40歳を超えても大活躍する不惑のホームランバッター!【門田博光】

40歳を超えても大活躍する不惑のホームランバッター!【門田博光】

常に本塁打を意識し、44歳まで活躍し続けた、門田博光。そこには、本塁打、野球に掛けるすさまじい闘志があった。そんな闘志あふれる不惑の大砲「門田博光」の現役時代と今をご紹介します。


40歳を過ぎても、フルスイングにこだわりタイトルを獲る漢!門田博光!

1948年2月26日生まれ
身長170cm、体重81kg
左投げ左打ち
ポジション:外野手

南海ホークスのスラッガーとして、パ・リーグを盛り上げてきた選手の一人。40歳を過ぎて、オリックスに戻っても、ブルーサンダー打線の中核を担う選手として本塁打を打っていた。
打撃フォームを、王貞治の一本足打法へ改造し、本塁打を量産する選手に成長。南海ホークスの優勝へ貢献した。

門田博光(かどた ひろみつ)

門田博光の獲得タイトル・主な表彰と記録

本塁打王:3回 (1981年、1983年、1988年)
打点王:2回 (1971年、1988年)

MVP:1回 (1988年)
ベストナイン:7回 (1971年、1976年、1977年、1981年、1983年、1988年、1989年)
カムバック賞 (1980年)

オールスターゲームMVP:2回 (1976年 第2戦、1983年 第1戦)

月間本塁打16本:1981年7月 日本プロ野球記録(達成当時)
オールスターゲーム出場:14回 (1972年、1975年 - 1977年、1980年 - 1984年、1987年 - 1991年)
シーズン満塁本塁打:4本(1983年) ※パ・リーグタイ記録

門田博光のプレースタイル

2番打者で活躍させたいと当時のコーチが、門田にバントを叩き込んだが、一向に上手くできず、嘆きながら2番バッターをあきらめたらしい。

2番打者は失格・・・

門田博光と言えば、とにかく本塁打にこだわるプレースタイルを持っている。

2年目のシーズンには、31本塁打を放ち、120打点と猛打振りを発揮している。常にフルスイングが目立ち始めたこの頃から、野村克也監督は見かねて、王さんと二人で、「ヒットの延長がホームランだ!」とフルスイングをやめるように説得したが、門田は、かたくなに長打にこだわり、「ホームランの当たり損ねがヒットだ!」と自説を押し通したという。

フルスイングにこだわることについても、軽く打てばホームランになると解説者がコメントしてる場面があるが、軽く打って、ホームランにするほど、難しく時間が掛かるのか知らんから言える。軽く振ってるように見えるのは、何万スイング!何十万スイングと素振りをして、やっと軽く振ってるように見えるのだ。と

ホームランを打つには、フルスイングを軽く振っているように見えなけばならないと語った。そのイズムを、門田は、自身に植え付けて、朝の一番どりが鳴く頃から、とにかくひたすら、バットを振り続けた。

その結果、500本塁打も打つ名スラッガーになったのであろう。



当時、南海ホークスには、門田が手本とする左打者はいなかった、どうしたものかと悩んだとき、鏡の中に映る野村の打撃フォームを見て、びっくりした。

右打者の野村克也が反転して、左打者の野村克也が映っていたのだった。それ以来、野村克也がのフォームを陰ながら、鏡越しに研究し、参考にしたのだった。

門田博光の生い立ちとプロ入りまで

フルスイングにこだわった現役時代の門田博光!

プロ入り2年目の1971年から、野村監督解任になるまでの7年間。主には3番バッターで中距離バッターとして活躍していた。野村監督からは、監督の現役時代も含めて、大振りをするな!俺の前にランナーで出ろ!とはっきりと怒られた話もある。

監督が解任されてからは、大振りも解禁となり、門田の思いが叶うようになってから、パワーヒッターとして、南海ホークスの4番バッターとしてバットを振りまくっていた。

4番最初の年は、試合用のバットを1000gの重いバットを使うようになり、まだ、そのバットを振り切れないことから、打率.250、本塁打15本と散々な成績となりました。

最悪のシーズンオフのキャンプでは、アキレス腱を断裂して、次のシーズンはほとんど出場も出来ない年に終わる。

けがも治り、復帰してからは、足に負担の掛からない野球を考え、悩んだ末。一つの結論に・・・。

「ホームランを打てば足に負担はかからない。これからは全打席ホームランを狙う」

という結論に至り、それからは、徹底した長打狙いのフルスイングをし、41本の本塁打を放った。その翌年には、44本塁打で初めての本塁打王に輝いたのだった。

初めての本塁打王に輝いた年には、月間で16本塁打を放つ成績を残している。

晩年の本塁打王。そのすごさとは・・・。

門田博光と言えば、何と言っても、40歳で40本以上の本塁打を放ったことだろう。
40歳で引退と言われるプロ野球界において、1988年の40歳の年には、打率.311、44本塁打、125打点で本塁打王、打点王、さらにMVPにも輝き、日本初の快挙を成し遂げた。

この年に、南海ホークスは身売りが決定したことも、門田の記録に拍車をかけたのかもしれない。

40歳でMVPになったのは、プロ野球史上で最年長記録であり、考えられない成績から「不惑の大砲」と名付けられたのだった。

その後も、42歳で31本。44歳で7本と、それぞれの年齢別で最多本塁打記録を作っている。

僕の記憶が確かならば、当時、野茂から本塁打を放った門田がいて、その打席は、自ら、甘い球になるように、一球ごとにバッターボックスの立つ位置を変えて、本塁打を打った甘い球を投球した瞬間に移動して、ライトスタンドへ運んだのだ。

長年の経験と、すさまじいヘッドスピードを持ってこそ、成し遂げれる巧の本塁打だったと言えるだろう。

現役は老衰が原因で退き、その後の門田は野球界向上に努める!

引退後の門田博光

門田博光のこだわりは、フルスイングのホームランだけではなかった!

特に、相手投手へのこだわりは半端ではなかった。ライバル投手との対決と、新人投手との対決には燃えていた。

門田博光のライバル投手と言えば、ロッテのマサカリ投法「村田兆治」、阪急のサブマリン投法「山田久志」、西武のケンカ投法「東尾修」がいる。

特に、山田久志は門田も認める永遠のライバルであり、駆け引きを一切せず、インハイとアウトローの直球球だけで勝負し、山田久志は、28本の本塁打を打たれている結果になっている。

新人投手との対決にも、あの大投手、野茂秀雄が近鉄に入団すると決まった時に、野茂からの1号は俺が打つと心に決めて、4月18日の野茂が、まだ誰にも本塁打を打たれていない時に、門田はその願い通じ、野茂と対戦。プロの洗礼をしっかりと浴びせることに成功している。

門田博光はこんな天然振りもあるんです。憎めないキャラですよね。

野球用語の使い方に強いこだわりを持つ。打点は「RBI」、犠打は「サクリファイス バント」等々、原語の野球用語を使うことを心がけていた。しかし、ドーム球場に対して屋根の付いていない球場のことを「ナチュラル球場」、「パ・リーグ」を「パアリーグ」と呼ぶなど、長嶋英語に匹敵する単語も解説の際しばしば飛び出した(ちなみに門田は長嶋のファンでもある)。 現役時代はマスコミとの接触をあまり好まなかった。特に、普段は見向きもしないのに記録がかかると大挙して押し寄せて来る東京のマスコミを嫌っていた。またマスコミのみならず、シャイで口下手な性格ゆえに「私は滅多に人を好きになれないようで、今日まで5人くらいしか気の許せる人はいない」ということである。上記の「追跡」のインタビューでは、話す相手に性格が仇となって誤解を招かないかと心配していたこともあったという。 オリックス時代に平和台球場での試合で、福岡のファンからオリックスに移籍し福岡に来なかったことに対して、博多弁で「なんばしょっか」と野次られたが、本人は「難波のショッカー」に聞こえ、また「帰れ!」コールには「ホークスに帰ってこい」の意味と思い込み、福岡のファンは自分を応援してくれているのだと感動したという。[14] 趣味は陶芸、油絵、写経など。陶芸は、陶器作りの過程に何か野球に通ずるものがあるのではないかと思い、それを追及しようとの気持ちの延長で始めたものだという[1]。 引退後は広島市のお好み村に、広島風お好み焼き店を出していたことがある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E7%94%B0%E5%8D%9A%E5%85%89

門田博光 - Wikipedia

みんなの話題になる門田博光!

ファミスタでも、門田は必須キャラでした。良く,打ってくれましたね

野村克也と門田博光。同じ時代を生きた仲間の裏話・・・

南海時代、野村克也とソリが合わなかったとされる。 秋季練習のあと、中百舌鳥の合宿で、野村に「君たちの思っていることをオレに話してほしい」といわれ、手が挙げたのが、門田と江本孟紀、それに西岡三四郎であった。そこで、言葉の行き違いがあり、「もう練習にこなくてもいい」と言われたので「ハイ、わかりました」といって練習に参加しなくなり、「門田、野村監督と対立」などとスポーツ紙に書かれて騒がれたという。ただし、門田本人は自著で「そんなに大げさなものではなかった」と述べている。[1]。 野村は自著[5]で、南海監督時代に手こずった「江本、江夏、門田の3人を「南海の三悪人」と呼び、「選手として一流になれても指導者にはなれない」と語っている。野村が解説者時代の「週刊朝日」の連載[10]でも、「最後の野球バカ門田博光」と題し、「何かをいえばそれと反対のことをする男である」と評している。 しかし一方で、野村は、門田の実力を大いに認めている。門田を見い出し三番に抜擢したのは野村であり、「ものすごい頑張り屋」とも評している[5]。門田も従うべきところでは従っていたといわれ[11]、また、「『二塁の桜井とライトの門田は10年間不動のままでいける』と野村に言ってもらい、信頼が厚くて助かった」とも述べている[1]。 野村が3000試合出場という記念すべき記録を立てた試合(1980年8月1日 西武-南海戦)で、門田は「こういう時に野村さんに恩返しをしたい」といってきたという。何をしてくれるのかと思っていたら、キャッチャーマスクをかぶった野村の目の前で特大のホームランを2打席連続で打った。3打席目に立った門田に「もうわかったから、ええ加減にしとけや」とボヤくと、「二塁打ですませてくれた」のだという[12]。 尚、南海の後継球団である福岡ソフトバンクホークスでは、2013年に(南海時代からの通算で)ホークス創設75周年を記念したプロジェクト「LEGEND HAWKS」を展開。8月31日の対楽天戦(福岡 ヤフオク!ドーム)の試合前に開かれた記念セレモニーには、野村と共に南海時代の復刻ユニフォーム姿で登場した。始球式では、球団会長の立場で「見届け人」として参加した王貞治に見守られながら、同ドームの左打席(野村は右打席)に立った[1

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%80%E7%94%B0%E5%8D%9A%E5%85%89#.E8.84.9A.E6.B3.A8

門田博光 - Wikipedia

門田博光を振り返って。

本塁打にこだわり、フルスイングにこだわり、プロとしてこだわった、門田博光。

彼の記録、567本塁打は、ただセンスがあるとか、運動能力が高いとかで生まれる記録ではない。

やはり、努力の賜物が、生んだ産物なのでしょう。

関西弁のおっさんが、これからも輝き続けること。素晴らしい門田博光に注目です。

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