多民族国家イギリスで、生まれたイングランド人
ボーイ・ジョージことジョージ・アラン・オダウドは、1961年6月14日にイギリスのケント州で生まれ、サウスイースト・ロンドンで育った。父はアイルランド系イングランド人で、母はアイルランドの首都ダブリンからの一世移民だ。
1981年にイギリス人4人で「Culture Club(カルチャー・クラブ)」を結成。メンバーは全員イギリス出身のだが、ロイ・ヘイ(ギター・キーボード)を除き、アイルランド系のボーイ・ジョージ、ジャマイカ系黒人のマイキー・クレイグ(ベース)、ユダヤ系のジョン・モス(ドラマー)と、それぞれ異なる文化背景を持つ多民族で構成されたバンドだった。
「カルチャー・クラブ」の成功とボーイ・ジョージのセクシュアリティ
1982年、カルチャー・クラブの「Do You Really Want To Hurt Me(邦題:きみは完璧さ)」が世界的な大ヒットとなった。そして、音楽シーンに登場したボーイ・ジョージの中性的な姿は衝撃的だった。当時の日本では、外見的には性別の境界は曖昧だが、ボーイ・ジョージの声質が男性であったため、男性がファッションとして女装して歌っていると理解された。
当時、子どもたちの間では「ボーイ・ジョージは男か女か?」といった疑問が飛び交い、学校では彼のセクシュアリティについて論争が起きたという。LGBTやLGBTQという言葉がまだ一般的でなかった1980年代に、突如現れたボーイ・ジョージは、その独特のスタイルと音楽で注目を集め、一躍スターとなった。
ボーイ・ジョージ(左)とロイ・ヘイ
ゲイ文化が進行していた1980年代のアメリカにおいて、ボーイ・ジョージはその象徴的存在として大変な人気を博した。
1986年にカルチャー・クラブが解散したが、ボーイ・ジョージは80年代を代表するLGBTQアイコンとなった。
美しきボーイ・ジョージの性的指向
デビュー当時、ボーイ・ジョージは性的指向について尋ねられると、「バイセクシャル」であると答え、曖昧な表現をしていた。しかし、1980年代前半から中頃にかけて、彼はカルチャー・クラブのドラマーであるジョン・モスと、数年間にわたり秘密裏に交際していた。
1983年のインタビューで、男性も女性も両方を愛している「バイセクシャル」と明言した。1995年に出版された自伝「Take It Like a Man」の中で、彼はパンクロック歌手のカーク・ブランドンや、カルチャー・クラブのドラマーであるジョン・モスらの男性との関係について、自分は両性愛者ではなくゲイであるとカミングアウトした。
2006年に公開された「ボーイ・ジョージの狂気」というドキュメンタリーの中で、自分は「戦闘的ゲイ」だと語り、2008年に公開された「ボーイ・ジョージと暮らす」というドキュメンタリーでは、ボーイ・ジョージが自身がゲイだと気付き、両親にカミングアウトしたことを告白した。
薬物に依存していたボーイ・ジョージが逮捕される
カルチャー・クラブが解散した1986年、ボーイ・ジョージはヘロイン所持で逮捕された。1980年代後半までの数年間ヘロイン中毒に苦しんでいた。2005年10月7日には、コカイン所持と強盗の虚偽報告の疑いでマンハッタンで逮捕された。