90年代の日テレバラエティを復活させた男!土屋敏男
現在、「イッテQ」「鉄腕ダッシュ」「しゃべくり007」など絶好調の日テレバラエティですが、1980年代半ば、ひょうきん族を始めとした時代を形成していたフジテレビはおろか、TBSにも後塵を拝していた時期がありました。そんな苦境の日テレを救ったと言われているのがプロデューサー土屋敏男です。そんな彼が築いた伝説の番組をプレイバックしていきましょう。

土屋敏男とは?
土屋敏男 - Wikipedia
土屋と言えば、やはりT部長!
やはり土屋敏男と言えば、電波少年で、ダースベイダーのテーマにのって、迫力満点で登場するT部長でしょう。当時は、若手芸人の多くが恐れ震える存在だったとか。
生み出した伝説的バラエティ番組
ここからは土屋が生み出してきた伝説的バラエティ番組を振り返っていきましょう。
電波少年
やはり土屋敏男と言えば、画面上にも度々T部長として登場していた「電波少年」でしょう。
猿岩石などのアポなしヒッチハイクを始め、松村邦洋は、渋谷のチーマーたちにボコボコにされ、アフリカの砂漠で遭難して死にかけ、出川哲朗はオーストラリアでゲイに掘られ、松本明子はパレスチナのアラファト議長とデュエットするなど、無謀すぎる企画で視聴者を驚愕させ、時代を作っていった。
恋々ときめき倶楽部
まだ東京では無名だったダウンタウンに一早く目を付けたのも土屋敏男と言われています、わざわざ和歌山でのダウンタウンのコンサートにまで顔を出し、親交を深めていって、菅賢治プロデューサーとともに、昼のバラエティ「恋々ときめき倶楽部」にダウンタウンを抜擢したのです。

ダウンタウンのガキの使いじゃあらへんで
フジテレビ「夢で逢えたら」の現場にも、他局にもかかわらず足しげく通い、ダウンタウンとの親交を深めていった。
「ガキ使」と言えば、ガースーこと菅賢治プロデューサーが有名ですが、ガキ使開始当時、土屋は編成に異動しており、真っ先に「ガキ使」の企画を通したとか。
ウッチャンナンチャンwith SHA.LA.LA
ウンナンの出世l作と言ってよい「ウッチャンナンチャンwith SHA.LA.LA」を立ち上げたのも土屋敏男。上記のダウンタウン同様、ウンナンもニッポン放送のオールナイトニッポンに通い詰め、見学の常連者となったほどだった。
その後、空前のブームとなる「ウリナリ」の原点ともなった番組ですよね。
ウッチャン・ナンチャン with SHA.LA.LA. - Wikipedia
とんねるずの生でダラダラいかせて!!
ダウンタウン、ウンナンのみならずとんねるずにも先見の明を発揮していた土屋敏男。
「ねるとん紅鯨団」のロケ現場にも足しげく通い、身内しか付き合わないと言われているとんねるず・石橋貴明とも、初めは「あいつ誰?」状態から「貴ちゃん」「ツッチー」と呼び合う仲に。
そして、『生ダラ」は石橋から土屋に提案して出来上がった。
いかがでしたでしょうか?こうやって振り返ってみると、日テレのみながず日本のバラエティの礎を築いている感じがします。
今は、ネット配信中心に活躍しているようですが、またテレビで奇想天外な企画をぶっ放してほしいです。