群雄割拠のゲーム機 戦国時代!

1980年代後半からファミリーコンピュータの人気で、圧倒的なトップシェアを誇っていた任天堂が1990年に「スーパーファミコン」を発売。他のブランドを大きく引き離してスタートした90年代でしたが、90年代中期に入ると、最先端技術の進歩が目覚ましくなり、ソニーの関連会社SCEが32bit機の「PlayStation」を発売し、セガも同じく32bit機の「セガサターン」を発売。この対決はメディアなどで「次世代ゲーム機戦争」と騒がれました。そして、パナソニックからは「3DO」。SNKからは「ネオジオCD」。NECホームエレクトロニクスからは「PC-FX」など、名だたる企業が次々にこの争いに参戦して、群雄割拠のゲーム機 戦国時代となりました。

スーパーファミコン

スーパーファミコン (SUPER Famicom)
1990年に任天堂が発売した、ファミリーコンピュータの後継機で、当時画期的だった16ビットCPUを搭載していました。『スーパーマリオワールド』と『F-ZERO』のソフトを本体と同時発売し、発売当初から人気で品薄状態が続きました。1991年には『ファイナルファンタジーIV』、1992年 には『ストリートファイターII』『スーパーマリオカート』『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』など、キラータイトルの発売が相次ぎ、ゲーム機市場の主導権を握り、1996年頃までシェアNo.1を継続させました。
他にもたくさんの人気ソフトがありますが、このソフトが382万本も売り上げた、売上No.1のソフトです。ちなみに2位は355万本の『スーパーマリオワールド』(任天堂)、3位は320万本の『ドラゴンクエストⅥ 幻の大地』(エニックス)です。当時の任天堂人気は盤石でした。
PlayStation

PlayStation
CD-ROMドライブを搭載した32bitマシンで、1990年代中期に「次世代機」と呼ばれた家庭用ゲーム機です。セガサターンやNINTENDO64と市場競争を繰り広げましたが、最終的にこのPlayStationが勝利し、それまで任天堂が独占していたゲーム機市場でトップシェアとなりました。
セガサターン

セガサターン
セガサターン - Wikipedia
こちらもCD-ROMドライブを搭載した32bitマシンで、「PlayStation」とほぼ同時期に発売され、熾烈なゲーム機戦争を繰り広げました。「次世代ゲーム機」の1つで、一時代を築きましたが、1998年ごろからシェアは激減し、2000年には本体生産とソフト供給が全て終了しました。
ネオジオ

ネオジオ
SNKが開発・販売したゲーム機です。キャッチコピーは「凄いゲームを連れて帰ろう」ということで、「家庭用ゲーム機は業務用アーケードゲームに性能ではかなわないのが当たり前」というこの時代に、業務用ゲーム機と同じ性能を誇るゲーム機を開発しました。ただし、カートリッジはスーパーファミコンやメガドライブのカセットと比べると2倍以上大きく、しかも当時の他機種の本体の価格が定価1万円前半~2万円前半、ソフトが5千円~1万円程度だったのに対し、ネオジオは本体が58,000円、ソフトも3万円以上したため、ユーザーが限られてしまいました。
PC-FX

PC-FX
PC-FX - Wikipedia
NECホームエレクトロニクスがPCエンジンの性能に限界を感じ、開発された32ビット次世代機の1つで、1994年の年末商戦には、セガサターンやPlayStationと並び、次世代機戦争の一角を担うと期待されていました。動画再生技術に優れていたのですが、他の同世代機が持っていた3D機能を全く持っていなかったため、市場からの支持を得られず、たちまち他2機の勢いに大きく引き離され、ソフトの数も伸び悩み、失敗に終わりました。
NINTENDO64

NINTENDO64
1990年代中期に「次世代機」と呼ばれたゲーム機の内の1つで、任天堂としては初めての3Dゲーム機です。64ビットCPUを搭載し、1996年当時に存在していた他のゲーム機より大幅に高性能でした。しかし、度重なる発売延期により、PlayStationに市場を占拠され、販売数はセガサターンにさえ及びませんでした。ここから任天堂は据え置きゲーム機のトップシェアを失い、ソニー・コンピュータエンタテインメントに明け渡すことになりました。
現在は
21世紀初頭現在では、「任天堂」、「ソニー・コンピュータエンタテインメント」、「マイクロソフト」の3社が主なハードメーカーとなって他社の参入が少なくなっていますが、ここに至るまでに、多くの企業が参戦し、熾烈な戦いを繰り広げました。90年代のゲーム機戦争はゲーム業界にとって戦国時代だったといえます。