丸山桂里奈  日本サッカー史上、男子を含めて唯一のワールドカップ優勝。ドイツ戦の決勝ゴールを決めたとき思ったのは「気持ちワル!」

丸山桂里奈 日本サッカー史上、男子を含めて唯一のワールドカップ優勝。ドイツ戦の決勝ゴールを決めたとき思ったのは「気持ちワル!」

東日本大震災が起こった年、「サッカーで日本に元気を送りたい」という思いでドイツワールドカップに乗り込み、絶対に勝てないといわれたドイツ戦で決勝ゴールを決め、男子を含めて日本サッカー史上初のワールドカップ優勝。


1983年3月26日、丸山桂里奈は、東京都大田区に生まれ、妻を「ネコ」と呼ぶ父、夫を「ウサギ」と呼ぶ母、丸山桂里奈がオリンピックに出ているとき、家で
「アレッ、桂里奈いないけどどこいったの?」
という兄と囲まれて育った。
小学校5年生の終わり、仲良しだった福田君と大島君が大田区立入新井第一小学校サッカークラブに入団したので、一緒にいたい一心で自分も入った。
今でもサッカーを始めたきっかけを聞かれると
「好きな男の子と一緒にいたかったから」
と答える丸山桂里奈だが、それとは別にサッカーが大好きになった。
ゴールを決めるのはもちろん、技術を習得してできなかったことができるようになったり、プレー中にみんなが1つになれることや同じことを目指して頑張れること、選手や指導者だけでなく応援している人たちも一緒に喜びを分かち合えるところが大好きだった。
「これは私の持論なんですけど、ボールって丸いじゃないですか。
私、丸いものが好きで、集まっている人はみんな良い人なんだと思うんですよね」
サッカーが大好きで家の近所の路地裏で暗くなるまで壁に向かってボールを蹴り、学校もボールをリュックに入れ、スパイクを履いて登校し、授業中も
「サッカーしたいな。
早く放課後にならないかな」
とサッカーのことばかり考えていた。
チームの中で女子は自分だけだったが、男子に混ざって試合で活躍し、ドンドン自信をつけ、逆に体格や体力の差でひっくり返されると
「それ自体、悔しくて、ますます練習にのめり込みました」

Jリーグのジェフユナイテッド市原のピエール・リトバルスキーが大好きで、
「今思うとなんでそんなに好きだったか謎」
というが、とにかくリトバルスキーに夢中。
知名度ではジーコが優っていたが、ワールドカップの実績ではリトバルスキーの方が上。
(リトバルスキーは、ドイツ代表としてワールドカップ決勝の舞台を3度踏み、1度優勝を経験。
ジーコも、ブラジル代表として3度ワールドカップに出ているが、決勝に進んだことは1度もない)
最も特徴的だったのは、170cmに満たない体でのドリブル突破。
ボールをガニ股の脚の間にスッポリと収め、まるで足に吸いつくようなドリブルで相手を抜き去る姿は
「オクトパスドリブル」
と呼ばれた。
「カッコイイ」
「リトバルスキーみたいになりたい」
と思う丸山桂里奈は、自然と歩き方もガニ股に。
結果、真っ直ぐだった脚は、母親に
「お願いだから素足でスカートはかないで」
といわれるほどO脚になった。

リトバルスキーのプレーをビデオで繰り返しみて、雑誌についていたポスターを部屋に貼り、グッズや文房具も集めた。
中でも1番お気に入りは、リトバルスキーが表紙になったノート。
勉強に使うのはもったいないので
「サッカーのことを書くノートにしよう」
と思いついた。
これが「サッカーノート」の始まりだった。
その日の体調、練習メニュー、練習でうまくいったこと、うまくいかなかったこと、フォーメーションの絵などなどサッカーに関することなら何を書いてもOK。
すごく細かく書くときもあれば、超アバウトに書いたり、しばらく書かなくなったり、そんなことを繰り返しながら、サッカーノートは何冊にもなっていった。
「長く書き続けたサッカーノートは、私にとって貴重な資料になっています。
例えば練習していると昨日までできていたプレーが突然うまくできなくなってしまうことがあります。
そんなとき昔のノートを振り返ってみると、できていた頃の体調や練習メニューがわかって、あのときはこんな練習していたんだとか、毎日続けていた腹筋をやめたから調子が落ちたのかななどと比較して考えることができます。
体調や練習内容だけでなく、そのときの気持ちまで思い出してヒントになることもあります。
サッカーノートは、私を迷いから救ってくれるバイブルです」


5年生の終りからサッカーを始めた丸山桂里奈は、小学校卒業が近づくと日本女子サッカーリーグの超名門チーム「ベレーザ」の下部組織「メニーナ」の入団テストを受け、200人中10人の合格者の1人となった。
大好きな男の子2人を追いかけてサッカーを始め、
「大島君のことがちょっと好きになっていました」
という丸山桂里奈だが、大島君は違う中学生に行き、福田君は、同じ大田区立大森第二中学校に入ったがラグビーを始め、そして自分は、サッカー漬けとなった。
メニーナは、ベレーザのジュニアチームで、ベレーザがポルトガル語で「美人」という意味なのに対し、メニーナは「少女」
出来上がった選手を集めるのではなく才気ある中学生、高校生を鍛えようというベレーザの育成システムでもあり、両チームは同じ時間、同じ場所で練習し、クラブハウスのロッカールームも同じだった。
練習は、週6回。
週末はベレーザの試合があって翌日が休みとなるので、月曜日だけが休み。
練習場所は、川崎市のよみうりランドの中にある専用グラウンド。
ベレーザは基本的に社会人なので、学校の部活動より遅めの18時30分に練習が始まり、21時30分に終了。
丸山桂里奈は練習場まで、電車、バスを乗り継いで1時間半かかるので、毎日、中学校の授業が終わるとダッシュで駅へ。
18時20分に練習場に着いて21時までミッチリ練習。
練習後、片づけと着替えを済ませて帰路につくのは22時。
コンビニで買ったおにぎりやカップラーメンを電車の中で食べて、走行する振動に揺られながらボーっと景色を眺めるのが心安らぐ大好きな時間だった。
駅に着くといつも母親か父親が自転車で迎えにきてくれていて、
「いいことも、何かイヤなことがあったときも、とにかく自分からなんでも話しました」
帰宅は24時を過ぎることもあったが、
「話を聞いてもらえたという満足感もあってスッキリし、家に着く頃にもうは元気になっていました」
そして布団に倒れ込んだ。

よみうりランドでは男子チームであるヴェルディも練習していて、まじかでみることができ、丸山桂里奈は、
「すごい人がいっぱいいる」
と感動。
ベレーザでは、野田朱美や大竹奈美などに圧倒されたが、中でも4歳上、東京都立南野高校に通う澤穂希は特別な存在だった。
丸山桂里奈と同じく中1でメニーナに入った澤穂希は、1ヵ月でベレーザに昇格し、さらに数ヵ月後、日本女子サッカーリーグにデビューし、3戦目で初ゴールを含む2得点。
中3の冬、日本代表デビュー戦で、いきなり4得点。
丸山桂里奈は、メニーナに入る前から
「澤さんのすごさは日本中誰もが知っていますが、私たちサッカー選手にとっては澤さんは神様みたいな存在でした」
と思っていたが、実際に会ってみると
「澤さんは地蔵だと思っていて、地蔵様くらい温厚なんです。
神様、仏様ってありますけど、私は地蔵様が1番上にいるんです。
その位置にいるのは澤さんしかいないんです」
といって、ますます崇めた。

メニーナの練習はキツかったが、イヤだと思ったことは1度もなく、サッカーをするのが楽しくて仕方なく、早めに練習場に着いた日は、壁に向かって1人でひたすらボールを蹴り続けた。
「キャプテン翼じゃないけど、本当にボールは友達という感じ」
ある年の大晦日、大雪が降ると丸山桂里奈はボールを持って近所の公園へ。
「雪がクッションになって倒れても痛くない」
とオーバーヘッドシュートを
「ここぞとばかりにめちゃくちゃやりました」
ひたすら練習し続け、気がつくと24時を過ぎていて、文字通り年もオーバーヘッドしてしまった。
「サッカーが生活の中心にあるのが当たり前だったんですよ。
サッカーのためなら、何もツラくないんです。
本当にごはんを食べている感じで。
とにかく点を獲りたいという気持ちしかなかったから、自主練も勝手にやるし、ご飯にもまったく興味がなくて、ただ良いプレーをするためだけに栄養を摂取している感じでした」

中学校に
「Kちゃん」
という同級生がいた。
髪を染め、制服も着崩し、タバコも吸う、いわゆる不良といわれている女の子だった。
中2の夏、丸山桂里奈はKと仲良くなり、一緒に遊ぶようになった。
門限18時、長時間のテレビ禁止、お笑い番組は一切禁止、炭酸ジュース禁止、駄菓子禁止などのルールを設けていた丸山家は驚愕。
元モデルで福祉関係の仕事をしている母は、礼儀や挨拶について厳しく、
「1度決めたことは途中で投げ出さずに最後まで続けなさい」
「小さいことでも1つ1つ積み重ねていけば絶対に自分のモノになるから」
と教えていたが、娘がKと一緒にいるのをみると、
「遊んじゃダメ」
「あの子といるとあなたまで悪く思われるよ」
といった。
丸山桂里奈は友人を悪くいわれ、
「うるさい」
「私がよければいいでしょ」
と反抗。
挙句、売り言葉に買い言葉で
「そんなこというならサッカーやめてやる」
といってしまい、そのままメニーナの練習に行かなくなってしまった。
そして堂々とKと遊んだ。
2人ともジャニーズJr.が好きで追っかけや出待ちをやった。
「京都まで行ったこともあります。
Kちゃんと遊ぶのはスポーツばかりしてきた私にとって、とても新鮮な体験で、新しい世界が開けたみたいでやたら楽しく、夢中になってしまったのです」
夜遅くなると自分の家に戻るのが面倒でKの家に泊まることもあり、Kの家に母親が迎えに来ると居留守。
夏祭りの後、Kの家に向かって夜道をふざけながら歩いていると前方から自転車に乗った母親が突進してきた。
丸山桂里奈は、母親が自転車を降りて停めた瞬間、自転車を蹴飛ばして逃走した。

一方、練習には出なかったものの、クラブハウスにはときどき顔を出していた。
チームメイトいわく、パジャマ姿や馬のマスクをつけて来たこともあったというが、そこでみんなと話をしているうちに、だんだん
「こんなことしてていのかな?」
「追っかけや夜遊びは楽しいけど、これが本当に自分のやりたいことなんだろうか?」
そして大勢のファンに応援されるジャニーズJr.をみても
「私も応援される側になりたい」
と思うようになり、
「私はサッカー選手として応援されるようになろう」
と一念発起。
3ヵ月の貴重なブランクを経てメニーナに復帰。
心を入れ替え、今まで以上にサッカーに打ち込み、不良少女からエースストライカーに復活した丸山桂里奈は、
「横道にそれてもいい。
戻ったところが自分の進む道」
といっている。

中学3年間で100ゴールを決め、卒業後はベレーザに入ることになっていたが、
「上手な選手の中で自己鍛錬するより、普通のチームで自分をどう強くできるかを試したい」
と思い、
「普通の高校のサッカー部に入りたい」
と打ち明けた。
するとメニーナの監督は激怒。
母親は
「本当にそれでいいの?」
と聞き、娘の意志が堅いのがわかると知ると一緒に監督に謝りにいった。
こうしてメニーナを退団し、文京区にある村田女子高等学校に進学し、女子サッカー部に入部。
クラブでプレーに専念すると共に1人で自主トレ。
連日、大田区山王2丁目12番と3丁目31番の間を北西に上がる急坂、通称「闇坂(くらやみざか)」を
「全力だと最後まで持たないため、6割で」
100回ダッシュ。
闇坂以外にも都内の坂道をほぼ走破した。
メニーナの練習で遅くなると駅まで迎えにきてくれた父親は、この自主トレにも毎日付き添った。
テレビドラマ「古畑任三郎」をみて西村まさ彦演ずる「今泉」の大ファンになった丸山桂里奈は、美容院に雑誌の切り抜きを持っていって同じような短髪にしてもらった。
ボーイッシュな風貌で同じ高校の女子たちにモテ、バレンタインデーはチョコレートを30個もらい、高校3年生のとき、第9回全日本高等学校女子サッカー選手権大会で第3位となった。

丸山桂里奈は、サッカー推薦で日本体育大学体育学部体育学科に進学。
日体大女子サッカー部はゴリゴリの体育会系。
先輩後輩の礼儀が厳しく、丸山桂里奈は普段から先輩の顔色をうかがい
「歯をみせないように先輩と話さないといけなかったです」
というが、先輩の藤巻藍子は
「空気の読めない後輩でした」
といっている。
日本体育大学 女子サッカー部監督、芦原正紀は、高校時代は関東選抜として活躍し、初代監督として日体大をゼロから指導し、丸山桂里奈が入った前年に初優勝。
丸山桂里奈をみて
「ワガママなプレーヤーだから自分の好きなときは動くけど、そうでないときはサボる。
そういう浮き沈みの激しいスタイルを直せば、もっと伸びる」
と分析し、1年間、フォワード一筋だった丸山桂里奈に様々なポジションを経験させた。
また上級生に遠慮しているのをみて
「もっと自分の持っているものを出せ」
とアドバイス。
丸山桂里奈は、さらに自分をさらけ出すようになった。

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