ミスター赤ヘルとして、赤ヘル黄金時代を引っ張ってきた4番バッター!山本浩二
山本 浩二(やまもと こうじ)
山本浩二の獲得タイトルと主な表彰と記録
・首位打者 : 1回 1975年
・本塁打王 : 4回 1978年、1980年、1981年、1983年
・打点王 : 3回 1979年~1981年
・最多出塁王 : 3回
・MVP : 2回(1975年、1980年)
・ベストナイン:10回 (1975年、1977年 - 1984年、1986年)
・野球殿堂入り:(競技者表彰:2008年)
・オールスターゲーム通算本塁打:14本 ※歴代1位
・通算 500本塁打・200盗塁達成
・302守備機会連続無失策(1975年4月5日 - 9月24日)※外野手としてのセ・リーグ記録
監督成績:通算:10年 1358 648 681 29 .488 Aクラス3回、Bクラス7回
山本浩二のプレースタイル
3拍子揃ったスタープレイヤー
大器晩成型のバッターで有名でして、典型的な中距離バッターである。打撃でいうと、3割、30本を超える記録も、31歳になる年まで残すことはなかった。40歳で現役引退しているので、わずかやめる10年前まで、ごく平凡な中距離バッターということになる。
その後は、31歳で44本の本塁打を放つスラッガーへと生まれ変わると、31歳以降は3割30本越えの記録を残す大バッターとなるのです。
とにかく、山本浩二と言えば、チャンスに強い勝負強さでしょう。生涯の通算打率が、.290に対して、得点圏の打率においては、.314と高い率を示している。
お祭り大好きなのか、オールスターにおいては、成績は、歴代3位の成績。本塁打においては、歴代のスラッガーの中で、一番本塁打を打ってる打者なのです。
記録よりも記憶に残る選手だったことが、ミスター赤ヘルと広島から親しまれる由縁でしょうか。
山本浩二は、打撃だけがすごかったわけでは、ありません。
打撃よりも、守備・走塁がすごかったのです。ゴールデングラブ賞においては、通算10回も受賞しており、通算で231盗塁を成功させています。
山本浩二は、40本以上の本塁打を放つ強打者の割には、守備も走塁も出来る。
まさに、歴代でも数えるほどしかいない、走功守の3拍子が揃った、ミスタープロ野球の選手だったのです。
山本浩二の生い立ちからプロ入りまでの軌跡
広島カープでプロ入り後、泣かず飛ばずの10年だったが、晩年に開花する!
高校時代は、エースで4番、廿日市高校をひっぱてきた山本浩二ですが、大学時代も壁にぶつかります。
その時も、大学時代の恩師、松永怜一監督に猛特訓されて、才能が開花!
法政大学時代も、法政三羽ガラスの異名をとり、法政黄金時代の原動力となったのだった。
ドラフト1位で広島カープに入団し、1年目からセンターとして、活躍するが、そこまで、すごい!という成績は残せずに、約10年間が過ぎようとしていた。
その間、プロ時代には、根本睦夫監督、関根順三打撃コーチ、上田利治コーチ、広岡達郎内野守備コーチなど、すばらしい指導者に恵まれて、徐々に成長を見せていくのであった。
そして、運命の1975年。オールスターでも衣笠と共に、二打席連続本塁打を放つほどの成長ぶり。その年に、3割30本塁打を達成し、広島東洋カープも球団初のリーグ優勝を達成するのであった。
山本浩二は、指導者に本当に恵まれた選手でしょう。そして、その指導を素直に聞き入れる気持ちが、この花を開かせる結果になったのではないでしょうか。
引退の花道まで、ミスター赤ヘルをやり通す凄さ!!
引退の言葉も、「広島に生まれ、カープに育てられました。山本浩二は幸せ者でした!」
ミスター赤ヘル、最高っす!!
引退後の山本浩二は
山本浩二監督(左)に笑顔で迎えられる黒田
引退後は、43歳で広島東洋カープの監督に就任。1989年~1993年、2001年~2005年まで監督を務めあげ、通算10年で、勝率.488 Aクラス3回 Bクラス7回と監督でもカープに貢献していた山本浩二ですが、その後は日本プロ野球の顔に。
2008年の北京オリンピックでは守備・走塁コーチを。
2013年のWBCでは侍ジャパンの代表監督を務め、日の丸を背負って、勝負に挑んできました。
その間には、テレビやCMにも出演し、山本浩二の人柄で人気を博してきた。
侍になった山本浩二
野球と広島を題材にした、本も発行するほど、多才ぶりを発揮しています。
山本浩二の人柄は
山本浩二の名言や、山本浩二という人物は今も語り継がれる人なのです。
そんな侍の代表になったミスター赤ヘルの名言をまとめてみました。
リーダーシップというのは、怒(おこ)ったり説教したりすることじゃなくて、きちっと実績を残すこと──若いヤツはそれを見てついてくるわけですよ。
http://www.meigennavi.net/word/015/015214.htm名言ナビ - リーダーシップというのは、怒(おこ)ったり説教した
侍ジャパンの監督として、広島の顔から日本の顔へ
日の丸を背負う山本浩二
数々の記憶を作った山本浩二が、侍ジャパンの顔へとなる時がきた。
2013年WBCの監督に就任したのだった。
第3回の山本侍ジャパンは、過去最高の成績で、決勝ラウンドに行くが、準決勝のプエルトリコ戦で、くしくも敗退することとなり、3大会連続優勝は消えていったのだ。
結果が問われる今大会のプレッシャーは相当なものだったであろう。
広島の顔から、日本野球界の顔とまでなった、広島の星、山本浩二は、これからも広島弁でプロ野球を解説してくれるでしょう。