木戸修 - Wikipedia
レスラー木戸修誕生秘話
もう一つ木戸を語る上で欠かせないのは、兄木戸時夫の存在でした。
1963年に日本プロレスに入門したが、デビュー前に頸椎を損傷して寝たきりの生活を送らざるを得なくなってしまった兄の無念を晴らすべく、プロレスラーを目指したのです。
そして中学卒業後、実家の工務店で働きながらボディビルで身体を作り、晴れて1968年に兄の後を追って日本プロレスに入門。
プロレスラー木戸修が誕生したのです。
ある兄弟の隠されたプロレスへの執念/木戸修【俺達のプロレスラーDX】|ジャスト日本のプロレス考察日誌
第一次UWF 木戸修激闘の記録
木戸が最初に注目を浴びたのが第一次UWF時代です。
日本プロレスからアントニオ猪木に従って山本小鉄、藤波辰巳と共に離脱し、新日本プロレスの旗揚げに参加。
しかしカール・ゴッチの一番弟子として「私の息子」とさえ呼ばせた実力者でありながら、オーソドックス一辺倒のファイトスタイルが災いして、長州はじめとするハイスパートレスリングの時流に乗り切れずに、いつしか日陰の存在となっていました。
が、しかし、UWFマットで、その実力をようやく発揮することが出来たのです。
「関節技の鬼」藤原喜明にサブミッションで互角に渡り合う姿を見せ、ゴッチの一番弟子としての実力を改めて見せつけることになりました。
そして、第一次UWF崩壊後新日本プロレスに復帰。
この頃から脇固めやキドクラッチを多用するようになり、活躍が目立つようになります。
WARとの対抗戦で、関節技で天龍を戦闘不能状態に追い込むなど、随所でサブミッションの凄みを見せつけるようになりました。
そして2001年現役引退を発表。
その後一時期、ビックマウスラウドやIGFのリングで限定的に現役復帰しましたが、現在はアパート経営の仕事で悠々自適の生活を送っているとのことです。

そして今、木戸修へインタビュー
悠々自適の第二の人生「木戸修」 | プロレスTIME

美人プロゴルファー木戸愛は木戸修の娘だった!

インタビュー記事でも触れられていた通り、現在は美人プロゴルファー木戸愛のお父さんとしても有名です。
娘の試合のサポートとして、現役時代と変わりない元気な姿を見せてくれているようですね。