大空を舞う航空自衛隊【ブルーインパルス】3つの時代をひも解く!

大空を舞う航空自衛隊【ブルーインパルス】3つの時代をひも解く!

詳しい人はめちゃめちゃ詳しくて、そうでない人も聞いたことのあるフレーズ「ブルーインパルス」。大空を駆けるブルーインパルスを振り返ってみよう!


ブルーインパルスとは?

ブルーインパルス(Blue Impulse)は、航空自衛隊に所属する曲技飛行隊(アクロバット飛行チーム)の愛称である。当初は部隊の中の1チームという位置づけであったが、1995年には制式に1部隊として独立した。制式部隊名は「第4航空団飛行群第11飛行隊」で、広報活動を主な任務とし、展示飛行を専門に行う部隊である。

(引用:wikipedia)

ブルーインパルス=第4航空団飛行群第11飛行隊

ブルーインパルス(航空自衛隊第11飛行隊)は、他の飛行隊と同様に「飛行班」、「整備小隊」、「総括班」と3つの部署があり、全てブルーインパルスのメンバーである。
「飛行班」はパイロットが所属。地上クルーは、「整備小隊」と「総括班」に所属している。

【ドルフィン・ライダー】と呼ばれるブルーインパルスの凄腕パイロットたち!

「飛行班」には、飛行隊長以下10名~12名のパイロットが在籍している。
ブルーインパルスのパイロットとして選抜される為には、下記のような条件を満たさなければならない。
・本人の希望
・戦闘機操縦者
・2機編隊長(エレメントリーダー)以上の資格を有する事
上記以外にも、様々な技術が求められるが、第1に高度な操縦技量が求められる。

他にも、広報活動を主任務としているブルーインパルスのメンバーは、社交性がある事や、フライトにはチームワークも不可欠なため、協調性も求められるという。

左肩に付けられるドルフィン・ライダーのバッチ。
日の丸を背に、飛行機っぽいフォルムのイルカが飛んでいるようなデザイン。

ドルフィン・ライダーバッチ

■1年目
TR(訓練待機、Training Readiness)として演技を修得する。
展示飛行の際にはナレーションを担当したり、訓練のため後席に搭乗することがある。

■2年目
OR(任務待機、Operation Readiness)として展示飛行を行う。

■3年目
ORとして展示飛行を行いつつ、担当ポジションの教官としてTRのパイロットに演技を教育する。

3年間という任期が定められており、任期の3年の内訳は以下の通り

【ドルフィン・キーパー】と呼ばれる地上クルーの整備員たち!

地上クルー「整備小隊」、「総括班」は約30名が所属。彼らは、ブルーインパルスの「操縦」を除く全てを担当。「サポートスタッフ」と「メンテナンス」に大きく分類される。

左肩に付けられるドルフィン・キーパーのバッチ。
緑の大地を背に、6期編成のT-4とイルカがデザインされている。
飛行機から出ているスモークは5色!五輪カラーだ!

ドルフィン・キーパーバッチ

ドルフィン・キーパー

【ブルーインパルス】ホームベース

ブルーインパルスのホームベースは、航空自衛隊松島基地の一角にある。
メンバーの拠点となる「飛行隊隊舎」をはじめ、ブルーインパルスの歴史を知る事が出来る「ブルーミュージアム」も松島基地にある。

ブルーインパルスの聖地『航空自衛隊松島基地』

Home Of The Blue Impulse

ブルーインパルス専用ハンガーを背に飛ぶT-4!

デデ~~~ン!でかいですね~!

このブルーインパルスミュージアム、松島基地の第4航空団広報班に申し込んで基地見学に参加すれば見に行くことができるようです。
ここは、第11飛行隊の隊舎の中にあり、F-86Fの時代からの歴史的な資料、写真、グッズなどが展示されています。

ブルーインパルスミュージアム

問い合わせ / 松島基地 -MATSUSHIMA AIR BASE- | [JASDF]航空自衛隊

ナント!あのクールな機体のカラーリングは一般公募だった!

「T-2」、「T-4」ブルーインパルスの塗装デザインは、一般公募を経て決定されました。
下記は、「T-4」の公募で選ばれた作品。
1992年11月に防衛庁航空幕僚監部から一般公募の告知が出され、合計2135作品の応募があり、選定れた。見事、最優秀作品に選ばれたのは、飛行機ファンの中でも有名な方の作品だそうです。

日の丸が映える、白と青のシンプルなデザイン。
F-86ブルーをイメージさせるカラーリング。

見事最優秀作品に選ばれた「T-4」のデザイン

どのデザインも、ファンならではのこだわりのあるカッコイイ作品ですね~!

優秀作品や佳作など

アクロバット飛行は、「アメリカン・スタイル」と呼ばれる6機編成

基本的な科目構成は、1~4番機によるフォーメーション課目と、5番機と6番機によるソロ課目に大別されている。

この「アメリカン・スタイル」といわれる6機編成は、米海軍の『ブルーエンジェル』も採用している。
反面、ヨーロッパのチームは、比較的多数機フォーメーションが中心となっている。

ブルーインパルスは、アメリカ空軍の『サンダーバーズを手本とした』と言われている。

1番機がブルーインパルスの編隊長機 1番機は編隊長。LAEDERとも呼びます。ブルーインパルスの編隊を先導する編隊長機。正確な操縦技術が必要で、ベテランパイロットが担当します。 2番機は左翼機。LEFT WINGとも呼びます。1番機の左側に位置。隊形変換などの際には、この2番機が基準になります。 3番機は右翼機。RIGHT WINGとも呼びます。1番機の右側に位置し、ブルーインパルスのチーム内で最も若手のパイロットが担当。2番機の動きや位置に合わせて、対称性を確保します。 5番機のパイロットが第2編隊長 4番機は後尾機。SLOTとも呼びます。1番機の真後ろから、隊形のバランスを整える役割が4番機。1番機の排気が当たるため、過酷なポジションといわれています。 5番機は第1単独機。LEAD SOLOとも呼びます。1番機にトラブルがあった際には、5番機のパイロットが第2編隊長としてブルーインパルスの編隊を統率。また、6番機と一緒にデュアルソロ課目も行います。 6番機は第2単独機。OPPOSING SOLOとも呼びます。ソロ課目や、5番機とともにデュアルソロ課目を担当。デルタ隊形の場合は、4番機の右側に位置します。この情報は『ラジオライフ』2015年7月号に掲載されていました。

http://radiolife.com/security/defense/3066/

ブルーインパルスの1~6番機の役割を理解する

ブルーインパルス3つの時代とは?

ブルーインパル3つの時代と言われている「F-86時代」「T-2時代」「T-4時代」。
初の公式展示飛行を実施し、「ハチロク・ブルー」の愛称で東京オリンピックや、万博で大空に夢を描いた「F-86ブルー時代」。
純国産の超音速練習機「T-2ブルー」は、そのスピーディーなパフォーマンスで航空祭やイベントで、展示飛行というジャンルを確立した。
そして、1995年から始まった、現「T-4ブルー」は、今や航空祭のみならず各地のイベントで引っ張りだこと確実にファンを増やしている。
発足から半世紀を超えたブルーインパルスの歴史を振り返って見たいと思います。

【F-86】初代ブルーインパルス(1961.3.4~1981.3.31)

F-86は、アメリカ合衆国のノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機。愛称はセイバー(Sabre)である。
ブルーインパルスの初代機体でもあり、1964年東京オリンピックにて大空に五輪旗を描いたことでも有名で、長く活躍したことから、愛称「ハチロク」と呼ばれて親しまれた。

アメリカのサンダーバーズに影響を受けた初代機体、ハチロク!

当時を振り返った動画がありました!
ナント、二日酔いで臨んで成功したのだとか。
本当かな…!?

1964年10月10日、東京オリンピック開会式で会場上空に困難と言われた五輪マークを描く!

【不慮の事故】想像以上に過酷な空でのパフォーマンスでは。。。

■F-86時代の事故
・1961年7月21日
加藤3佐が、単機リーダー訓練中に伊良湖畔沖に墜落して殉職。
ブルーインパルス初の事故となる。

・1965年11月24日
ソロ機がテイクオフ・ロール時に墜落、城丸2尉が殉職。

東京オリンピックの時は5機を使い、大阪万博の時は6機を使って大空に文字を描いた。

1970年3月14日、大阪万博開会式で会場上空に「EXPO'70」の文字を描く

【T-2】2代目ブルーインパルス(1982.1.12~1995.12.22)

T-2は、日本・航空自衛隊の高等練習機。三菱重工業が製造。初飛行は1971年(昭和46)7月20日。日本が初めて開発した超音速航空機である。2006年(平成18)3月2日に岐阜基地・飛行開発実験団のT-2特別仕様機(59-5107)が引退し、初飛行から35年の歴史に幕を閉じた。大抵は「ティーツー」と呼ばれ愛称は無い。

(引用:wikipedia)

国産の超音速練習機「T-2」

ナント!女子高生4人の合作によるデザイン案が採用された!
そのデザインは、「F-86ブルー」を全く意識していないシャープで斬新なデザインで、機体形状にマッチしている。

【T-2】のカラーリングは一般公募!採用されたのはナント!

この日は、天候が悪く十分なパフォーマンスを披露する事が出来なかった。

1982年7月25日、松島基地の航空祭で初の公式展示飛行

ブルーインパルス仕様の改修点は、アクロバット飛行用に胴体内の第7燃料タンクをスモークオイル用に転用したスモーク発生装置が主なものである。離陸時にスモークオイルを噴出しないでアフターバーナーを使用するとスモーク発生装置のノズルが溶解してしまうため、離陸推力とアフターバーナーの併用時にはスモークオイルを流すようにしていた。これによってスモークオイルが高温の排気によって燃焼し、長い炎を曳くことになったが、偶然の産物であったものの観客には強い印象を与えることになった。これは「トーチング」と呼ばれ、世界のどのアクロバット飛行チームにもないT-2ブルーインパルスだけの特徴となった。

(引用:wikipedia)

世界のどのアクロバット飛行チームにもないT-2ブルーだけの特徴「トーチング」!

【不慮の事故】デビューから7回目となる展示飛行での出来事。。。

不慮の事故により、チームの存続が危ぶまれたが、関係者や多くの支援者の献身的な努力により、1983年2月に飛行訓練が再開されることになった。

1994年8月10日、米空軍の「サンダーバーズ」と三沢基地航空祭で共演!

1995年12月22日、第21飛行隊戦技研究班(T-2ブルーインパルス)解散

T-2ブルーにとって最後の年となった1995年も、精力的に展示飛行を行い、トータル175回の公式展示飛行を記録。13年の歴史に幕を閉じた。F-86に比べると短い時間だったが、一般公募のカラーリングやトーチングなど多くのファンを魅了し、展示飛行というジャンルを広めた。

【T-4】3代目ブルーインパルス(1995.12.22~)

T-4は、日本の航空自衛隊で使用している中等練習機で、プロペラ機による初等訓練を終えたパイロットがつづいて訓練する中等練習のために製作された亜音速ジェット機。「ティーよん」や「ティーフォー」と呼ばれるほか、正式な愛称では無いが、他の航空機に比べ小型で丸みを帯びた姿から「ドルフィン」(イルカ)と呼ばれる。エンジンを含めた日本の純国産ジェット練習機はT-1Bについで2機種目である。

(引用:wikipedia)

華麗なアクロバット飛行を披露する「ブルーインパルス」の三代目機種

米空軍50周年記念に制作されたパッチ

1997年4月、米空軍創設50周年記念エアショーで展示飛行を実施!

ベートーヴェン交響曲第9の演奏終了に合わせて会場上空に!

1982年2月7日、長野オリンピック開会式

【不慮の事故】創設40周年の記念すべし年に。。。


・2000年7月4日
飛行訓練後の帰投時に2機が墜落し、阿部3佐、一嶋3佐、梅川1尉の3名が殉職
7月4日の悲しい出来事から、抜本的に安全対策を見直し、さらに厳しい基準を設けた上で再開された飛行訓練。200年8月26日の松島基地航空祭において待望の展示飛行が再開されたが、十分な余裕がなかった事もあり、6機ではなく4機のパフォーマンスとなってしまった。

安全対策を見直し、2001年2月に飛行訓練が再開される。

埼玉スタジアムの上空を4機でパフォーマンス!

2002年6月4日、FIFAワールドカップ

3.11東日本大震災で被災し、ホームベースを失う。。。

基地の施設をはじめ、全ての航空機が壊滅的なダメージを受けてしまったが、T-4ブルーは整備中だった1機を除き、展示飛行で芦屋基地へ行っていた為、奇跡的に難を逃れる事が出来た。

松島基地は津波により大きな被害を受けてしまう。

松島基地は所在のF-2B戦闘機など28機が水没したほか、レーダー、整備機材などがダメになり、航空基地機能を喪失した。地震発生から津波到達までの間に航空機を離陸させて避難できなかったのかという声は未だに散見される。

(引用:http://www.sanspo.com/)

Blue 震災後2週間の東松島に車を走らせ、2年以上にわたって記録された取材映像が、迫真のドキュメンタリーとしてついに映画化。
そこには、普段目にすることのない航空自衛官の生きざま、困難の中で諦めず懸命に立ち向かう姿が刻まれている。東日本大震災発生当時、ブルーインパルスの所属する宮城県松島基地には津波が押し寄せ、全ての航空機が壊滅的な被害を受けた。しかしブルーインパルスは、展示飛行のために別の基地へ展開しており、奇跡的に難を逃れる。修羅場に変わった松島基地へ身一つで戻った隊員たちは、自身も家族も被災者でありながら職務を果たすため、基地周辺被災地の復旧活動と民生支援に没頭した。
震災から3ヵ月後、北九州の航空自衛隊芦屋基地で、技量回復のために移動訓練が行われた。
災害派遣は引き続き行われ、被災地はまだまだ厳しい状況の中、チーム復活への取り組みが始まる。
「本当に自分たちは飛んでいいのか?」「飛ぶことが復興につながるのか?」さまざまな葛藤の中で、ブルーインパルスは多くの人たちに支えられ復活していく。隊員たちは訓練を重ねながら、マザーベース松島基地へ帰還する日を、心に強く思い描いていた。

(引用:http://www.banaple.co.jp/kizuna/)

ドキュメンタリー映画『絆 再びの空へ』

ホームベースを失ったT-4ブルーは、災害派遣任務が一段落した5月23日に芦屋基地で訓練を開始する。その後、着実に訓練を重ね航空祭などでパフォーマンスを行う。
松島基地では、施設の復旧が進められ簡易ハンガーの完成に伴い、2013年3月30日に松島基地へ帰還した。

【感動の一枚】おかえり、ブルーインパルス!

「F-86」「T-2」「T-4」とバトンを繋いできたブルーインパルス。「T-4」の後継機を調べてみるとファンの方々は様々意見をお持ちのようですが、正式なコメントはないようです。
今は、1年中(毎日ではないですが…)ブルーを観れる機会があります!
ご興味のある方は航空祭など足を運んでみてはいかがでしょうか!

関連する投稿


歴代の航空自衛隊【主力戦闘機】を調べてみました

歴代の航空自衛隊【主力戦闘機】を調べてみました

冷戦時代も含め現在も領空侵犯してくる国籍不明機は後を絶たず、スクランブル発進は日常茶飯事となっていることをご存知ですか?昔から今も日本の空を守り続けてきた戦闘機を時代順にご紹介させて頂きます。


最新の投稿


世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

世界が熱狂!葛飾商店街×『キャプテン翼』コラボ「シーズン2」開催!新エリア&限定メニューで街を駆け抜けろ!

葛飾区商店街連合会は、2025年10月10日より『キャプテン翼』とのコラボイベント「シーズン2」を亀有・金町・柴又エリアで開催。キャラクターをイメージした限定メニューやスタンプラリーを展開し、聖地巡礼と地域活性化を促進します。


キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

キン肉マン愛が英語力に!超人たちの名言・名場面で学ぶ『キン肉マン超人英会話』発売

人気アニメ『キン肉マン』の「完璧超人始祖編」の名言・名場面を題材にした英会話学習書『キン肉マン超人英会話』が、2025年11月29日(土)にKADOKAWAより発売されます。超人たちの熱い言葉を通じて、楽しみながら実用的な英語表現をインプットできます。TOEIC満点保持者やプロレスキャスターなど、豪華プロ集団が監修・翻訳を担当した、ファン必携の英語学習本です。


【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

【カウントダウン】あと2日!古舘伊知郎&友近「昭和100年スーパーソングブックショウ」いよいよ開催迫る!豪華ゲスト集結の東京国際フォーラムは「昭和愛」で熱狂へ!

開催直前!TOKYO MX開局30周年記念「昭和100年スーパーソングブックショウ」が10月16日に迫る。古舘伊知郎と友近がMC、豪華ゲストと共に贈る一夜限りの昭和ベストヒットに期待高まる!


ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブを東阪ビルボードで開催!

ギタリスト 鈴木茂が、『鈴木茂「BAND WAGON」発売50周年記念ライブ~Autumn Season~』を11月13日にビルボードライブ大阪、16日にビルボードライブ東京にて開催する。今回は、1975年にリリースされた1stソロアルバム「BAND WAGON」の発売50周年を記念したプレミアム公演となる。


【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

【1965年生まれ】2025年還暦を迎える意外な海外アーティストたち!

2025年(令和7年)は、1965年(昭和40年)生まれの人が還暦を迎える年です。ついに、昭和40年代生まれが還暦を迎える時代になりました。今の60歳は若いとはと言っても、数字だけ見るともうすぐ高齢者。今回は、2025年に還暦を迎える7名の人気海外アーティストをご紹介します。