【サクラ軍団の爆進王】サクラバクシンオー

【サクラ軍団の爆進王】サクラバクシンオー

7ハロン以下のスペシャリストサクラバクシンオー。当時はスプリント路線というものはなく、マイル戦として括られていた時代に稀代のスピードで衝撃と革命を起こした。この「超一流馬」の偉業を追う。


生い立ち

サクラバクシンオー
父 サクラユタカオー 母 サクラハゴロモ
父サクラユタカオーは天皇賞秋優勝馬、母サクラハゴロモは天皇賞と有馬記念を制したアンバーシャダイの妹。従兄には阪神三歳ステークス優勝馬のイブキマイカグラ。

サクラバクシンオーを管理することになる名伯楽境勝太郎氏は幼駒自体の同馬を「典型的なユタカオーの仔」としたうえで、「柔らかみのある好馬体ではあったけど、当時はあんなに走るようになるとは想像しなかった」と語っている。

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デビューまで

サクラバクシンオーは父サクラユタカオーと同じで体質が弱く、脚部不安を抱えており、3歳の秋にやっと境厩舎に入厩した。調教では非凡なスピードを見せていたが、この当時は母父がアンバーシャダイという血統背景もあり、クラシック路線を目指していた。また、陣営は「常にこれが最後のレースになる」という覚悟でレースに送り出していたという。評論家の大川慶次郎は「休む時に休ませ、いいときに使っている。サクラバクシンオーが引退まで故障をせずにこれたのは境調教師のおかげ」と語っていた。境調教師自身は日々、サクラバクシンオーの脚元のケアをした厩務員吉村克彦のおかげだと語っている。

大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - 1999年12月21日)は日本の競馬評論家。東京府北豊嶋郡王子町15番地(現在の東京都北区王子)出身。慶應義塾大学文学部心理学科卒業。予想家としては通算4度パーフェクト予想を達成し、「競馬の神様」と呼ばれファンに親しまれた。 ラジオ出演で知名度が上がったのをきっかけに『ホースニュース・馬』を発行するホースニュース社と予想家契約を結ぶ。1961年9月[1]3日、同紙上で予想家としては初となるパーフェクト予想を達成[1]。たまたま同席していた『週刊読売』の記者がこのことを「競馬の神様のご請託」と題うって記事にし、それに『週刊文春』などほかの雑誌が追従、予想家としての知名度は飛躍的に向上した。大川の妻によると「競馬の神様」という呼称について大川自身は、「競馬の神様だなんて、とんでもない。単に人がつけたニックネームだ。べつに俺は神でもなければ才人でもない、ただの大川慶次郎だ」としばしば口にしていたという[3]。 しかしながら、パーフェクト予想達成後に予想を外すことを恐れるあまり無難な予想しかできなくなり、極度のスランプに陥ってしまう。本人の述懐によると、このスランプから完全に脱したのは『勝馬』『ダービーニュース』を経て『ケイシュウNEWS』の予想家となった1969年以降のことであったという。 1994年に『ケイシュウNEWS』を去った後はもっぱらフジテレビ『スーパー競馬』の解説者・日刊スポーツ専属評論家として活動した。また1981年にみずから設立した競馬予想会社・ホースメン会議の総監督も亡くなるまで務めた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%B7%9D%E6%85%B6%E6%AC%A1%E9%83%8E

大川慶次郎 - Wikipedia

デビューそして短距離路線への挑戦

クラシック路線を狙っていた4歳春

デビュー戦は4歳になった1月のダート1200m戦だった。このデビュー戦を5馬身差の圧勝で飾り、続く500万条件戦では、スタートでの出遅れが響き、2着と敗れた。しかし、距離を1200mに戻した3戦目は2着に4馬身差の逃げ切り勝ちをおさめた。タイムも1分8秒8は同日に同条件で行われていた古馬900万下のタイムを0秒3上回る好タイムであった。
陣営は次走にクラシックの皐月賞トライアル、スプリングS(1800m)に出走する。三番人気の評価を得ていたが、当日の重馬場も堪えたようだが、一番敗因は距離にあった。
このレースを気にクラシック路線はあきらめ、短距離路線へと舵をきる。

短距離重賞への挑戦

スプリングS惨敗後は、1200mのクリスタルCに出走。調教の順調さなどは欠いたが見事勝利し、初重賞制覇を成し遂げる。その後、6月の1600m戦のニュージーランドT四歳ステークスではシンコウラブリィの7着と敗れてしまう。夏場は休養に充てて、秋は京王杯スプリングCを3着とし、キャピタルS1着と善戦しスプリンターズSへ出走する。

初の挑戦。スプリンターズS

キャピタルSを快勝し、スプリンターズSに向かったサクラバクシンオー。この年のスプリンターズSには、ダイタクヘリオスやニシノフラワー等の強豪がひしめいていた。スタートしていつも通り先手を奪ったものの、前半600mを32秒という驚異的なラップを刻み、6着と沈んでしまう。この敗戦が1400m以下のレースで生産で一度の敗戦となった。
レースは後方待機をしていたニシノフラワーが最後ヤマニンゼファーを差し切り優勝している。

本格化の兆し

5歳となったサクラバクシンオーであったが、脚部不安を発症し春は全休に充てる事となった。復帰戦は秋のオータムスプリントステークスだった。このレースを道中5番手・6番手で折り合い直線抜け出すという新境地を切り開き復帰戦を勝利した。1600m戦のアイルランドトロフィーは4着、次走キャピタルステークスを連覇した。そして、「この頃からいままで一本調子のレースしかできない馬であったが、折り合いがつくようになり溜が効きレースぶりに幅が出てきた」と小島騎手は語っていたという。境調教師も「脚元が弱かった馬が、調教をビシビシ出来るようになり、正に本格化」と語っていたという。

恩人への弔い合戦。スプリンターズステークス制覇へ

スプリンターズSの8日前に、サクラの冠名で有名な馬主の全演植が死去しており、サクラの馬をほぼ管理していた境調教師、専属契約を結ぶなど蜜月の関係であった、小島騎手はこのレースを「弔い合戦」といちづけて、人生で最高のパフォーマンスを見せる。
レースには昨年の2着馬で安田記念・秋の天皇賞と勝利をしてきたヤマニンゼファーや前年優勝馬のニシノフラワー等が出走していた。サクラバクシンオーはスタート後3番手の好位につけヤマニンゼファーの直後につける。直線に入りヤマニンゼファーを交わすと最後は2馬身差をつけ初G1制覇を達成した。
父のサクラユタカオーにとっても産駒の初制覇となった。

サクラ軍団総師全演植

6歳時

6歳となったサクラバクシンオーは、適距離外の1600m戦の安田記念を目標とされた。前哨戦のダービー卿トロフィーを完勝し、安田記念に臨む。安田記念は前年より国際G1となっておりこの年は5頭の外国馬が参戦してきていた。先頭から2番手でレースを進めたが、ハイペースに巻き込まれ直線半ばまで粘りこみを図っていたが、最後は後方の馬たちに交わされノースフライトの4着と敗れた。再度休養を挟み復帰戦は1800mの毎日王冠であった。毎日王冠でもハイペースで逃げる中直線半ばまで粘っていたが最後はネーハイシーザーの4着と敗れた。しかし、守備範囲外の距離をハイペースで逃げて4着に粘ったレース内容は高く評価できるものだった。
次走は再度短距離のスワンステークスに出走した。宿敵ノースフライトもそのレースにはいたが、好位から抜け出しサクラバクシンオーが勝利した。
1600m戦のマイルチャンピオンシップでは逆にノースフライトに先着され2着だった。

有終の美史上初の同一G1連覇へ

マイルチャンピオンシップ後、次走のスプリンターズSでの引退が発表されていた。スプリンターズSも国際G1となり外国馬も参戦していた。そんな中、サクラバクシンオーは好位4番手を進みこれまた前半600mが32秒というハイペースであったが直線楽に抜け出し有終の美を飾った。最後は小島騎手が手綱を緩める余裕があった。レース後小島騎手は「レコードでこれだけの完勝をするのは大したもの、世界中を探してもこの時のバクシンオー以上の馬はいない」とも語っているほどであった。

晩年のライバル

種牡馬として

バクシンオーは初年度から100頭以上の交配相手を集めると、その優れたスピードを産駒によく伝え、自身と同じく1400メートル以下を中心に数々の活躍馬を輩出していった。2000年には1400メートル以下に限ればサンデーサイレンスに次ぐ僅差の2位という成績を挙げ、2001年からは総合ランキングでもトップ10に顔を出すようになる。2002年にはショウナンカンプが春の短距離GI・高松宮記念を制覇。また2004年にはブランディスが4000メートル超で行われる障害のGI競走・中山グランドジャンプと中山大障害を連覇、自身のイメージからすれば異色の産駒も出した。非サンデーサイレンス系種牡馬の旗手という存在となったバクシンオーは、生産者、馬主から厚い信頼を勝ち取り、初年度から16年連続で100頭を越える牝馬を集めた。 2010年7月には、史上12頭目・国産種牡馬としては3頭目となる産駒の中央競馬通算1000勝を達成]。同年12月にはグランプリボスが朝日杯フューチュリティステークスに優勝した。しかし産駒の活躍が続く最中の翌2011年4月30日、サクラバクシンオーは社台スタリオンステーションにおいて心不全で死亡した。22歳没。それから8日後の5月8日にはグランプリボスがNHKマイルカップに優勝している。その死後も残された産駒が活躍を続け、2015年9月には産駒の中央競馬勝利数で史上単独5位となる1380勝目を記録した

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%90%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%BC

サクラバクシンオー - Wikipedia

まとめ

全11勝すべてが1400m以下という、スプリントのスペシャリストだったサクラバクシンオーは、脚部不安とも戦いながら周りの人に支えられ本格化した。また、レースぶりも好位から直線抜け出す王道競馬で見ているファンいどこか安心感を与えてくれるうまであった。当時は高松宮記念もなく、もう少し遅く生まれていたらもっと多くのタイトルを取っていたであろう。種牡馬としてもその遺伝子をいかんなく発揮しており、正に日本に革命をもたらせた電撃のスプリンターそれがサクラバクシンオーだ。

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