串田昇戦では
頭から突っ込んでくる串田の脳天に
右ストレートをヒットさせダウンを奪ったものの
その後、何とか判定で勝ち控え室でグローブを外すと
右手の人差し指が骨折し皮だけでブラ下がっていた
白井の「打たせずに打つ」スタイルを
「卑怯」
「臆病」
という人もいた
しかし白井は
次々に強豪を倒し
日本フライ級チャンピオンになり
しかも1階級(現在では2階級)重たいバンタム級でも日本チャンピオンとなった
カーンは
この勝利を祝し
白井に北区に300坪の土地を買い
家を建てて
白井にプレゼントした
ダド・マリノ
ダド・マリノは33歳
(白井は26歳)
左腕が右腕より2cm太く
左フックがすさまじく強い
まだ若き日
世界ランキング入りし
いよいよというときに
第2次世界大戦が始まり
海兵隊に召集され
太平洋で日本軍と戦った
戦争が終わったころ
マリノは若さを失っていたが
世界チャンピオンを追いかけ続けた
しかし
チャンピオンに逃げられたり
あからさまな地元判定で勝っている試合を負けにされたり
多くの悲運に見舞われた
しかしあきらめずに悲願を果たしたとき
マリノは33歳だった
そのマリノが来日し
白井とノンタイトル戦
(ノンタイトル戦は勝っても世界チャンピオンにはなれない)
を戦った
白井はフットワークとクリンチで接近戦を防ぎ
打たせずに打つボクシングに徹した
結果は2-1でマリノが勝った
しかし白井が世界チャンピオンと互角に戦ったことに日本中が驚いた
7ヵ月後
ハワイでマリノと再戦
これもノンタイトル戦だったが
2Rに1回
6Rに3度ダウンを奪い
7R、
マリノが2度倒れたところでタオルが投入され
TKO勝ちした
日本初の世界チャンピオン
マリノ-白井戦 特設リング(後楽園球場)
さらに5ヵ月後
チャンピオン:ダド・マリノと挑戦者:白井義男の
日本初の世界タイトルマッチが行われた
後楽園球場のグラウンドの真ん中にリングが立ち
それをを40000人の観客が囲んだ
日本国との平和条約に署名する吉田茂首席全権と全権委員
試合の3週間前
サンフランシスコ講和条約が発効
アメリカ軍の圧倒的な物量に
全国が焼土と化してから7年
日本は外国の占領から解放され主権を回復した
試合前、カーンはいった
「日本は戦争で負けた
今日本が世界に対抗できるのはスポーツしかない
ヨシオ、君は自分のために戦うと思ってはいけない
それだけでは苦境を乗り越えられない
君はこの試合で勝つことで
敗戦で失われた日本人の自信と気力を呼び戻すのだ」
控え室を出て通路を歩きだしたとき
全身が総毛立ち足元が震え出した
しかしリングに上がった瞬間
こわさはうそのようになくなった
試合は徹底的にアウトボクシングで戦ったが
7R、
マリノの左フックで白井は2mも飛ばされ
立ったまま脳振盪を起こした
辛うじてゴングに救われたが
まるで夢遊病者のようにコーナーに戻っていった
「ビシャ!」
カーンは朦朧としている白井の背中を大きな手で叩いた
「ウエークアップ、ヨシオ」
ハッ!と我に返った白井は
フルラウンドをマリノを攻めて戦い抜き
判定で勝った
白井の勝利に日本は歓喜した
戦争で青春を奪われた白井が世界チャンピオンになったことは
敗戦で自信を失っていた日本にどれだけ希望を与えたか計り知れない
また30年に及ぶ日本ボクシング界の悲願が達成された
リングを降りて控え室に向おうとする新王者白井を一目みようと通路脇に観客が押し寄せた
そこで館内放送が流れた
「押さないでください、押さないでください
白井は疲れております、白井は、大変疲れております」
それを聞いた人々はその場で立ち止まり
リングを後にするヒーローの純白のガウンを満場の拍手で送ったという
タイトル喪失、引退
その後、白井は当時のフライ級の記録である4度の防衛に成功
5度目の防衛戦の相手はパスカル・ペレス
ロンドンオリンピックで金メダルを獲得後
プロでも22勝1分
白井は
15Rフルに戦い判定で負けた
9Rにバッティングを受けて以後の記憶がなく
夜、自宅に帰って悲しげな家族の顔をみて負けを知った
半年後のリターンマッチでも
5R、KOで負けた
白井はこの後引退した
カーン博士は
ある試合で後楽園を埋めた大観衆を指差して白井にいった
「ヨシオ
大事にしなければならないファンは
ほら1番上段にいる300円席の人たちだよ
リングサイドの人はヨシオに限らず誰の試合でも足を運ぶだろう
だがあそこにはシライだからこそ来てくれたファンがたくさんいるのだ」
それは本当だった
引退後も白井を愛してくれたファンの多くは300円席の人たちだった
絆
カーン博士は
白井の引退後も白井家で暮らした
晩年、認知症を患ったが
白井は自宅で家族同然にサポートし
最期まで看取った
白井は引退後も
チャンピオンとはこうあるべしというような生活を送った
ボクシングの解説者として
スマートで冷静だったが
根底にはボクサーに対する温かい愛情が感じられた
また実業家としても成功したが
決して荒っぽいビジネスはせず
「裏」の世界と近づくこともなかった
白井義男がクリーンであり続けたため
ややもすれば荒っぽくなりやすいボクシング界は親しみと尊敬を得た
白井・具志堅スポーツジム
白井・具志堅スポーツジム
白井義男と具志堅用高が
アートネイチャーの支援を受けて「白井・具志堅スポーツジム」を設立した
白井は名誉会長、具志堅は会長である
最後までボクシング一筋の人生だった
白井義男(80歳)、肺炎のため死去
2003年12月26日
病室でも最後までボクシングのことを気にしていたという
最後までボクシング一筋の人生だった