美川憲一のプロフィール

まずは美川憲一さんのプロフィールからご紹介します。
本名:百瀬 由一(ももせ よしかず)
生年月日:1946年5月15日
出身地:長野県諏訪市
美川憲一さんと言えば、生みの母と育ての母が2人いることで知られていました。
未婚で出産した産みの母が肺結核を患い、2歳のときに姉夫婦に引き取られます。
そのことを知ったのは美川憲一さんが中学1年の時で、2人の母の生活を支えるために芸能界を目指したのでした。
デビューのキッカケ:高校を1年で中退し、東宝芸能学校に入学します。
そして1964年に第17期「大映ニューフェイス」に合格しました。
翌1965年には「だけどだけどだけど」でデビューします。
青春歌謡路線だったため、当時は男装の美少年というキャラクターで売り出したのでした。
ただ「だけどだけどだけど」の売り上げはパッとせず、1966年にはムード歌謡に路線を変更し、リリースした「柳ヶ瀬ブルース」が120万枚を超え大ヒットしました。
青春歌謡路線から、ムード歌謡への転向には抵抗があったようで、社長に断りを入れます。
ところが社長「ヒット曲も無いくせに」と激怒されたため、受けざるを得ませんでした。
ぶっきらぼうな歌い方をしているのは、実はムード歌謡が苦手だったためですが、曲が大ヒットしたのは、そんなキャラも要因であるように感じます。
美川憲一の恋愛

実は美川憲一さんは結婚を考えた女性がいたそうなのです。
柳ヶ瀬ブルースを発売後、ヒット曲を立て続けに出していた頃の1966年頃でした。
一般人の女性とお付き合いしていて、お母さんもその女性を気に入っていたそうなのです。
でも美川憲一さんは2人のお母さんを養っている状態で、育てのお母さんとは正反対のおしとやかな女性だったことから、うまくやっていけるかどうかも心配だったようですね。
そのため結婚を諦めてしまったそうです。
誠実な美川憲一さんですから、2人のお母さんも大切ですし結婚しない方が彼女は幸せなのでは…と考えてしまったのでしょうね。
美川憲一さんの人柄が偲ばれるエピソードです。
「『本当はノーマルですか?』ってよく聞かれるけど、どこまでがノーマルなのかしらね」美川憲一が明かす過去の恋愛遍歴。「私は男でも女でもない、美川憲一よ」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
結婚を考えたのは、このときの女性が最初で最後でした。
とても素敵な女性だったのでしょうね…。
また初体験のお相手も年上の水商売の女性だったそうで、美川憲一さんの恋愛対象はやはり異性である女性なのでしょうか。
「『本当はノーマルですか?』ってよく聞かれるけど、どこまでがノーマルなのかしらね」美川憲一が明かす過去の恋愛遍歴。「私は男でも女でもない、美川憲一よ」(集英社オンライン) - Yahoo!ニュース
今も素敵ですが、若い頃は絶世の美少年だった美川憲一さんは、男性から声をかけられたこともありました。
そしてもちろん、男性との恋愛経験もあったそうです。
ひとめ惚れとかではなく、慎重に相手を見て人間性に惹かれていくという傾向がある美川憲一さんは、性別ではなく相手の人柄を重視するということのようですね。
性格は完全に男という美川憲一さんですが、美少年でデビューし売れなかった時代を経て「オネエキャラは商売になる」と思ったそうです。
そのためオネエはキャラ作りで形成されたとも言えますが、美川憲一さん自身は「でも美川憲一は美川憲一、男でも女でもないのよ。」と語っていました。
男とか女とかに拘らず、美川憲一さんという1人の人間と言い切る美川憲一さん、めちゃめちゃカッコいいですね。
好きになった人が恋愛対象と考えるのが、一番シンプルで自然な姿なのかもしれません。
まとめ
今回は「オネエキャラ美川憲一の恋愛遍歴!お相手はどっち(♂?♀?)なの!?」についてご紹介しました。
美川憲一さんの恋愛対象は性別ではなく、人間性や相性が大事ということでした。
そんな一本筋の通った美川憲一さんはとてもカッコイイですよね。
これからも応援していきたいです!