はじめに
1980年代に登場した全ての家庭用ゲーム機は、どれも子供たちの目を輝かせるのに十分な代物でした。
どれが当たり、どれが外れ、といったことではなく、全てのゲーム機がワクワクと期待感を与えてくれたものです。
結果として大ヒットしたゲーム機には経済圏が形成され、それらのゲーム機向けにはいくつもの優秀なゲームソフトが予算を投じて制作開発され、大ヒットしなかったゲーム機向けにソフトを提供する会社は増えていきませんでした。
まずはゲーム機のヒットありき、それが1980年代のゲーム機戦争だったのだと考えます。
1983年7月15日、それは本格的な家庭用ゲーム機戦争の幕開けでした
1983年7月15日、振り返れば多くの子供たちの明暗を分けた一日だったのだと気づかされました。
そう、ファミコンと同日に発売されたセガSG-1000。
これが本格的な家庭用ゲーム機戦争の幕開けで、このときにファミコンを買わなかった多くの子供たちが後に様々な思いをしたであろうことを。
モンスターマシン「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」
1983年、小学3年生だった私。
発売日当日、私の家には当然まだファミリーコンピュータはやってきませんでした。
たまたま友人の一人がラッキーにもファミリーコンピュータを親に買ってもらえると聞き、みんなで遊びに行くことが決まっていました。
が、その友人が学校で嬉しそうに話したのは
「ファミリーコンピュータは売り切れててしばらく入荷されないんだって。それでお父さんがセガを買ってくれたんだよ。」
一堂「おぉ~、すげ~!」
当時、幼かった私たちにとってそれは大した問題ではありません。
この時点で、せいぜいカセットビジョンしか触ったことがない私たちにとって、良く分からないけどもっとすごいゲームがやってきたんだ、という程度の感覚だったのでしょう。
同日に発売されたセガ「SG-1000」
思えば、後となっては「ファミコン誕生」としか記されない1983年7月。
この月は同日発売だったセガの「SG-1000」のみならず、エポック社のカセットビジョンJr.、トミーのぴゅう太Jr.も発売された、とんでもなくアツい月だったのです。
なんと本体価格5,000円で勝負に出た「カセットビジョンJr.」
【カセットビジョン】ファミコン以前のテレビゲームと言えばカセットビジョンでしたね! - Middle Edge(ミドルエッジ)
16ビットゲームパソコン「ぴゅう太」のゲーム専用機「ぴゅう太Jr.」は19,800円
ファミコンを知らなかった私たち、友人の家でSG-1000に夢中でした
最初に遊ばせてもらったのはたしか「ジッピーレース」だったと記憶しています。
これは夢中になって遊びましたね。
同じく、記憶に残っている「コンゴ・ボンゴ」。
たしかこの「N-SUB」も、みんなで一緒に遊んでいました。
おそらく1か月経ったころ、別の友人が「ファミコン」を買ってもらいました
期を同じくして、複数の友人がファミコンを入手したんです。
どの友人も、たしか↓3作のどれかをもっていたはずです。