生まれてくるのがちょっと早かった!?Jリーグ開幕前の名プレイヤー
Jリーグが開幕してからは、サッカー人気は定着。特に代表選はチケット入手困難なほどです。しかし、今から30年ほど前は、代表選ですら閑古鳥が鳴いているほどでした。その頃に活躍した選手を「生まれてくるのがちょっと早かった!?Jリーグ開幕前の名プレイヤー」を題し、プレイバックしていきましょう。
奥寺康彦
ポジション:FW、MFなど
生年月日 1952年3月12日
出身地 秋田県鹿角市
身長 177cm
体重 75kg
クラブ:1970-1977 古河電工
1977-1980 ケルン
1980-1981 ヘルタ・ベルリン
1981-1986 ブレーメン
1986-1988 古河電工
今では、香川真司や内田篤人、長谷部誠など多くの日本人選手が活躍しているドイツ・ブンデスリーガですが、そのパイオニアがこの人!今以上に世界最高峰リーグと言われていたブンデスで10年間も活躍した。ドイツでは「東洋のコンピューター」と言われ、針穴を通すようなスルーパスに驚愕した。
風間八宏
ポジション:MF
生年月日 1961年10月16日
出身地 静岡県静岡市清水区
身長 173cm
体重 67kg
クラブ:1984 ジョイフル本田
1984-1985 バイエル・レバークーゼンII
1985-1988 FCレムシャイト
1988-1989 ブラウンシュヴァイク
1989-1992 マツダSC
1992-1995 サンフレッチェ広島F.C
1996-1997 FCレムシャイト
現在は川崎フロンターレの監督、少し前まではフジテレビのサッカー解説でお馴染みの風間だが、現役当時は天才の名を欲しいままにしていたミッドフィルダーだった。
尾崎加寿夫
ポジション FW
生年月日 1960年3月7日
出身地 東京都
身長 176cm
体重 74kg
チーム 1978-1983 三菱
1983-1988 ビーレフェルト
1988-1989 ザンクトパウリ
1989-1990 ツゥル・デュッセルドルフ
1990-1992 三菱→浦和
1993 V川崎
ニックネーム「若大将」の元祖サムライストライカー。ブンデスリーガで活躍した海外組の走り。
木村和司
ポジション MF
生年月日 1958年7月19日
出身地 広島市南区
身長 168cm
体重 64kg
チーム 1981-1992 日産自動車
1992-1994 横浜マリノス
華麗なタクトを振る和製マラドーナとも言うべき卓越したゲームメーカー。フリーキックの名手で、1985年の日韓戦で魅せた芸術的FKは、今も伝説として語り草となっている。
金田喜稔
ポジション MF
生年月日 1958年2月16日
出身地 広島県安芸郡府中町
身長 168cm
体重 62kg
チーム 1980-1991 日産自動車
今で言う宇佐美や原口のようなスピード感溢れるドリブルが切れ味抜群だったドリブラー。この時代の多くの選手が、Jリーグ初期を経験しているのに対して、開幕直前の1991年で引退。
加藤久
ポジション DF
生年月日 1956年4月24日
出身地 宮城県宮城郡利府町
身長 174cm
体重 70kg
チーム 1980-1992 読売クラブ
1992-1993 ヴェルディ川崎
1993 清水エスパルス
1994 ヴェルディ川崎
技術と言うよりも魂で相手を抑える熱血ディフェンダー。その遺伝子は、秋田豊、そして植田直通などに受け継がれている気がする。引退後は、監督としてJリーグ各チームを率いた。
原博美
ポジション FW
生年月日 1958年10月19日
出身地 栃木県那須塩原市
身長 183cm
体重 80kg
チーム 1981-1992 三菱重工/三菱自動車
今ではサッカー協会次期会長候補になるなど協会幹部として働いていて、サッカーファンからは疎まれる存在だが、現役時代は代表でも37ゴールをマークした点取り屋だった。
吉田光範
ポジション MF
生年月日 1962年3月8日(53歳)
出身地 愛知県刈谷市
身長 175cm
体重 66kg
チーム 1980-1993 ヤマハ
1994-1995 ジュビロ磐田
「ドーハの悲劇」も経験したいぶし銀ボランチ。地味ながら、的確なポジショニングで、相手の攻撃の芽を摘みまくってくれていた。
佐田繁理
ポジション FW
生年月日 1954年12月13日(61歳)
出身地 長崎県長崎市
チーム 1975 - 1976 東方足球隊(香港)
日本人プロサッカー選手第1号とも言われている選手。香港リーグで大活躍して、日本名を名乗る華僑の子と間違えられ、香港代表に招集されかけたなんていう逸話も。
歌手・さだまさしの実弟。
いかがでしたでしょうか?ピークが過ぎた選手として晩年に、1~2年Jリーグを経験している選手が多いのは、きっと「生まれてくるのが早かった・・・」という残念な気持ちもあってではないでしょうか。Jリーグ開幕当初は、盛り上がりが異常なほどで、閑古鳥の鳴く中、頑張っていた選手には忸怩たるものがあったのかもしれません。