸能界へ

当時
引退したボクサーは
後進を育てるなどボクシング業界で生きていくことが多かった
しかしガッツ石松は芸能界1本に絞った
初めてのテレビ出演は
初めて世界チャンピオンになった翌日の「うわさのチャンネル」だった
ガッツ石松は
「僕さぁ、ボクサーなの」
というギャグを繰り出した
サービス精神旺盛でノリも良すぎるガッツ石松は
世界チャンピオンの肩書きにこだわらず
存分にそのキャラクターを披露した
世界チャンピオンが笑いをとることに批判的な意見もあったが
期待されればイヤとはいえない
頼むといわれれば一生懸命応えてしまうガッツ石松は気持ちがよかった

初めての映画出演は「極悪拳法」
渡瀬恒彦演じる天才憲法家、桜木鉄拳を助ける石松勝心役だったが
殺陣で役者にパンチを叩き込みKOしてしまった
しかしその役者は
「世界チャンピオンのパンチをもらって光栄です」
といった
この他にも何本か映画に出たが
新幹線はグリーン車、ホテルはスイート、楽屋も個室をいう待遇だった
しかし引退後は豹変した
新幹線は普通車、宿は1500円の予算で自分で探した
「どこで着替えればいいんでしょうか?」
渡された衣装を持って聞くと
「その辺で適当に着替えればええやんけ
こっちは忙しいんじゃ」
といわれた
ガッツは腹が立った
しかし腹が立った自分に腹が立った
そして自分を戒め
小さな仕事からこつこつとこなしていき
大俳優となった

おしん

太陽の帝国

ブラックレイン

カンバック

自ら映画「カンバック」を撮った
企画、製作、総指揮、脚本、監督、主演:ガッツ石松
原作:安部譲二
シナリオ原案:倉本聴
音楽:久石譲
予算:2億
出演も
若山富三郎
栗原小巻
渡瀬恒彦
菅原文太
など超豪華だった
ストーリーは
元ボクシング世界チャンピオン鈴木丈(ジョー)は
引退後焼き鳥屋のオヤジとして過ごしていた
しかしヤクザな兄のために思いもよらぬカムバック戦を強いられてしまう
ジョーは
別れた妻と
生きる道を見失いそうになっている息子のため
リングに上がる決意をするというものだった
「カムバックじゃないの?」
「えんだ
カンバックだ
そのほうがわかりやすいだろう」

政治はガッツ

新聞で読んで思った
「むちゃくちゃだな
なんでこんな恐ろしいことができる?」
ホームレスがただ臭いという理由だけで少年にリンチされ殺された事件
いじめられた挙句マットに巻かれ圧死した事件
「いったい世の中どうなっちまったんだ」
親になりこの未来を考えるようになり
自然と世の中のことを考えるようになった
ボクシングは自分に挑んで勝つという闘いだった
がんばれば結果が出た
芸能界は
他人から評価を得るという闘いだった
「子供たちのためにオラに何ができるんだべか?」
東京では
サミット開催前に宮澤内閣の不信任案が可決されていた
「日本新党」に続き「新党さきがけ」「新進党」と新党結成が続いた
ガッツ石松は思った
「アントニオ猪木がスポーツ新党ならこっちはガッツ新党っつうのはどうだべか」
ボクシング世界チャンピオン
芸能界で成功
今度は政治家だった
「あなたの人生経験を活かして欲しい
すべて面倒をみる
あなたは持ち前のガッツでがんばってください」
と自由民主党の森喜郎幹事長から誘われ
ガッツ石松はOK牧場した
そして数日後、衆院選の小選挙区から出馬を要請された
(通常、著名人は参院選比例区での出馬が妥当)
「家族のためにやめて」
と反対する嫁に対し
「その子供のために闘うんだ」
というガッツ石松のスローガンは
「子供叱るな来た道だから
年寄り笑うな往く道だから」
優しく許しあえる社会をつくりたいと思った
東京9区は激戦が予想された
ガッツ石松は芸能活動を中断した
自民党からの交付金は2500万円だけだった
ポスター代に1400万円
選挙事務所やスタッフの給料など経費は1月に300万円を超えた
土地を処分し
貯金は全額使い果たした
それでもまだ足りなかった
「乗りかかった船だ
後戻りはできねえ
しょうがねえ
借りるべ」
北海道から九州まで知人を頼って歩き借金行脚した

睡眠1日3時間
早朝から街頭演説
選挙カーに乗り商店街を回り
「よろしく」
と選挙権もない早稲田実業高校生にも名刺を配った
名刺には「政治はガッツ」と書いてった
支援団体の会合ではお酒をついで回り肩までもんだ
「いつんなったら選挙やんだ」
自民党の公認を受けてからすでに1年が経っていた
自・社・さきがけの3党連立による村山内閣が以外に長く続き
衆院選はなかなか行われなかった
面倒みてくれるはずの自民党からは何のバックアップもなかった
精神安定剤を飲み無理やり寝た
「やらなくちゃなんね
それがいっぱしだもんな」
しんどい思いをして負けることは許されなかった
苦しくても自分を信じて前に進むしかなかった
そして平成8年10月20日、
小選挙比例代表並立制によつ初の衆議院選挙が行われた
ガッツ石松は選挙事務所のパイプ椅子に座っていた
テレビでは次々と当確予想が出て
喜ぶ、あるいは落胆する他候補の様子が映し出されていた
「ガッツさん、30秒後、ニュースステーション中継入ります」
報道スタッフからイヤホンが渡された
耳に久米宏の声が飛び込んできた
「ガッツさん、落選しちゃったけど」
脚が震えた
事務所の喧騒がスーッと遠くなった
深夜
事務所の明かりが消され
報道陣は去り
支援者が去り
スタッフも帰っていった
誰もが無言で
ガッツ石松は誰もいない暗い選挙事務所でポツンと座っていた
失意と巨額の借金だけが残った
しかし
ガッツ石松には笑って欲しいと心底思う家族がいた
仲間もいた
恩人もいた
リングで闘った選手たちもいた

OK牧場

ガッツは何を聞いても
「OK牧場」
と答える
バリエーションとして
「OK農場」
もある
これはOK牧場よりも格が下に位置づけられ芳しくない場合に使用する
農場の「農」は、英語の「NO」とかけている
という説もある
例えば
亀田興毅の試合結果について
「よくがんばったが、OK牧場とはいえない
OK農場だな」
などとコメントしている
「だれにでもヒーローは心中にあり、いるだろう
子供の頃、俺のヒーローはアメリカの人気西部劇「ララミー牧場」の主人公ジェスであった
そしてこのジェスに扮するロバート・フラーと俺はいつの日か握手するのが夢であった
その俺が、映画「カンバック」を作ったんだ
個人で作った映画としては、空前絶後、前代未聞の豪華さと自負していたが、
何か一つ物足りない思いがあった
海外ロケも敢行するのに大物ハリウッドスターがいない!
ガッツ石松が一世一代の映画を作るんだ
是が非でも世界規模の映画でなければならない
「ロバート・デ・ニーロ」
「マーロン・ブランド」
「アル・パチーノ」
などの名前がスタッフから挙がっていた
俺は迷わず
「ロバート・フラー!」と叫んでいた
あの憧れのヒーロー、ララミー牧場の主役、ロバート・フラーしかいないのだ
夢が叶った !!
出演を承諾してくれた
水戸の大洗ロケ現場でクライマックスシーンを撮影していた
監督ガッツ石松としてロバート・フラーの最高の演技を引き出した瞬間、
役者・スタッフに
「OK !! 」
とカットを告げる場面であったが、
目の前にいたのはララミー牧場のジェスだった
OKとララミー牧場の牧場で俺は思わず
「OK牧場 !! 」
と叫んでしまったのだ
それ以来である
何かいいことがあると俺は「OK牧場 !! 」というようになった次第である
西部映画の名作に「OK牧場の決闘」があり
往年の映画ファンの中にはその関連の言葉だと思う人もいるかもしれない
この「OK牧場 !! 」は俺の特別な思いが込められた言葉なんだ」

伝説の男

ラジオ「全国子供電話相談室」

子供(8歳・女の子=ミチヨちゃん)
「スポーツ選手って毎日運動してて疲れませんか?」
お姉さん
「はい
それではガッツ先生にお聞きしましょうね!」
ガッツ
「ミチヨちゃん! 
こんにちは!!」
子供
「・・・・・」
ガッツ石松
「ミチヨちゃん
どうしたあ?」
子供
「・・・・」
ガッツ
「おーい! 
ミチヨちゃん、どうしたんだあ?」
お姉さん
「ミチヨちゃん、どうしたの? 
聞こえますか?」
子供
「こわかった」

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