セルゲイ・ブブカの故郷
セルゲイ・ブブカは、1963年12月4日にルハンスクで生まれた。ルハンスクは、2014年に親ロシアの分離主義者によって設立されたウクライナの分離国家の一部である。
ウクライナのルハーンシク州は、2022年2月のロシアのウクライナ侵攻の火種になっている地域であり、ルハンスク(ウクライナ語 )とルガンスク(ロシア語)は同じ都市だ。

ルハンスク(ルガンスク)
File:Отель Украина.jpg – Travel guide at Wikivoyage
※2022年9月にロシアが、ルガンスク人民共和国(ルハーンシク州)の併合を一方的に宣言した。
鳥人ブブカの誕生
セルゲイ・ブブカ10歳で棒高跳を始め、ソビエト連邦の教育のもと世界記録を樹立した。身長1.83 m、体重 80 kg。1991年まではソ連、1993年からはウクライナの代表を務めた。
ブブカの棒高跳び世界記録
ウクライナ人のセルゲイ・ブブカは、1980 年代と90年代に屋外の世界記録を 17 回、屋内の世界記録を18 回更新した。1988年ソウルオリンピックでは5m90cmで優勝した金メダリストは、「鳥人」と呼ばれた。1994年に屋内で、6メートル14センチを記録した。
2020年9月17日にスウェーデンのアルマンド・デュプランティス選手が、6メートル15センチを飛びブフカ超えをした。棒高跳び世界新記録は26年ぶりに更新された。
6 メートル越えでレジェンドとなった鳥人ブブカの6mジャンプ。
6m(メートル)は、どのぐらいか?
マンションの2階の高さ、消防車の全長、一般道(国道)の車道の破線の長さ。
日本とのつながり
住友3MのテレビCMに出演したセルゲイ・ブブカ
2007年世界陸上大阪選手権に来日セルゲイ・ブブカ氏(IAAF理事)。

セルゲイ・ブブカ
File:Osaka07 D5A Sergey Bubka.jpg - Wikimedia Commons
棒高跳び世界記録保持者セルゲイ・ブブカの引退
ブブカは、2000年のシドニーオリンピックを最後に引退した。送別会で再び室内で 5.60 m 跳んだ。セルゲイ・ブブカは。43の大会6.00 メートル以上、111の大会で5.90 メートル以上の高さの記録を残しキャリアを終えた。引退後は故郷ウクライナに「ブブカ・スポーツクラブ」を設立した。また、孤児施設などで慈善活動をおこなっている。
政治家、銀行家、スポーツ関係者として
2002年から2006 年まで、ブブカは、ヴィクトル ヤヌコーヴィチの地域党のウクライナ議会の議員を務めた。2005年6 月23日以降は、ヤヌコビッチの後を継いでウクライナのオリンピック委員会の委員長に就任した。2002年から2008年まで、彼はIOCのアスリート委員会の委員長を務めた。2007年にはIAAFの副会長に選出される。また、彼は2004年以来、Kiev Rodovid Bank の社長だ。2009年7月に銀行が国有化されるまで、最大の株主の 1 人だった。彼の財産は 3 億 5000 万ドルといわれている。

セルゲイ・ブブカ
2015 年 8 月のIAAF 会長選挙で、ブブカは 92 票対 115 票でセバスチャン・コーに敗れるも世界中で陸上競技の宣伝をした。
その後、ウクライナ国立オリンピック委員会 (NOCU) の会長、国際オリンピック委員会のメンバーになり、世界陸上競技の副会長を務めた。
ブブカの現在、 今どこにいる?
ロシアのウクライナ侵攻直後の3月5日、ブブカはツイッターにウクライナ語で「心からウクライナを愛している」と投稿した。58 歳のブブカは、キャリアの中で 35 の世界記録を樹立し、主にソ連代表として戦っていたが、IOC のトーマス バッハ会長から、ウクライナへの人道支援を調整するよう命じられたと言われている。
【gogleによるウクライナ語からの翻訳】
私は私のウクライナを心から愛しています。彼女の旗の下で、私は最高の栄誉を受けました。今では、私が大会に参加する際に持っていたこの旗が、私の家族が直接関わっている人道支援の本部に掲げられています。我々は勝つ!
2022年7月、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長がは、ウクライナを訪問。ウォロディミル・ゼレンスキー大統領とキーウで会談した。
【googleによる英語からの翻訳】
トーマス・バッハ会長、ご訪問ありがとうございました!感謝します🤝ウクライナの🇺🇦オリンピック ファミリーへの多大な支援です。
国際オリンピック委員会IOC は、合計 750 万ドル (620 万ポンド/700 万ユーロ) の連帯基金が、3,000人のウクライナ人選手を支援した主張。ウクライナのアスリートがトレーニングを継続し、主要なイベントで競争できるようにするために使用されていると述べた。ウクライナのNOCUは、IOC の主張に疑問を呈している
ブブカの辞任とウクライナの五輪ボイコット
ロシアが2022年2月にウクライナを侵攻を開始した直後から、セルゲイ・ブブカは戦争について公のコメントをしていない。侵攻直後も、ウクライナにいたのか?確認されていない。
2008 年からIOC のメンバーであり、17年間 NOCUを率いてきたセルゲイ・ブブカは、2022 年に辞任した。2022年11月にIOCメンバーのセルゲイ・ブブカの後任としてウクライナのNOC(NOCU)会長にグッツェイト氏が就任した。

セルゲイ・ブブカ
セルゲイ・ブブカ - Wikipedia
ロシアとベラルーシの選手は、2015年に組織的なドーピング違反が明らかになり、大会への出場を禁止さた。その後、ロシアとベラルーシの選手の復帰を求める計画が発表されて以来、IOCとウクライナのNOCUの間で公の論争があった。NOCUは、ロシアとベラルーシが2024年に開催されるパリ五輪に参加する場合、五輪をボイコットする可能性があることを示唆している。そして、オリンピック憲章の違反になるとIOCからの警告を促した。
2023年2月に国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長はロシア、ベラルーシ選手が参加した場合、2024年のパリ五輪不参加を示唆しているウクライナに対し、ボイコットの脅しをやめるよう呼びかけたが、ウクライナの選手らはIOCのトーマス・バッハ会長の発言に反発している。