川島郭志 裏庭ジム出身のアンタッチャブル 誰も彼に触れることはできない

川島郭志 裏庭ジム出身のアンタッチャブル 誰も彼に触れることはできない

「志は、気の帥なり(孟子)」 世界王者が生まれる条件は、トレーニングの環境ではなく、スピリッツである。川島郭志はサンドバッグと腹筋台だけの(自宅の)裏庭ジムから世界チャンピオンになった。その高いディフェンス能力は「アンタッチャブル(触ることができない)」と呼ばれた。


川島郭志

川島郭志(かわしまひろし)
165cm
第13代WBC世界スーパーフライ級(現Jバンタム 級、~52.16kg)チャンピオンを6度防衛
ニックネーム:アンタッチャブル(触ることができない、打たせずに打つ)
川島ボクシングジム会長

3歳からボクシング

海部川 川島郭志は、この土手を走っていた

川島郭志は
3歳の時には
グローブをはめサンドバッグを叩き
自宅周辺を走って脚を鍛えていた
練習は1日2回
16~17時
19時30分~21時過ぎまで
この日課は高校を卒業し上京するまで続いた

裏庭ジム

裏庭ジム 母親である志津子さんと

お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著

川島郭志の父:郭信は
理髪の修行で上京し
1人の4回戦ボクサーと知り合い意気投合
一緒にランニングするようになった
地元、徳島県海部郡海陽町に帰り「東京理容室」を開業
翌年、母:志津子と結婚した
やがて5歳上の兄:志伸が生まれると父は母にいった

そして父はボクシングジムをつくった
自宅兼店舗の裏庭に
サンドバッグを吊って腹筋台を置いただけだった
父は「海部ボクシングジム」と名づけていたが
息子たちは「裏庭ジム」と呼んでいた
普通、理髪店は21時頃まで営業するが
父は18時になるとサッサと店を閉める
兄弟は
学校から帰ってきて
サンドバッグと縄跳びをして1時間くらいして
17時から食事
17時30分から18時までテレビをみて
19時まで宿題
そして19時になると裏庭のジムで練習が始まる
腕立て伏せ、腹筋、縄跳び、シャドーボクシング、ミット打ち、サンドバッグ
ジムワークが終わるとランニング
園児の頃は1500m
小学低学年のときは3000m
高学年では4000m
これを毎日タイムを計って走る
低学年だった弟は母と小回りコースを走り
兄は父と4000mの大回りコースを走った
どちらのゴールは自宅だった
弟がゴールまであとわずかというとき
兄が後ろから迫ってきた
「ヒロシ、お兄ちゃんが来た
逃げろ、逃げろ」
母にいわれ弟は必死にスピードを上げた
ランニングが終わる頃は21時を回っていた

父:川島郭信

ボクシングに対する情熱と愛はすごかった
自身、42歳にして初めてアマチュアボクサーとして国体予選に出たほどである
このことは最年長ボクサーの挑戦として地元新聞が取り上げた
ボクシングの世界チャンピオンという夢の実現に向けて
強引に自分の信念を貫き通した
ボクシングにプラスになると思われることは徹底的にやる
そうでないものはやらない
そういうシンプルな考え方だった
だから息子に「勉強しろ」といったこともなければ成績が悪くても怒らない
だが走るタイムが遅いと平手で殴った

恐怖のマラソン大会

だから父にとって
小学校のマラソン大会は重要だった
大会前日コースを試走しタイムをチェックする
そして当日
みんな長袖長パン
川島郭志だけはランニングシャツに短パン
靴も校則で決められた白靴ではなく軽量ランニングシューズ
そして1~4年はずっと1位
しかし5、6年では2位だった
「とろこいやっちゃなあ!」
と父は怒った

注射禁止

小学校では
毎年、予防接種の注射があった
しかし川島家の子供は1度も受けたことがない
注射をするとその日は練習ができなくなる
父はそれを嫌った

テレビは1日30分

「テレビは1日30分」が掟だった
練習とトレーニングがあるため
それは17時30分~18時だった
だから学校でみんながテレビの話をしていても
なんのことかわからなかった
「燃えよドラゴン」など格闘技映画があると
父はトレーニング時間を短くしてみることをすすめた
しかしエロチックなシーンになると
父はスイッチを押してテレビを切った

エロも禁止

楽しみだった学研の学習雑誌が
本屋から配達されてきたと思い
バッと封をはがすと
それは理髪店用の週刊プレイボーイだった
あわてて元に戻したが
問答無用で父に殴られた
川島郭志 は
どうせ殴られるならいっそ見ておけばよかったと後悔した

野球少年との戦い

周囲はプロ野球を夢みる野球少年ばかりだった
ボクシング少年は川島家の兄弟だけだった
父は野球少年に敵対心を燃やし
野球少年側も異なるスポーツに打ち込む川島家にライバル意識を持っていた
ある日
野球少年が
「スパーリングやりたい」
といってきたとき
父は道場破りだとでも思ったのか
道路上でスパーリングを行い
「ヒロシ、行け!」
とけしかけた

兄:川島志伸

裏庭ジムでサンドバッグを打ち込む兄:川島志伸

お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著

兄:川島志伸は
高校3年でプロになった後
卒業後はIBFフライ級1位になり
世界タイトルに挑戦し敗れた
その後2試合戦った後、引退した
戦績:7勝2敗
まだ20歳だった

サウスポーに

小学校5年生のころにサウスポーになる

お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著

川島郭志は
小学4年生までオーソドックスだったが
5年生から父の指示でサウスポーに切り替えた
憧れの具志堅用高もサウスポーだったのでうれしかった
右利きのボクサーがサウスポーになると
強い右フックが打てるようになる
また左から右へスイッチができる
これが右利きのサウスポーボクサーの利点だった

「巧くて強い」ボクサー

川島郭志のアイドル、Sugar Ray Leonard

川島郭志が中学生になると
トレーニングはますますハードになった
スパーリングも兄ではなく裏庭ジムに顔を出していた社会人ボクサーとガンガン打ち合った
兄はすでにプロボクサーだった
高校2年のとき3ヶ月間メキシコで修行して
高校3年でとしてプロデビューしていた
川島郭志は兄の技術に感動した
そして研究して少しずつテクニックを身につけていった
打たせずに打つ川島郭志のボクシングスタイルはこの頃から育まれた
川島郭志のアイドルは
シュガー・レイ・レナードだった
「巧くて強い」ボクサーが好きだった
「巧い」ということイコール「カッコいい」だった

暗い道路でのスパーリングで勘を養う

自宅前の道路でシャドーボクシングする川島郭志と吉田祐

お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著

川島郭志は
兄と同じく徳島県内では1番の進学校の1つ、海南高校に入った
そして家では相変わらず裏庭ジムとランニングの日々だった
海南高校には吉田裕というボクシング選手がいて
彼も一緒に練習しスパーリングをした
スパーリングは中学校の体育館を借りて行ったが
先約があり使えないときは家の前の道路でやった
辺りはすでに暗い
薄明かりの中でパンチをかわしパンチを出す
これが川島郭信の勘を養った
アマチュアの試合では
強烈な1発より
軽くても手数を出したほうが勝者になる
サンドバッグを軽いパンチで連打していると
父が飛び出してきて怒鳴った
「軽く打ってるんじゃない」

牛乳配達と廃品回収

高校生になり時間が起こった
小中とボクシング漬けの生活を過ごしてきて
高校に上がるとむしょうに遊びたくなった
遊ぶといっても
こっそり家を抜け出し
友達とたわいのないことを話してワイワイ騒ぐだけだったが
川島家の掟「夜は寝る」に抵触していた
ある夜中
こっそり自分の部屋に上がろうとすると真っ黒な部屋から声がした
「お前夜遊びしているな」
夜中出て行く息子に気づいた父が待ち伏せしていたのだ
そして怒鳴った
「出て行け」
「出て行ってやる」
母の仲裁で
出て行くことだけは許したが
父はいった
「川島家の掟を破るなら親子の縁を切る
部屋は貸してやるが
食事代も学費も自分で働いて稼げ」
この後、2年間
川島郭志は
すでにやっていた牛乳配達に加え廃品回収のアルバイトも始めた

朝は毎日、牛乳配達
それから学校に行き
友達と楽しい時間を過ごす
授業が終わると家に直行しボクシングの練習
土曜日は
午前中で授業を終え
自転車を飛ばして帰宅
昼飯をかきこみ
廃品回収のバイトに向かった
トラックで地域を回り
鉄を運んだり銅線を引っ張ったり
本を積み上げたりアルミ缶をプレスしたり
ずっと力仕事の連続だった
そして帰ってくるとボクシングの練習
日曜日は
8時から17時まで廃品回収をしてから
ボクシングの練習をした
そして月曜の朝は牛乳配達で始まった

鬼塚、渡久地に勝ってインターハイ優勝

川島郭志は
高校時代にインターハイに2度出場した
2年生のときは3位
3年生のときは
準決勝で鬼塚隆(後のWBA世界スーパーフライ級王者鬼塚勝也)
決勝は渡久地隆人(後の日本フライ級王者ピューマ渡久地)に勝ち優勝した

米倉健司会長

株式会社ヨネクラプロモーション
代表者名:米 倉 健 司
所在地:東京都豊島区目白2-28-9
電話:03-3971‐0181
FAX:03-3981-7746
最寄り駅:JR山手線 目白駅又は池袋駅(徒歩3分)

ヨネクラボクシングジム

川島郭志は
米倉健司会長からスカウトされ
東京のヨネクラジムに入った

米倉健司会長

米倉会長は
高校時代にボクシングに出会って以来、拳闘一筋の人で
メルボルン五輪出場後
プロで2度、世界に挑戦
引退後、ヨネクラジムを開設
2016年時点で
世界チャンピオンを5人
(柴田国明、ガッツ石松、中島成雄、大橋秀行、そして川島郭志)
東洋太平洋では8人
日本は31人
合計44人のチャンピオンのチャンピオンを輩出している

東京暮らし

東京暮らしは何から何まで新しいものばかりだった
ジムへはバスと電車で通った
渋谷、新宿、高田馬場、と目的地、目白駅に近づいてくると緊張感が高まった
「大丈夫かな、降りられるかな」
しかし目白駅に着いても人を押し退けることができず
そのまま乗り池袋まで行き
折り返しの電車に乗った
そのうち電車では座らず
すぐに降りられ、かつ人の邪魔にならない電車の隅に立つようになった

ジムでは
大橋秀行のパンチ力に感動したし
生まれて初めてパンチングボールを叩いた

「川島はもうダメだろう」

デビュー戦は1R39秒KO勝ち
2戦目、4RKO勝ち
3戦目、3RKO勝ち
と順調だったが
4戦目、ピューマ渡久地に6RKO負け
5戦目、2RKO勝ち
6戦目、まさかの1RKO負け
「川島はもうダメだろう」
6戦して2KO負けしたエリートボクサーに冷たい空気が漂った
手のひらを返したように態度が変わった人もいた
練習でサンドバッグを打っていて
「ちょっとどいて」
と一般の練習生にいわれたこともあった
しかし以前と変わらず接してくれる人もいた
その中には
コンビニのアルバイト仲間もいたし
米倉会長も大橋秀行もいた
川島郭志はもう1度頑張ってみようと思った

「2回KOされれば10人中9人はリングを去る でもヒロシはやめなかった」 (米倉会長)

お母ちゃんに捧げるチャンピオンベルト 川島郭志著

ケガの功名

10戦目
1Rに相手を打ったときに左拳を骨折した
それからはフットワークと右パンチだけで戦った
そして動き回っているうちに新たな発見をした
「リングは広いなあ」
これ以降、川島郭志のボクシングは
打たせないスピーディーなボクシングに
「アンタッチャブル」なボクシングに変貌した

しかし新たな自分を発見させるきっかけになったとはいえ
まずはその左拳を治すことが先決だった
1ヶ月休んでから
様子をみながら練習を再開
しかし試合の1ヶ月前のスパーリングで同じ箇所を骨折してしまう
「手術しなければ2度とボクシングはできない」
そう医者にいわれ手術を受けた
こうしてプロ4年目は2度の骨折によりなにもできなかった
鬼塚は世界チャンピオンに
渡久地は日本チャンピオンに
そして辰吉丈一郎も世界チャンピオンになっていた

日本チャンピオン

川島郭志は
小池英樹のパンチはほとんどもらわず
ダウンを奪い
日本Jバンタム級チャンピオンとなった
ファイトマネーは
デビュー戦は50000円
5戦目で80000円
6戦目で150000円と徐々にアップしていったが
すれはすべて貯金
生活費はセブンイレブンのアルバイト代だった
ボクシングで得たお金は区別しておきたかった
そして日本チャンピオンになり防衛戦のファイトマネーは1000000円
川島郭志は日本タイトルを3度防衛した後、世界に挑んだ

ホセ・ルイス・ブエノ

WBC世界Jバンタム級チャンピオンはホセ・ルイス・ブエノだった
巧くてパンチもあるボクサーだった
試合は一進一退だったが
11Rにダウンを奪い
判定で勝った
試合後は
「ニュースステーション」に出演し
アパートに帰ってから
試合のビデオを何回も何回もみた
生涯最高になるかもしれない夜をとても眠ろうとは思わなかった
5時半になって
アルバイト先だったコンビニに走っていって朝刊を買った
そして自分の記事を一字一句、細大漏らさず読んだ

カルロス・サラサール

前回の試合で唯一の後悔は
最終ラウンドに打ち合わず逃げたことだった
川島郭志は
最後まで攻め続けたがカルロス・サラサールは倒れず
判定で勝った
思わず試合後、謝ってしまった
「KOできずにすみません」

ホセ・ルイス・ブエノ2

ブエノとの再戦
前回はラウンドがラスト15秒になるとセコンドが合図して
一気に攻めたが
今回はブエノもそれに合わせ出てきた
しかし川島郭志は前回より打たせずに
再び判定で勝った

李承九

10R
李承九は
右ストレートから左フックで
川島を赤コーナーに吹っ飛ばして倒した
リングにうつ伏せになった川島に米倉会長が至近距離から叫んだ
「ヒロシ、立て!
あと3Rでお前の一生が決まる」
川島は立ち上がり
大ピンチをしのぎ
判定で勝った

ボーイ・アルアン

3R、KO勝ち

セシリオ・エスピノ

5度目の防衛戦は
ランキング1位のセシリオ・エスピノ
川島は
最強の挑戦者を序盤から終始攻め
KOこそはならなかったものの判定勝ち

ドミンゴ・ソーサ

2R、
右フックで挑戦者をグラつかせると一気に連打
レフリーが試合を止めて
6度目の防衛に成功

ジェリー・ペニャロサ

序盤は珍しくパンチを受け続け
中盤に巻き返したものの
終盤は再び挑戦者に主導権を奪われ
12R判定(1-2)負け
3年弱保持し続けてきた世界王座から陥落した

川島ボクシングジム

〒145-0062 
東京都大田区北千束3-20-6
03-5499-1327

川島ボクシングジム

その後、極度の視力低下から再起することなく引退した
引退後
解説者として活躍
東京都大田区に川島ボクシングジムを開設
全日本スーパーバンタム級新人王:塩谷悠や
フライ級世界ランカー:小林タカヤスなどを輩出
また「アンタッチャブルファイト」と銘打った自主興行も開催している

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