澤穂希は、年上のアメリカ人男性と交際していた。
「女子サッカー選手の中には彼氏ができたことがパワーになってサッカーもいい方向にいく選手がいるし、逆にプレーが悪くなる選手もいる。
女性には男性にはない出産があるため、仕事で上を目指したり、やり切ろうという場合、結婚が上で障害になることもある」
という澤穂希だが、サッカーと恋愛、どちらかだけではなく両方、追うタイプ。
また
「理想の彼氏像など特になく、一目ボレはしたことはない」
「自分からコクることはできない」
「思わせぶりな態度をとって駆け引きをすることはできない」
「1人の男性をずっと待つなんてできない」
という澤穂希は、自分が好きになったタイミングと自然と合った人と付き合うことが多かった。
そして好きな人や彼氏に夢中になっても、絶対にサッカーは疎かにせず、サッカーにマイナスになると思うようなことはしなかった。
サッカーは手抜きせず集中して行い、グラウンドを出ると
「今日はおしまい」
と切り替える。
このオンとオフの切り替えが重要で、そのために欠かせないのが
「友達と会うこと」
だという。
サッカー関係者だけでなく多方面に友人を持ち、マメに連絡し、お茶や食事、買い物をしたり、大勢でワイワイ盛り上がって気持ちをリフレッシュさせる。
ときには男友達と2人で食事することもあり、それを許してくれない男性とはつき合えない。
その代わり「自分がイヤなことは相手にもしない」主義の澤穂希は、彼氏が女性と2人で食事するといっても怒ったり、止めたりしない。
極度に負けず嫌いな澤穂希だが、彼氏に対しては、
「彼に自分の意見や主張をぶつける理由がない」
とその性格はまったく発動させず、だいたいのことは許した。
そして1度つき合うと長続きした。
アメリカでも女子サッカーはTVで試合が放送されたり、試合会場が満員になることなど少なく、
「稼げる競技に転向したい」
「給料を上げてくれないとプレーしたくない」
「食べていけない」
といってやめていく選手もたくさんいたが、澤穂希は、
「お金のことは正直いってよくわからない」
といい、自分の価値や能力をお金に換算して考えたことがない。
大金を得るためでも、有名になるためでもなく、ずっと
「サッカーが好き」
「もっとうまくなりたい」
という気持ちだけでやっているので
『お金にならないだったら走る気にならない』
『誰も注目しないんならサボっちゃえ』
などと思うことは皆無で、
「目標に向かって毎日が特別」
が澤穂希のモチベーション。
だから契約更新時に年俸アップのために貢献度をアピールしたことなど1度もなかった。
逆に、
『10年後、何をしていると思いますか?』
と質問されても、本当に考えていないからと答えられない。
「目の前の目標が達成できなかったら、その次なんて絶対に来ない」
という気持ちで目の前のことにだけ全力を注ぐので、先のことは想像がつかなかった
しかしアメリカ女子サッカーリーグが休止するとなると将来のことを考えざる得ず、彼と話し合った。
真剣に結婚を考えていた澤は、
「選手を引退して家庭に入って彼を支えるのもいいな」
とも思っていて、彼に
『もうサッカーをやめて結婚しよう』
といわれれば、そうなったかもしれなかったが、
「ここでサッカーをやめたら後悔するよ」
といわれたため、迷いが生じた。
悩み続けた末、
「悔いを残したくない」
「あきらめたくない」
という気持ちをとった。
そうなるとリーグが消滅してしまったアメリカにとどまることはできなかった。
2004年1月末、澤穂希は6年ぶりに古巣、ベレーザに復帰。
澤穂希と同級生で中学時代からベレーザで一緒にプレーした「中3トリオ」の1人、五味輿恵は、その成長を感じた。
「アメリカから帰ってきたホマは、体格がすごく大きくなって当たりが強くなっていました。
私はボランチで攻撃的MFであるホマの1列後ろという位置でプレーしてましたから、変化にすぐ気がつきました。
それとアメリカに行く前のホマはすごく人見知りだったのですが、帰ってきてからは誰とでも気さくに話すようになりましたね
人が変わったんじゃないかってくらいです」
澤穂希は、離れ離れになったアメリカの彼とは、話し合いの末に別れることになった。
しばらく寂しい気持ちはあったが、目標に向かって突っ走っているうちに時間が解決。
自分の性格から
「結婚とサッカーの両立は無理」
「結婚はサッカーをやり尽した後」
と覚悟を決めた。
周りには、
「家庭に入ったら物足りなくなるんじゃない?」
と一生独身を推す声もあったが、
「結婚したら、掃除と洗濯は毎日して旦那さんが夜遅く帰ってきてもご飯とお風呂を用意して迎える」
「子供は3人くらい欲しい」
「できれば男の子が欲しい」
「年齢を考えると難しいかもしれないから、いっそ双子が欲しい」
「運動会では保護者が参加する種目で一般のママに負けられない。
メッチャ練習する」
などと将来の理想と妄想を語りながら、サッカーに励んだ。
アテネオリンピック、アジア予選は3ヵ月後に迫っていた。