ボン・ジョヴィ グループ結成からデビューまで
CD (1995/2/25)
Amazon.co.jp: ボン・ジョヴィ : 夜明けのランナウェイ - ミュージック
1980年代初頭、ニュージャージー州で音楽好きな高校生だったジョン・ボン・ジョヴィは、知り合いだったデヴィッド・ブライアンとバンドをはじめる。これがボン・ジョヴィのスタートだった。
この、ボン・ジョヴィを売り出そうとしたとき、はじめジョン・ボン・ジョヴィを売り出すためのバックバンドとして扱おうとしたらしい。
しかし、ジョン・ボン・ジョヴィの意向でグループとしてデビューする。クイーンもそうですが音楽業界には「日本で売れると世界で売れる」というジンクスがあるようです。
ボン・ジョヴィも最初なかなか売れず苦労した時代がありました。しかし、日本のヘヴィメタル専門の音楽評論家 伊藤政則氏が彼等のサウンドにほれて、各メディアで大きく取り上げたのが日本でのブレイクのきっかけだったとか。
1986年 「ワイルド・イン・ザ・ストリーツ 」で全米ヒット1位
ボン・ジョヴィのこのサードアルバムがビックバンド ボン・ジョヴィのはじまりとなる。
初期大ヒット「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」がビルボード1位の大ヒットに。
2006/7/19 発売のペイパーバック
Amazon.co.jp: The Best of Bon Jovi (Tab): Bon Jovi / Artists: 洋書
アメリカでは3枚目のアルバム発売までほとんど無名のバンドでした。
この「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」のヒットにより翌年ワールドツアーを行い、当時ロックスター達の一つの目標であるマディソンスクエアガーデンでの公演を成功させる。このサードアルバムは2,800万枚セールスを記録。
ボン・ジョヴィ ディスコグラフィー
30年以上のキャリアの中でアルバムはオリジナルアルバムは14枚、その中でシングルリリースは41曲を数える。そのシングルヒットの中でヒットチャート1位は6曲。
ボン・ジョヴィの4枚目のアルバム「ニュージャージー」彼等の故郷の名をつけたアルバムです。
このアルバムから「バッド・メディシン」が誕生しました。このアルバムも1,800万枚をセールス。このアルバムは日本フォノグラムより発売されその年の第3回日本ゴールドディスク大賞洋楽部門で大賞を受賞している。彼等の活動を初期から応援してきた日本のファンにとっても記念に残るアルバムとなりました。
大の親日家ボン・ジョヴィ 日本でのチャリティーコンサートも
アメリカでほとんど注目されなかった時代から日本のフアンはボン・ジョヴィを応援してきました。
ファーストアルバムからの「夜明けのランナウェイ」はドラマ「乳姉妹」の主題歌となる。
これは、2011年3月 東日本大震災後被災した日本のファンへのメッセージです。
当時、クイーン・KISS・エアロスミス・マドンナ・レディガガなど多くのミュージシャンが日本へのメッセージと多額の寄付をいただきました。特に、ジョン・ボン・ジョヴィは本土アメリカで才能ある偉大なミュージシャンや俳優として有名だけでなく社会活動家としても大変高い評価を得ています。
またこの、東日本大震災だけでなく、1995年阪神・淡路大震災の時にも同様に日本のファンの為にチャリティーコンサートを開催し義援金を寄付されています。