衝撃!バルセロナオリンピック名場面を振り返る
1992年に開催されたスペイン・バルセロナオリンピック。未だに色あせない感動シーン、衝撃シーンが数多く誕生しました。そんなバルセロナオリンピックの衝撃的名場面をプレイバックしてみましょう。

アメリカドリームチーム バスケットボール男子 金メダル

バルセロナオリンピックからNBAのプロ選手出場が解禁となり、神様マイケルジョーダンを始め、マジックジョンソン、ピッペン、バークレーなど錚々たるスタープレイヤーが集結した。特に初回だったバルセロナ時のドリームチームはまさに夢集団で、伝説化となっている。
岩崎恭子 競泳女子200m平泳ぎ 金メダル

当時、完全に無名だった岩崎恭子が、本人もびっくりの金メダル獲得で世界中に衝撃が走った。試合後に語った「今まで生きてきた中で、一番幸せです。」は流行語となるほど恭子ちゃんフィーバーが巻き起こった。
岩崎恭子 - Wikipedia
キューバ 野球男子 金メダル

小久保、伊藤智仁らがいた日本代表は銅メダルに終わった男子野球。圧倒的強さを示したのがキューバ代表。準決勝のアメリカ船を6-1、決勝の台湾戦を11-1と圧勝で退け、圧巻で金メダルを獲得した。
古賀稔彦 柔道男子71kg以下級 金メダル

試合直前の吉田秀彦との乱取り中に左ひざを負傷。激痛が走る中、それを隠して見事金メダルを獲得した。また、負傷によって体重を落とせない苦しみも乗り越えての勝利に日本国中が衝撃と感動の嵐となった。
古賀稔彦 - Wikipedia
アメリカ 陸上競技男子4×400mリレー 金メダル
大本命視されていた個人種目では、まさかの食中毒で無念の敗退。その雪辱を果たすべく1600mリレーでは3走を務め、2分55秒74の世界新記録(当時)で金メダルを獲得した。
ビタリー・シェルボ 体操男子個人総合など金メダル

当時の世界情勢から独立国家共同体として出場。個人総合を始め、団体総合、、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒で金メダルを獲得、地球上には敵なしを世界に示した。このメダル数は、体操で世界記録である。
いかがでしたでしょうか?個人的には古賀稔彦選手の怪我をおしながらの金メダルが、当時号泣して、今でも鮮明に記憶に残っています。それぞれの思い出ができるのもオリンピックの良さだと思います。