生い立ち
サクラバクシンオー
父 サクラユタカオー 母 サクラハゴロモ
父サクラユタカオーは天皇賞秋優勝馬、母サクラハゴロモは天皇賞と有馬記念を制したアンバーシャダイの妹。従兄には阪神三歳ステークス優勝馬のイブキマイカグラ。
サクラバクシンオーを管理することになる名伯楽境勝太郎氏は幼駒自体の同馬を「典型的なユタカオーの仔」としたうえで、「柔らかみのある好馬体ではあったけど、当時はあんなに走るようになるとは想像しなかった」と語っている。
境勝太郎 - Wikipedia
境勝太郎氏の相馬眼を学ぶならこれ!
デビューまで
サクラバクシンオーは父サクラユタカオーと同じで体質が弱く、脚部不安を抱えており、3歳の秋にやっと境厩舎に入厩した。調教では非凡なスピードを見せていたが、この当時は母父がアンバーシャダイという血統背景もあり、クラシック路線を目指していた。また、陣営は「常にこれが最後のレースになる」という覚悟でレースに送り出していたという。評論家の大川慶次郎は「休む時に休ませ、いいときに使っている。サクラバクシンオーが引退まで故障をせずにこれたのは境調教師のおかげ」と語っていた。境調教師自身は日々、サクラバクシンオーの脚元のケアをした厩務員吉村克彦のおかげだと語っている。
デビューそして短距離路線への挑戦
クラシック路線を狙っていた4歳春
デビュー戦は4歳になった1月のダート1200m戦だった。このデビュー戦を5馬身差の圧勝で飾り、続く500万条件戦では、スタートでの出遅れが響き、2着と敗れた。しかし、距離を1200mに戻した3戦目は2着に4馬身差の逃げ切り勝ちをおさめた。タイムも1分8秒8は同日に同条件で行われていた古馬900万下のタイムを0秒3上回る好タイムであった。
陣営は次走にクラシックの皐月賞トライアル、スプリングS(1800m)に出走する。三番人気の評価を得ていたが、当日の重馬場も堪えたようだが、一番敗因は距離にあった。
このレースを気にクラシック路線はあきらめ、短距離路線へと舵をきる。
短距離重賞への挑戦
スプリングS惨敗後は、1200mのクリスタルCに出走。調教の順調さなどは欠いたが見事勝利し、初重賞制覇を成し遂げる。その後、6月の1600m戦のニュージーランドT四歳ステークスではシンコウラブリィの7着と敗れてしまう。夏場は休養に充てて、秋は京王杯スプリングCを3着とし、キャピタルS1着と善戦しスプリンターズSへ出走する。
初の挑戦。スプリンターズS
キャピタルSを快勝し、スプリンターズSに向かったサクラバクシンオー。この年のスプリンターズSには、ダイタクヘリオスやニシノフラワー等の強豪がひしめいていた。スタートしていつも通り先手を奪ったものの、前半600mを32秒という驚異的なラップを刻み、6着と沈んでしまう。この敗戦が1400m以下のレースで生産で一度の敗戦となった。
レースは後方待機をしていたニシノフラワーが最後ヤマニンゼファーを差し切り優勝している。