ブルーインパルスとは?

ブルーインパルス=第4航空団飛行群第11飛行隊
ブルーインパルス(航空自衛隊第11飛行隊)は、他の飛行隊と同様に「飛行班」、「整備小隊」、「総括班」と3つの部署があり、全てブルーインパルスのメンバーである。
「飛行班」はパイロットが所属。地上クルーは、「整備小隊」と「総括班」に所属している。
【ドルフィン・ライダー】と呼ばれるブルーインパルスの凄腕パイロットたち!
「飛行班」には、飛行隊長以下10名~12名のパイロットが在籍している。
ブルーインパルスのパイロットとして選抜される為には、下記のような条件を満たさなければならない。
・本人の希望
・戦闘機操縦者
・2機編隊長(エレメントリーダー)以上の資格を有する事
上記以外にも、様々な技術が求められるが、第1に高度な操縦技量が求められる。
他にも、広報活動を主任務としているブルーインパルスのメンバーは、社交性がある事や、フライトにはチームワークも不可欠なため、協調性も求められるという。

ドルフィン・ライダーバッチ

3年間という任期が定められており、任期の3年の内訳は以下の通り
【ドルフィン・キーパー】と呼ばれる地上クルーの整備員たち!
地上クルー「整備小隊」、「総括班」は約30名が所属。彼らは、ブルーインパルスの「操縦」を除く全てを担当。「サポートスタッフ」と「メンテナンス」に大きく分類される。

ドルフィン・キーパーバッチ

ドルフィン・キーパー
【ブルーインパルス】ホームベース
ブルーインパルスのホームベースは、航空自衛隊松島基地の一角にある。
メンバーの拠点となる「飛行隊隊舎」をはじめ、ブルーインパルスの歴史を知る事が出来る「ブルーミュージアム」も松島基地にある。

ブルーインパルスの聖地『航空自衛隊松島基地』

ブルーインパルス専用ハンガーを背に飛ぶT-4!

デデ~~~ン!でかいですね~!

ブルーインパルスミュージアム
問い合わせ / 松島基地 -MATSUSHIMA AIR BASE- | [JASDF]航空自衛隊
ナント!あのクールな機体のカラーリングは一般公募だった!
「T-2」、「T-4」ブルーインパルスの塗装デザインは、一般公募を経て決定されました。
下記は、「T-4」の公募で選ばれた作品。
1992年11月に防衛庁航空幕僚監部から一般公募の告知が出され、合計2135作品の応募があり、選定れた。見事、最優秀作品に選ばれたのは、飛行機ファンの中でも有名な方の作品だそうです。

見事最優秀作品に選ばれた「T-4」のデザイン

優秀作品や佳作など
アクロバット飛行は、「アメリカン・スタイル」と呼ばれる6機編成

ブルーインパルスは、アメリカ空軍の『サンダーバーズを手本とした』と言われている。
ブルーインパルスの1~6番機の役割を理解する
ブルーインパルス3つの時代とは?
ブルーインパル3つの時代と言われている「F-86時代」「T-2時代」「T-4時代」。
初の公式展示飛行を実施し、「ハチロク・ブルー」の愛称で東京オリンピックや、万博で大空に夢を描いた「F-86ブルー時代」。
純国産の超音速練習機「T-2ブルー」は、そのスピーディーなパフォーマンスで航空祭やイベントで、展示飛行というジャンルを確立した。
そして、1995年から始まった、現「T-4ブルー」は、今や航空祭のみならず各地のイベントで引っ張りだこと確実にファンを増やしている。
発足から半世紀を超えたブルーインパルスの歴史を振り返って見たいと思います。
【F-86】初代ブルーインパルス(1961.3.4~1981.3.31)

アメリカのサンダーバーズに影響を受けた初代機体、ハチロク!

1964年10月10日、東京オリンピック開会式で会場上空に困難と言われた五輪マークを描く!
【不慮の事故】想像以上に過酷な空でのパフォーマンスでは。。。
■F-86時代の事故
・1961年7月21日
加藤3佐が、単機リーダー訓練中に伊良湖畔沖に墜落して殉職。
ブルーインパルス初の事故となる。
・1965年11月24日
ソロ機がテイクオフ・ロール時に墜落、城丸2尉が殉職。

1970年3月14日、大阪万博開会式で会場上空に「EXPO'70」の文字を描く
【T-2】2代目ブルーインパルス(1982.1.12~1995.12.22)

国産の超音速練習機「T-2」

【T-2】のカラーリングは一般公募!採用されたのはナント!

1982年7月25日、松島基地の航空祭で初の公式展示飛行

世界のどのアクロバット飛行チームにもないT-2ブルーだけの特徴「トーチング」!
【不慮の事故】デビューから7回目となる展示飛行での出来事。。。
不慮の事故により、チームの存続が危ぶまれたが、関係者や多くの支援者の献身的な努力により、1983年2月に飛行訓練が再開されることになった。
1994年8月10日、米空軍の「サンダーバーズ」と三沢基地航空祭で共演!
1995年12月22日、第21飛行隊戦技研究班(T-2ブルーインパルス)解散
T-2ブルーにとって最後の年となった1995年も、精力的に展示飛行を行い、トータル175回の公式展示飛行を記録。13年の歴史に幕を閉じた。F-86に比べると短い時間だったが、一般公募のカラーリングやトーチングなど多くのファンを魅了し、展示飛行というジャンルを広めた。
【T-4】3代目ブルーインパルス(1995.12.22~)

華麗なアクロバット飛行を披露する「ブルーインパルス」の三代目機種

1997年4月、米空軍創設50周年記念エアショーで展示飛行を実施!

1982年2月7日、長野オリンピック開会式
【不慮の事故】創設40周年の記念すべし年に。。。
・2000年7月4日
飛行訓練後の帰投時に2機が墜落し、阿部3佐、一嶋3佐、梅川1尉の3名が殉職

安全対策を見直し、2001年2月に飛行訓練が再開される。

2002年6月4日、FIFAワールドカップ
3.11東日本大震災で被災し、ホームベースを失う。。。

松島基地は津波により大きな被害を受けてしまう。


ドキュメンタリー映画『絆 再びの空へ』
ホームベースを失ったT-4ブルーは、災害派遣任務が一段落した5月23日に芦屋基地で訓練を開始する。その後、着実に訓練を重ね航空祭などでパフォーマンスを行う。
松島基地では、施設の復旧が進められ簡易ハンガーの完成に伴い、2013年3月30日に松島基地へ帰還した。

【感動の一枚】おかえり、ブルーインパルス!
「F-86」「T-2」「T-4」とバトンを繋いできたブルーインパルス。「T-4」の後継機を調べてみるとファンの方々は様々意見をお持ちのようですが、正式なコメントはないようです。
今は、1年中(毎日ではないですが…)ブルーを観れる機会があります!
ご興味のある方は航空祭など足を運んでみてはいかがでしょうか!
