40歳を過ぎても、フルスイングにこだわりタイトルを獲る漢!門田博光!

門田博光(かどた ひろみつ)
門田博光の獲得タイトル・主な表彰と記録
本塁打王:3回 (1981年、1983年、1988年)
打点王:2回 (1971年、1988年)
MVP:1回 (1988年)
ベストナイン:7回 (1971年、1976年、1977年、1981年、1983年、1988年、1989年)
カムバック賞 (1980年)
オールスターゲームMVP:2回 (1976年 第2戦、1983年 第1戦)
月間本塁打16本:1981年7月 日本プロ野球記録(達成当時)
オールスターゲーム出場:14回 (1972年、1975年 - 1977年、1980年 - 1984年、1987年 - 1991年)
シーズン満塁本塁打:4本(1983年) ※パ・リーグタイ記録
門田博光のプレースタイル

2番打者は失格・・・
門田博光と言えば、とにかく本塁打にこだわるプレースタイルを持っている。
2年目のシーズンには、31本塁打を放ち、120打点と猛打振りを発揮している。常にフルスイングが目立ち始めたこの頃から、野村克也監督は見かねて、王さんと二人で、「ヒットの延長がホームランだ!」とフルスイングをやめるように説得したが、門田は、かたくなに長打にこだわり、「ホームランの当たり損ねがヒットだ!」と自説を押し通したという。
フルスイングにこだわることについても、軽く打てばホームランになると解説者がコメントしてる場面があるが、軽く打って、ホームランにするほど、難しく時間が掛かるのか知らんから言える。軽く振ってるように見えるのは、何万スイング!何十万スイングと素振りをして、やっと軽く振ってるように見えるのだ。と
ホームランを打つには、フルスイングを軽く振っているように見えなけばならないと語った。そのイズムを、門田は、自身に植え付けて、朝の一番どりが鳴く頃から、とにかくひたすら、バットを振り続けた。
その結果、500本塁打も打つ名スラッガーになったのであろう。
当時、南海ホークスには、門田が手本とする左打者はいなかった、どうしたものかと悩んだとき、鏡の中に映る野村の打撃フォームを見て、びっくりした。
右打者の野村克也が反転して、左打者の野村克也が映っていたのだった。それ以来、野村克也がのフォームを陰ながら、鏡越しに研究し、参考にしたのだった。
門田博光の生い立ちとプロ入りまで
門田博光 - Wikipedia
フルスイングにこだわった現役時代の門田博光!
プロ入り2年目の1971年から、野村監督解任になるまでの7年間。主には3番バッターで中距離バッターとして活躍していた。野村監督からは、監督の現役時代も含めて、大振りをするな!俺の前にランナーで出ろ!とはっきりと怒られた話もある。
監督が解任されてからは、大振りも解禁となり、門田の思いが叶うようになってから、パワーヒッターとして、南海ホークスの4番バッターとしてバットを振りまくっていた。
4番最初の年は、試合用のバットを1000gの重いバットを使うようになり、まだ、そのバットを振り切れないことから、打率.250、本塁打15本と散々な成績となりました。
最悪のシーズンオフのキャンプでは、アキレス腱を断裂して、次のシーズンはほとんど出場も出来ない年に終わる。
けがも治り、復帰してからは、足に負担の掛からない野球を考え、悩んだ末。一つの結論に・・・。
「ホームランを打てば足に負担はかからない。これからは全打席ホームランを狙う」
という結論に至り、それからは、徹底した長打狙いのフルスイングをし、41本の本塁打を放った。その翌年には、44本塁打で初めての本塁打王に輝いたのだった。
初めての本塁打王に輝いた年には、月間で16本塁打を放つ成績を残している。
晩年の本塁打王。そのすごさとは・・・。
門田博光と言えば、何と言っても、40歳で40本以上の本塁打を放ったことだろう。
40歳で引退と言われるプロ野球界において、1988年の40歳の年には、打率.311、44本塁打、125打点で本塁打王、打点王、さらにMVPにも輝き、日本初の快挙を成し遂げた。
この年に、南海ホークスは身売りが決定したことも、門田の記録に拍車をかけたのかもしれない。
40歳でMVPになったのは、プロ野球史上で最年長記録であり、考えられない成績から「不惑の大砲」と名付けられたのだった。
その後も、42歳で31本。44歳で7本と、それぞれの年齢別で最多本塁打記録を作っている。
僕の記憶が確かならば、当時、野茂から本塁打を放った門田がいて、その打席は、自ら、甘い球になるように、一球ごとにバッターボックスの立つ位置を変えて、本塁打を打った甘い球を投球した瞬間に移動して、ライトスタンドへ運んだのだ。
長年の経験と、すさまじいヘッドスピードを持ってこそ、成し遂げれる巧の本塁打だったと言えるだろう。
現役は老衰が原因で退き、その後の門田は野球界向上に努める!

引退後の門田博光
門田博光 - Wikipedia
門田博光のこだわりは、フルスイングのホームランだけではなかった!
特に、相手投手へのこだわりは半端ではなかった。ライバル投手との対決と、新人投手との対決には燃えていた。
門田博光のライバル投手と言えば、ロッテのマサカリ投法「村田兆治」、阪急のサブマリン投法「山田久志」、西武のケンカ投法「東尾修」がいる。
特に、山田久志は門田も認める永遠のライバルであり、駆け引きを一切せず、インハイとアウトローの直球球だけで勝負し、山田久志は、28本の本塁打を打たれている結果になっている。
新人投手との対決にも、あの大投手、野茂秀雄が近鉄に入団すると決まった時に、野茂からの1号は俺が打つと心に決めて、4月18日の野茂が、まだ誰にも本塁打を打たれていない時に、門田はその願い通じ、野茂と対戦。プロの洗礼をしっかりと浴びせることに成功している。

門田博光はこんな天然振りもあるんです。憎めないキャラですよね。
門田博光 - Wikipedia
みんなの話題になる門田博光!
ファミスタでも、門田は必須キャラでした。良く,打ってくれましたね
野村克也と門田博光。同じ時代を生きた仲間の裏話・・・

門田博光を振り返って。

本塁打にこだわり、フルスイングにこだわり、プロとしてこだわった、門田博光。
彼の記録、567本塁打は、ただセンスがあるとか、運動能力が高いとかで生まれる記録ではない。
やはり、努力の賜物が、生んだ産物なのでしょう。
関西弁のおっさんが、これからも輝き続けること。素晴らしい門田博光に注目です。