武道家『ブルース・リー』は本当にすごかった!彼が創り出した格闘技『ジークンドー』を知っていますか?

武道家『ブルース・リー』は本当にすごかった!彼が創り出した格闘技『ジークンドー』を知っていますか?

『ジークンドー』を知っていますか?武道家ブルース・リーが創り出した格闘技です。現在の『総合格闘技』に通じる武技・防具・トレーニング方法などを、すでに40年以上も前に独自に構築し、ひとつの『道』として極めていました。


1999年『TIME(タイム誌)』で「20世紀で最も重要な・偉大な100人」に選ばれたブルース・リー

100人は以下の5つのカテゴリから、それぞれ20名ずつ選出された。

・指導者と政治家(Leaders and Politicians)
・科学者と思想家(Scientists and Thinkers)
・アーティストとエンターテイナー(Artists and Entertainers)
・時代の創造者/先駆者と偉大な人物(Builders and Titans)
・人々の記憶に強く残る人物と英雄(Icons and Heroes)

同じ部門では、マザー・テレサやジョン・F・ケネディ、ダイアナ妃などが選出されている。

人々の記憶に強く残る人物と英雄(Icons and Heroes) 部門20人の中のひとりに選ばれた

タイム100「20世紀で最も重要な・偉大な100人」【タイム誌(TIME)】世界ランキング統計局

『ドラゴン』シリーズの映画で一躍有名になったブルース・リー。
戦闘中の甲高い声やヌンチャクさばきなどが、多くの人々の記憶に焼き付いています。
32歳の若さで早逝し、主演映画はわずか5本。
けれどそのすべての作品が、爆発的にヒットしました。

それらの映画の軸となる「格闘シーン」で表現された武術は、決して娯楽向けに作られた演技の「闘うまね」ではなく、ブルース・リーが全人生をかけて創り上げていった本物の実践格闘技『ジークンドー』でした。

俳優の顔ばかり注目されがちですが、武道家としてのブルース・リーと、彼が創り上げた『ジークンドー』に焦点を当ててみたいと思います。

ジークンドーとは

ブルース・リー・ジークンドー正統継承 IUMA日本振藩國術館

ジークンドーの基本的な戦術についての解説と実演

百聞は一見にしかず。
まずは、基本的な戦術を解説・実演した動画をご覧ください。

実演されている中村頼永さんは、ブルース・リー財団日本支部の最高顧問の方です。
「軍師官兵衛」で、黒田官兵衛役を演じられたV6の岡田准一さんが、ジークンドーを習われていることは知られていますが、岡田さんはこの中村頼永さんに師事しています。

ひとつひとつの動きに無駄がありません。
8:21の動画なので、観る前は長いと思うかもしれませんが、動きに思わず引き込まれていきます。
7:40あたりから始まるのは、詠春拳をもとにした動きです。
瞬きする暇もないほど、流れるように早い手の動きを是非ご覧ください。

次の動画は、実際の映画のシーンに使われた戦術を、実演・解説しながら再現しています。
動きの意味がわかった上で、再度、映画を観るととても面白いです。

ジークンドーの格闘理論〜6つの基本攻撃戦術 - ブルース・リー・ジークンドー正統継承 IUMA日本振藩國術館

詠春拳との出会い

ブルース・リーは、中国名・李振藩(リージュンファン)。
父親も俳優で、幼い時から父と共に香港映画に出演していました。
幼い頃から有名人でケンカが強かったので、相当、鼻っ柱の強い少年だったようです。

ところが、13歳の時、クンフー(中国武術)の遣い手に打ち負かされて、プライドを粉々にされてしまいます。強くなりたい一心で、クンフーの達人、葉問(イップ・マン)に弟子入りしました。

イップ・マンのもとで、『詠春拳』を学ぶブルース・リー。
余分な力を抜き、流れるように動けるように修練するのが詠春拳ですが、「勝とう、勝とう」と力を入れるブルース。
イップマンは「リラックスして相手に沿う」ことを教えました。

メキメキ頭角を現し、腕をあげていた18歳の時。
他の門派と果し合いで相手にケガを負わせ、警察沙汰になってしまいます。
両親が心配して、ブルースを香港からアメリカ・シアトルに移り住まわせるのです。

クンフー(中国武術)を伝統から引き離し、進化させようとした

渡米後、ウエイターやチラシ配りをしながら英語を勉強したのち、大学に入学。
「ぼくはアメリカでクンフーを教える最初の人間になる」と言って、『振藩國術館』を開設します。

当時、クンフーは中国人だけの秘伝の技で、暗黙のルールで、クンフーを他民族に教えてはならないとされていました。
けれど、ブルース・リーは誰にも分け隔てなくクンフーを教えたのです。
さらにはクンフーそのものも、伝統から引き離し、進化させようと考えました。

様々な格闘技の優れた技術をリサーチし、良いものは取り入れる

ブルース・リーは、詠春拳の動きを基本にして、ボクシングやレスリングをはじめ、日本の柔道、韓国のテコンドー、ムエタイ(タイ式キックボクシング)、フェンシング、空手など、様々な格闘技の優れた技術を吸収し、取り込んでいきました。

一説によると、格闘技に関する書籍だけでも2000冊以上所蔵し、28種類もの格闘技の技術を取り入れたと言われているそうです。

ボクシング

柔道

テコンドー

フェンシング

目的に合わせたウエイトトレーニングを、いち早く試して導入

サプリメントや栄養摂取の進歩的な実践

ジョー・ウイダーは、「ボディビルの神様」と称され、「ミスター・オリンピア」(国際的なボディビル大会)を主宰しています。そしてウイダー社(アメリカ)は、創始者「ジョー・ウイダー」に由来するブランドなのです。

私たちが現在気軽に購入しているウイダーは、「健康事業」のノウハウを持たない森永製菓が、1983年10月にウイダー社との業務提携をして販売し始めたのが最初です。
始めは「プロテインパウダー」が中心でした。

ジョー・ウイダーは、「食を制した者が勝者になる」と提唱し続けました。
ブルース・リーは、40年以上も前に、こんなにも健康や体づくりに関する高い意識を持ち、得た知識や情報を 実践していたのです。

無いものは自分で創り出す『オープンフィンガーグローブ』

現在の総合格闘技の試合においては必須のアイテムとなっている「オープンフィンガーグローブ」という指の部分が5本に別れていてなおかつ指の先が自由に動かせる仕様の総合格闘技専用のグローブがありますが、ブルース・リーはこの「オープンフィンガーグローブ」を1960年代に既に自分で開発していました。 ブルース・リーが「オープンフィンガーグローブ」を開発した理由としては、彼が1960年代に武術家として活動をしていた時代に 「ボクシングのグローブでは相手の腕を掴みにくい。指を5本独立して動かす事が出来、指先が動かせるグローブを開発したい。」 という思いから、当時の彼の格闘技活動のパートナーであった武術家のダン・イノサントと共同制作でオープンフィンガーグローブを製作したのです。 アメリカの警察が警棒を使った訓練をする時に使用していたグローブを、ブルース・リーとダン・イノサントがお金を出し合って6組購入し、それらのグローブの指の部分を切り落として縫い合わせた、とダン・イノサント自身がかつてインタビューで答えていました。 ブルース・リーが1960年代から提唱し実践していた格闘技論やその技術は、現在の総合格闘技で行われている事のほとんど全てをやっていた事になります。 彼が1960年代に製作していた「オープンフィンガーグローブ」を世界の人達が目にする様になるのは、総合格闘技がブームになり始めた1990年代後半になってからです。

http://m-contents.info/brucelee-1/

「30年先」を行っていた!ブルース・リーの凄さ | タイケンダン

現在販売されているオープンフィンガーグローブの一例

様々な思想や知識を勉強し、自分の技術に重ね合わせていく

もともと、ブルース・リーはワシントン大学に入学した際、哲学を専攻していました。
読書家で、東洋哲学や武術・格闘技の本を読み漁り、それらの思想や知識と、自分の技術を重ね合わせていったのです。

日本のサムライが大好きで、宮本武蔵の『五輪の書』も読んでいたそうです。
武芸者が武術を磨き、自分を高めていくうちに哲学者となり、芸術性を発揮していく。
宮本武蔵と、ブルース・リーの共通性を感じますね。

宮本武蔵『五輪の書』

ジークンドーのシンボルマークの意味

今までみてきたような、心技体それぞれを高めていく過程を、ジークンドーではシンボルマークにして表現しています。

JKDのシンボルマーク

JKDのマークは、太極拳のシンボルとしても有名な陰陽を表わす図を 中心に、それが永久に回り続ける(進化し続ける)意味の矢印、そして周囲にはJKDのエッセンスとも言うべきブルース・リー師祖の言葉が記されています。 訓読すれば「無法を以って有法と為し、無限を以って有限と為す」となり、簡単に言えば“限界や形式(固定したスタイル)は無い、捕われない、あなたは無限です”という意味の言葉です。  陰陽の図は、この世界に存在する全ての事物が、必ず「対」になる何かと相互依存しながら、存在していることを表現しています。  天と地、昼と夜、男性と女性、など世の中にある存在は「対立」しているように見えても実際は、一方の存在がなくては成り立たない物 事をも示しています。たとえば、生き物の“天敵”とは文字通りの“敵”ですが、その存在がなければ、全ての生態系のバランスが崩れてしまいます。事物を広 い視野で見た「調和」を、この図が表しているのです。 格闘に於ける武技にもこの「陰陽」が、そして「陰」の中にも「陽」が、「陽」の中にも「陰」が存在する事が、その武技を完成へ近づける大切な要素となり、戦術に於いてもこの「調和」が大切な要素となるのです。           

http://www.bruceleejkd.com/aboutjkd/concept

ジークンドーの理念 - ブルース・リー・ジークンドー正統継承 IUMA日本振藩國術館

修練と発展の3段階

このシンボルマークは、次の3つの段階を表現しています。

体の使い方や心の在りようを会得できておらず、すべてが部分的でバラバラな状態。

Partiality, 部分性

そこから原理原則を学び、反復練習することで基本ができあがる。
それを水の流れのように、自分自身の個性に沿って変化させ、進化させていく。

Fluidity, 流動性

やがて無意識のうちに体が動き、適切な動きができる状態になる。
それが無の境地になるということ。

Emptiness, 空

これが、ブルース・リーが考えたジークンドーの道のりであり、これを極めることが「道」そのものなのです。

水のように生きる

ブルース・リーは亡くなる1年くらい前に「究極の真実は自分に勝ち、心の調和をはかることだ」と述べています。
そのためには、水のように生きることが永遠のテーマだとも言っていました。

水は時に静かに流れ、時に激しく硬いものすら打ち砕きます。
あらゆる状況に合わせて形を変えながら、けれども本質は変わらない水。
ブルース・リーが求めたのは、この「水」になることだったのです。

ブルース・リーと映画

1971年、30歳になった時、ブルース・リーは香港に拠点を移します。

ジークンドーを教えるかたわら、ハリウッドで俳優業も続けていましたが、当時のハリウッドには、アジア人に対する見えない壁があり、アジア人は絶対に主役になることができませんでした。25~30歳までのブルース・リーは、俳優業においては「本当に表現したいもの」をすることができなかったのです。

「クンフー映画のおひざ元で、ハリウッドをあっと驚かす作品を作る!」という野心に燃えて、『ドラゴン』映画制作に取り組んだのでした。

『ブルース・リー』の伝説:『燃えよドラゴン』(日本では1973年公開)から始まる「ドラゴンシリーズ」と後世への影響 - Middle Edge(ミドルエッジ)

『ドラゴン危機一髪』は香港映画史上空前の大ヒットになりました。
脚技の速さから、「脚三李」(足が3本に見える)と、新聞に評されたほどでした。
2作目『ドラゴン怒りの鉄拳』、3作目『ドラゴンへの道』も大当たり。
特に3作目の『ドラゴンへの道』は、製作・監督・脚本・主演・武術指導の5役をこなしました。クライマックスの、アメリカ空手チャンピオンとの7分間の死闘は、世界の映画史上最高の格闘シーンと言われています。

わずか2年足らずの間にトップスターに駆け上がっていきました。
けれどブルース・リー自身は、まわりの興奮を冷静に見つめていました。
次の動画は、その頃の心境を語ったものです。

動画の最後に、ブルース・リーがこう語っています。
『だから米国では、本物の東洋を見せてやると決めたんだ』

『ドラゴンへの道』の後、ハリウッドから映画の共同制作話が持ち込まれ、すでにスタートしていた『死亡遊戯』の制作を中断し、『燃えよドラゴン』の撮影に入るのです。

『本物の東洋』
この言葉通り、武道家としても俳優としても、人生の総決算となる作品になりました。
この時期のブルース・リーの武術が、いかに常人離れしたものであったか、是非この動画をご覧ください。

『燃えよドラゴン』は完成しましたが、1973年7月20日にブルース・リーは亡くなり、彼がこの映画の、世界中での大ヒットを知ることはありませんでした。

けれど「20世紀で最も重要な・偉大な100人」に選ばれるほど、彼の遺した映画とジークンドーが人々に与えた影響は大きかったのです。
偉大なる武道家に敬意を表したいと思います。

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