世良公則(せら まさのり)の生い立ちとデビューまで

世良公則(せら まさのり)
1977年「あんたのバラード」で鮮烈なプロデビュー
1977年「あんたのバラード」で第14回ポプコングランプリと第8回世界歌謡祭グランプリを獲得。
ハスキーな声でシャウトし、今までのロックシーンに変革をもたらす存在として注目される。
それまでフォーク/ニューミュージック系シンガーが多かったポプコンでロックバンドがグランプリを獲るのも初めての事だった。
世良と神本宗幸以外のメンバーが卒業後、プロになることを拒んだため、大学のバンド仲間で別のバンドにいたふとがね金太や鮫島秀樹ら、プロ志向の新メンバーで同月“世良公則&ツイスト”を結成した。
“世良公則&ツイスト”のバンド名について、大学時代のバンド"ツイスト"と差別化するために、敢えて"世良公則&ツイスト"としてデビューしたと世良は話している。
次々とヒットを放ち『銃爪(ひきがね)』でオリコンシングル年間1位を獲得。
世良公則&ツイストはデビュー曲の「あんたのバラード」以降も「宿無し」(オリコン最高3位)、「銃爪 (ひきがね)」(オリコン最高1位)、「性」(オリコン最高5位)、「燃えろいい女」(オリコン最高3位)と、立て続けに大ヒットを飛ばし一世を風靡した。
独特な世良公則のステージパフォーマンス

世良独特の「がに股」と「指さし」
日本音楽界における『世良公則&ツイスト』の功績

雑誌やテレビに頻繁に登場。ロックスターの潮流を変えた。
互いに認め合うサザン桑田佳祐とはライバル?戦友?

サザンオールスターズ桑田佳祐
桑田佳祐に対して、世良公則も雑誌の取材に対して下記のコメントを残している。
俳優やナレーションで活躍しながら音楽活動も継続中
1981年12月ツイスト解散。
その後、ソロボーカリストとして活動を続け、1996年までに14枚のシングルと10 枚のアルバムをリリース。
一時,レーベルを離れるが、2001年2月に自主レーベ ル「spiculo」を立ち上げレコーディングを再開。
またライブ活動としては、1990年より毎年アコースティックライブ“GENTLE HANDS”を東京・大阪・神戸・沖縄等で行なっていたが、このスタイルが評判となり、2000年3月より“GENTLE HANDS”とは別の構成で「O-kiraku LIVE」と称し、世良のエネルギッシュなアコースティックギターサウンドを中心としたライヴを展開している。
また、近年、他のアーティストとのセッショ ンも積極的に取り組んでおり98年夏ギタリスト渡辺香津美氏率いる「燦燦スーパーユニット」に参加し、以来一段と活動の場が広まる。
現在ではベーシスト桜 井哲夫氏、キーボード神本宗幸氏とのアコースティックユニットでBlue Note(大阪・福岡)等にも出演し好評を得ている。
また、『spikule』設立と同時に新バンドを設立。ギタリストに野村義男氏を迎え現在、MR.SERA GUILD9として活動中。