澤穂希の少女時代  受け入れた運命、切り開いた人生、抗った試練 、夢を持つことが生み出す力、その威力。

澤穂希の少女時代 受け入れた運命、切り開いた人生、抗った試練 、夢を持つことが生み出す力、その威力。

男子より粘り強く、ひたむきで謙虚で前向きでポジティブでパワーのある日本女子サッカーの激動の歴史。座右の銘は「夢はみるものではなく叶えるもの」 夢を持つことが生み出す力、その威力を知る澤穂希の魂あふれる戦い。


日本サッカーの起源は、明治時代である1873年に日本海軍が外国の軍人から教わったこと。
大正時代、1918年には全国大会が始まり、翌1919年には日本蹴球協会(現:日本サッカー協会)設立。
大正は、それまで家にいるのが当たり前だったが女性が外で働き出し、社会に進出し始めた時代で、
「男に負けない」
という意識はスポーツにも波及し、男性に混じってサッカーをする女性も多かった。
しかし昭和になり戦争が始まると、そんな雰囲気は消し飛んでしまった。
1945に終戦し、その後の混乱を経て、1966年、日本最初の女子サッカーチームが、兵庫県で2チームできた。

神戸市灘区の福住小学校6年生26人でつくられたチーム
西宮市の神戸女学院中等部3年生15人でつくられたチーム

は、翌1967年に福住小学校の近くにある王子競技場で対戦。
そして女子サッカーチームは急増。
世間には
「女がサッカーなんて」
という偏見がはびこっていたが、彼女たちは好奇の目にさらされながら一生懸命練習し、盛んに試合を行って、仲間を増やしていった。

日本最初の女子サッカーチームができた12年後、東京都府中市で澤穂希が誕生。
「ツルツル頭でなんともいえずかわいかったですよ。
産声は上げましたけど、全然泣かない子でしたね」
という母親、父親、1つ上の兄の4人家族。
通常、赤ちゃんは、生まれて1年間で、首がすわる、寝返り、お座り、ハイハイ、つかまり立ち、伝い歩き、たっち、しっかりと立つ、歩くという過程で成長していく。
しかしお腹にいるときに母親のお腹がグイっと突起するほど内側から強く蹴っていた澤穂希は、ハイハイはあまりせずに、いきなりつかまり立ち。
階段を降りるときも、はじめは前向きに座って1段ずつ降りるところ、後ろ向きでズンズン降りていき、ベビーカーもあまり乗らずに、すぐに歩き出した。

澤穂希が生まれた翌年、日本サッカー協会は発足から半世紀を経て、女子チームの登録の受付を開始。
するとそれまで男子だけの組織だった日本サッカー協会に、52チーム、919人が登録した。
翌1980年には、第1回全日本女子サッカー選手権(現:皇后杯、2012年~)が開催された。
この大会は、以後毎年、12月にトーナメント戦が始まり、翌年1月1日に国立競技場で決勝戦が行われ、
(同日、全日本男子サッカー選手(天皇杯)の決勝戦も行われる)
女子サッカーチームはどんどん増え、 レベルも上昇していった。
当初、

8人制
25分ハーフ
グラウンド面積は男子の2/3
胸トラップ禁止

など女子特有のルールもあったが、やがて男子と同一化。
しかし日本サッカー協会に登録したといっても、大会の開催、運営、資金調達などは、すべて自分たちで行わなければならず、
「日本女子サッカー連盟」
がつくられた。

澤穂希は、3歳のときに全国にプールがある「イトマンスイミングスクール」に入会。
昇給テストに受かって級が上がるとスイミングキャップの色が変わっていくというシステムがあり、澤穂希はこれにどっぷりとハマり、新しい色のキャップを狙って夢中で泳ぎ、幼稚園に入る前に1番上の「特級」に到達。
書道も習い、生まれつき左利きだったが、
「文字は右手で書きなさい」
と直され、書くのは右手、箸は左手という両利きに。
「両手が使えることで右脳と左脳がバランスよく刺激されているかもしれない。
そのバランスがサッカーに生かされている気はします」
雪の日の夜、3歳の澤穂希と兄がイタズラをしたため、母親は
「反省しなさい」
と家の外に放り出した。
その後、家事に追われ、気づけば、すでに1時間ほど経っていて、あわてて外をみると、泣き疲れて玄関で眠る兄がいた。
「穂希は?」
と思いながら、すぐに抱えてコタツに入れ、真っ青になりながら再び外に出ると物干し竿で遊ぶ娘がいた。

澤穂希が5歳のとき、父親の転勤で一家は大阪府高槻市に引っ越し。
兄が「安満サッカークラブ」に入ると、澤穂希は、いつも母親と一緒に練習をみにいった。
6歳のとき、コーチに
「妹さんも蹴ってみない?」
といわれ、いつも持ち歩いていたゴム製のバレーボールを抱えて立ち上がり、コーチの後についてグラウンドへ。
バレーボールを地面に置いて
「エイッ」
とつま先で突くように蹴ると、ボールは地面をコロコロと転がり
(いったいどこにいくの?)
ワクワクしながら行方を追っているとボールは何かに導かれるようにゴールへ。
さらにドキドキしながら見守っているとボールはゴールの中に吸い込まれていった。
その瞬間、
(楽しい!!)
ゴールの意味はあまりわからなかったが、とにかく嬉しく大喜び。
母親をみると笑っていて、コーチは少し驚いていた。
この一蹴り、初ゴールで人生は決まった。
「ゴールに入ったのが嬉しくて。
すぐに私もサッカーをやりたいってなりました」
こうして澤穂希は、大阪でボールを蹴り始めた。
安満サッカークラブは、安満遺跡公園のグラウンドで練習し、夜遅くなると夜間照明がないために車のライトをつけて練習するような熱心なクラブだった。
「大阪では週に1回か2回の練習に参加するだけだったけど、サッカーに夢中でした」

7歳のとき、父親の転勤が終わって東京都府中市に戻ると、澤穂希は「府ロクサッカークラブ」、通称「府ロク」に入った。
府ロクは、府中第6小学校の先生が創設。
授業の後、学校のグラウンドで練習し、全国大会に何度も出ているジュニアの名門チームだった。
兄は問題なく入ることができたが、澤穂希は、母親が
「妹は入れますか?」
と聞くと
「前例がないから」
と断られてしまう。
府ロクは、男子、しかも小学校3年生以上でないと入れないことになっていたが、母親はあきらめず
「前例がないのなら、うちの娘で新しい歴史をつくってください」
といって返事待ち。
そして小学2年生の女の子は「仮入団」が認められた。

仮入団の身である澤穂希は、グラウンドの隅で練習していたが、間もなく地元の小学生が出場する「狛江杯」があり、母親と兄の応援に。
前半を0対0で終えたとき、コーチに
「出てみない?」
と声をかけれた澤穂希は、ユニフォームを借りて、後半から出場。
いきなりゴールを決め、チームは勝利した。
本人は、
「無我夢中でプレーしたこと以外記憶がない」
というが、翌日の地元の新聞に
「途中出場の女の子の決勝ゴール」
と取り上げられた。
この功績で府ロクも「正式入団」となり、365日のほとんどをサッカーボールと過ごすサッカー漬けの人生が始まった。

府ロクの練習は週5日。
土日は、試合や遠征、合宿があった。
学校が終わるとすぐに練習が始まり、帰宅は夜。
兄は帰ってくると
「疲れた」
といって風呂に入ったが、澤穂希は
「練習する」
といってボールを持って外にいき、1人で1時間くらい、家の前の壁にボールを当てたり、リフティング。
「自主練というより、ただただ楽しくて蹴っていただけ」
というが、雨の日は家の中で蹴ることもあった。
府ロクに入って半年後、河口湖で行われた合宿で広いグラウンドの外周を1度もボールを落とさずにリフティングで回り、コーチを驚かせた。

府ロクを含め、多くのジュニアサッカーチームは各学年ごとにチームがあり、チーム別に練習や試合を行う。
上手な子が上の学年でプレーすることもあるが、基本的にチームメイトは同級生。
誰もが試合に出られるというわけではなくポジション争いは激しかったが、仲は良かった。
大人になっても府ロクのチームメイトの交流は続き、サッカーや昔の話で盛り上がっている。
澤穂希は、身長が高く、髪型もショート。
大阪にいた頃、可愛い帽子をかぶったりして女の子らしい格好をしたこともあったが、東京に戻って男の子ばかりの中でサッカーをするようになってから、スカートなどはいたことがなく、いつもGパンや短パンで、よく男の子に間違えられていた。
ところが運動会でスカートをはいてダンスをしなければならなくなり、練習のときからふてくされたように踊り、以後、ダンスは嫌いになった。
土日は、近郊や他県で試合や大会遠征、合宿があり、父兄は交代で引率や応援を行って、電車で一緒に移動したり、車を出すこともあった。
「遠くの遠征先ではホテルや民宿じゃなくて、「分宿」といって対戦相手の選手の家に泊まるんです。
それが他校の友達と仲良くなれるから面白かった。
だけど高学年になるとお互いに意識して気まずくなってくる」
大きな部屋で雑魚寝するときは、澤だけチームメイトのお母さんたちの部屋へ。
「さすがにお風呂は別だとしても仲間だし寝る部屋は同じでもいいのに・・・」
と思っていた。
女の子だからと別行動を強いられることがイヤだった。

とにかくサッカーをするのが大好きで、
「そのまま今まで来たような感じ」
という澤穂希が、
「私の原点」
という府ロク。
そしてサッカー選手として頂点を極めた彼女が、そうなれた理由として挙げるのが
「府ロクで基礎を繰り返し磨いたから」
府ロクの練習はハードであると同時に遊びの要素があって
「厳しさより楽しさを感じた」
という。
楽しくて自発的に練習することで基礎技術が磨かれ、それが澤穂希のサッカー人生を支え続けたという。
ポイントは、「やらされる練習」ではなかったということ。
多くの子供がハデでカッコいいプレーに憧れて、そのスポーツを始める。
しかしイザッ始めてみると、まずやるのは「基本」とか「基礎」といわれる練習。
それは地味でしんどい反復練習が多く、これがイヤでやめてしまう子供も多い。
その点、府ロクは、怒って強制的にやらしたり、枠にハメるのではなく、ホメたり楽しくしたりして子供のやる気を引き出すやり方を行った。

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