C-C-Bのプロフィール

1980年代に彗星のように現れたC-C-Bとは、どんなグループだったのでしょうか?
C-C-Bのデビューのきっかけ:1982年にアメリカンDJスタイルのミニFM局「KIDS RADIO STATION」(通称「KIDS」)が誕生します。
その「KIDS」で、夏をイメージした新生バンドを数組結成させ競わせるプロジェクトを企画しました。
その中の1組として、グループ・サウンズの再来を思わせる「和製ビーチボーイズ」をコンセプトとしたバンドのメンバーを集め、Coconut Boysを結成します。
当初のメンバーは渡辺英樹さん、関口誠人さん、笠浩二さん他3名で結成されました。
その後メンバーの脱退があり、1984年に田口智治さん、米川英之さんが加入し5人体制となっています。
木村一八さんと、中山美穂さん主演のちょっとエッチだったドラマ「毎度お騒がせします」の人気とも相まって大ヒットした主題歌「Romanticが止まらない」。
オープニングで出演者が躍っているシーンが印象的でした。
懐かしいですよね。
中山美穂さんがいきなり、下着になったシーンにはビックリしました。
バブル期らしい底抜けに明るいドラマと、主題歌でしたね。
渡辺英樹さん
C-C-Bのリーダーだったのは渡辺英樹さん。
本名:渡辺英樹(わたなべひでき)
生年月日:1960年2月1日
没年月日:2015年7月13日
出身地:東京都文京区
身長:167センチ
中学時代からアマチュアバンド活動を始め、10代半ばでライブハウスに出演すると、プロのミュージシャンとして誘いを受けるようになっていきます。
1989年にC-C-Bが解散すると、元BEE PUBLICの丸山正剛さん、田中裕二さんと新たなバンド”VoThM”を結成しました。
1991年には、インディーズレーベルよりアルバム『VoThM』をリリースしています。
2009年には舞台「七慟伽藍」にゲスト演者として登場し武田信玄を演ずるなど活躍していました。
晩年は肺気胸を患うなど体調を崩し、2015年7月13日に急性大動脈解離による多臓器不全のため、55歳で死去しています。
C-C-Bでの元気な姿が今でも目に焼き付いているので、亡くなったニュースはショックでした。
亡くなってもう8年も経つのですね…。
関口誠人さん
関口誠人さんと言えば、何と言っても思い出されるのは名曲「流星のラストデート」です。
中学生の頃、何度も聴いた切ないメロディーが今も思い出されます。
本名:関口誠人(せきぐちまこと)
生年月日:1959年5月2日
出身地:東京都世田谷区
1983年にC-C-Bのメンバーとしてデビューしますが、1987年4月6日に脱退しています。
(その後C-C-Bは4人で活動)
コミカルなC-C-Bの中にあって、一番クールなイメージでした。
1988年にはソロ歌手としてデビューし、1991年に映画「天河伝説殺人事件」の主題歌「天河伝説殺人事件」を担当しヒットしています。

中森明菜さんにも同曲を「二人静」というタイトルで提供しています。
ミステリアスで良い曲でした。
2008年に渡辺英樹さん、笠浩二さんとC-C-Bを再結成しますが、2009年以降は活動がなく事実上解散となっています。
2018年にはデビュー35周年、ソロデビュー30周年を迎えました。
2019年頃から体調を崩し、入院に伴ってラジオのレギュラー番組を一時終了していましたが、2022年4月に再開しています。
関口誠人さん大好きだったので、ホッとしました。
笠浩二さん

C-C-Bと言って真っ先に思い浮かぶ笠浩二さん!
ドラマーでメインボーカル!そしてピンクの髪のインパクトが強かったですよね。
本名:笠浩二(りゅうこうじ)
生年月日:1962年11月8日
没年月日:2022年12月14日
出身地:福岡県
笠浩二さんがミュージシャンを志したきっかけは、入学式でブラスバンド部が新入生歓迎のための演奏を行った際に初めて生のドラムの音を聞いたことです。
先輩が叩く姿がとても格好よく目に映ったことで「自分もドラムを演奏したい」と思ったことがきっかけになりました。
1989年にC-C-Bが解散すると、ソロ活動開始します。
そしてC-C-B時代にUCCコーヒーのCMソングに採用されて好評だった「30センチでつかまえて」を第一弾シングルとしてリリースしました。
その後も音楽活動を続け、2015年には解散時4人でのワンマンライブを行う予定でしたが、渡辺英樹さんの死去で中止になってしまいました。
とても残念です…。
その後も音楽活動を続けましたが、2022年12月14日、脳梗塞のため逝去しました。
享年60歳…まだまだ若くもっと活動を観ていたかったです。
田口智治さん
解散後に一番波乱万丈な人生を送ったのは、田口智治さんです。
本名:田口智治(たぐちともはる)
生年月日:1960年10月27日
出身地:東京都足立区
10代の頃よりアマチュアバンドで活動し、キーボード奏者として名を馳せました。
近藤真彦さんの第2期専属バンド「ダブルス」に加入し収入もありましたが、ミュージシャンとしての可能性を伸ばしたいと考えるようになっていきます。
C-C-Bには1984年の2枚目シングル「瞳少女」から加入しました。
C-C-B解散後は、その後は特定のバンドに所属することはなく、多くのアーティストやバンドとのセッションやユニットに参加し活動を行っています。
またC-C-Bの元メンバーとユニットを組んでライブを行うこともありました。
2004年には渡辺英樹さん、米川英之さん、田口智治さんの3人でユニット『ヨネタワタル』を結成します。
同年7月6日には青山円形劇場でライブを敢行し、追加公演が組まれるほど盛況を収めました。
ただ、2015年7月2日に覚醒剤取締法違反(所持)の疑いで神奈川県警察薬物銃器対策課に逮捕されて執行猶予付きの判決を受けてしまいます。
2016年4月14日には再び覚醒剤の使用で逮捕され、懲役1年6か月うち懲役4か月を保護観察付き執行猶予2年の判決が言い渡されました。
曲を生み出すということは、とても大変なことなのでしょう。
きっとプレッシャーとの戦いの連続だったのだと思います。
2016年4月6日から更新の止まっていたFaceBookですが、2021年10月4日に5年6か月ぶりに投稿があり、同年年頭に5時間に及ぶ頚椎症性脊髄症の手術を受け、ひと月ほど入院していたことを報告しました。
近況報告があって良かったです。
快復を願いたいですね。
米川英之さん
メンバーの中で一番若かった、ギタリストの米川英之さんです。
本名:米川英之(よねかわひでゆき)
生年月日:1964年3月3日
出身地:東京都杉並区
C-C-Bには田口智治さんと共に1984年に加入しています。
C-C-Bの解散後はソロ活動と並行し、様々なミュージシャンとのセッションを行いまたC-C-Bメンバーとの交流も続けていました。
2011年には渡辺英樹さん、田口智治さんとC-C-Bの楽曲をセルフカバーするユニット『AJ-米田渡-』を結成し、リーダーとして年に数回ライブを行っています。
渡辺英樹さん逝去後は、笠浩二さんと2人でライブを行うなど、笠浩二さんが逝去するまで精力的に活動していました。
笠浩二さんがもういないなんて嘘みたいです。
追悼ライブを行うなど、今も交流を続けているように感じました。
C-C-B時代は目立ちませんでしたが、縁の下の力持ちであり実力派、そして仲間思いの素晴らしいミュージシャンですね。
まとめ
今回は「カラフルな髪が印象的でバブルな時代の寵児C-C-Bの活躍とメンバーのその後は?」についてご紹介しました。
亡くなったメンバーもいて寂しいですが、C-C-Bは想い出の中で今も光り輝いています。
これからも素敵な音楽を届け続けて欲しいですね。