1991年9月、ダウンタウンが東京へいった後、多くの女性ファンを大阪の劇場から失った吉本興業は、ダンスもできるアイドル芸人ユニット「吉本印天然素材」をデビューさせた。
メンバーは、
雨上がり決死隊(宮迫博之・蛍原徹)
FUJIWARA(藤本敏史・原西孝幸)
バッファロー吾郎(竹若元博・木村明浩)
へびいちご(島川学・高橋智)
チュパチャップス(ホッシャン・・宮川大輔)
ナインティナイン(岡村隆史・矢部浩之)
という6コンビ12名。
NSC7期生の雨上がり決死隊を中心に、8期生のUJIWARA、バッファロー吾郎、そして9期生の岡村たちからんでいくスタイルだった。
この通称「天素(てんそ)」、あるいは「天然素材」は、1ヵ月後には、日本テレビ「吉本印天然素材」、TBSの「ピカピカ天然素材」と関東の深夜にレギュラー番組を持った上、全国でライブを展開。
アイドル的人気を獲得していった。
これに対し、松竹芸能から
ますだおかだ
TKO
よゐこ
のイズ
という4組8名、「松竹印人工素材」、通称「じんそ」がデビュー。
しかしすぐに消滅。
やはり人工は天然に勝てなかった。
天然素材で押しの強い先輩と同期に囲まれた岡村は、
「この認知度が高いコンビの中で、どうすれば観ている人間にインパクトを与えることができるか?」
を考え、他のメンバーがジーンズなどにカジュアルな服装の中、矢部と2人だけスーツを着たり
「インパクトを残すことが重要」
ととにかく動き回った。
そのキレとアクションは、宮迫、原西と共に「動きの新御三家」といわれ、ダンスでもセンターで踊った。
一方、矢部は
「ダンスでけへんし、嫌いやし、後ろの方やった」
メンバーで1番ダンスが下手なのは、1番真面目な蛍原徹。
1番モテたのは宮川大輔。
宮川が1人暮らししていた大阪のマンションのポストから、公共料金の支払い用紙を抜きとり、コンビニで支払いを済ませるファンもいた。
宮川は入れてあった領収書がみて恐怖を感じ、すぐにポストにカギをつけた。
天然素材は、うめだ花月を中心に活動し、2丁目劇場で活躍するベイブルース(7期生)や千原兄弟(8期生)と張り合った。
15歳でデビューした千原ジュニアは、同い年や年上の後輩が多く、彼らから敬語で話されたりしていた。
岡村も4歳上の1年後輩。
あるとき岡村がレゲエクラブの2階にいるとき、1階でジュニアとメッセンジャーの黒田有が入店。
客の女の子に
「なんかおもろいことやって~」
とリクエストされ、黒田は尻を出した。
しかし
「全然おもんないねんけど」
といわれ
「オラァ~!」
とキレた。
女の子の周りにいた男たちともみ合いなり、仕方なくジュニアも参戦。
岡村は、騒がしくなった1階をのぞき込んで
「おらあァッー」
と暴れるジュニアを目撃。
「関わってはいけない」
と思った。
その後、
「ジュニアは危険人物」
といって、笑いをとってしまう。
ジュニアは自分のラジオ番組でリスナーからのハガキでそれを知り、ボソッとつぶやいた。
「シバいたる・・・」
ジュニアが住んでいたマンションの1階には飲食店の入っていたが、ある日、帰ってくると店員に
「宮迫さんと岡村さん来てますよ」
と教えてもらった。
ベロベロに酔っ払っていたジュニアは、店に入って先輩の宮迫博之に挨拶。
そして
「アレッ?
小っちゃいの、挨拶あれへんな。
オイッ、何かおかしない?」
とカラみはじめたが、ちゃんと挨拶する岡村をみていた宮迫に怒られた。
(この後、2人はいよいよ近づくことがなく、2011年の「笑っていいとも!増刊号生SP」で初共演したとき、近くにいるのに、まったく会話を交わさず、翌2012年の「めちゃ×2イケてるッ!」でやっとまともに共演した)
1992年10月9日、フジテレビで「新しい波」という深夜番組が放送スタート。
毎回、1~2組の若手芸人がネタとトークを披露するという新人発掘番組。
4人のディレクターは、出演者を探さなくてはならなかった。
その1人、片岡飛鳥は、大阪へ飛んで、松竹芸能でよゐこと出会った。
「初めて会った有野と濱口は、まともに挨拶もできないクセに、やたらとおしゃれな若者で、夜、飲み会でも酒をすすめたら「あ、僕らジュースでいいんで」って。
僕は、懐いてこない2人のことが逆に好きになって、すぐに「新しい波」に呼んだんです」
10月23日、「新しい波」の3回目の放送に、よゐこが出演。
片岡飛鳥がよゐこの次に見つけたのが、ナインティナインだった。
日本テレビの深夜番組「吉本天然素材」をみていて
「画面の隅でピョンピョン跳ねている小さいヤツ」
に目が止まり
「あの小っちゃい子供、誰?
大阪っぽくないなあ」
と興味を持った片岡飛鳥は吉本興業に電話。
「ナインティーンとかいう名前のコンビニ会いたい」
「ああ、ナインティナインやろ?」
東京でオーディションと聞いて、吉本は
「雨上がりじゃなくてナインティナイン?」
と驚いたが、大阪に住んでいた岡村もビックリしながらフジテレビに向かった。
面接が始まり、書類に身長160㎝と書いてあるのをみた片岡飛鳥は、
「160もないでしょ?」
岡村は、バツが悪そうにペコリ。
片岡飛鳥は、その表情と動きに、ネタをみる前から心を射貫かれてしまった。
「156㎝しかないのに160㎝って書くって思春期丸出しでしょ。
矢部も爽やかでイケメンだったけど、服とかバッグとかビンボー丸出しだった」
12月23日、ナインティナインは「新しい波」の10回目の放送に出演。
この後、同番組では、オアシズ、極楽とんぼ、キャイ~ンなども出演。
彼らをスカウトしたのは片岡飛鳥で、彼が1番天才だと思ったのは有野晋哉、2番目が山本圭一だったという。
1992年12月25日のクリスマス、岡村が
「ロンブー、キンコン、オリラジ、はんにゃ以上に女性に人気があった」
というほど若い女性からアイドル的扱いを受けていた天然素材が後楽園ホールでイベント。
超満員の中、収録も行われ、イベントが終了後、出待ちが何百人もいたため、メンバー1人1人に警備員がついてタクシーに乗った。
岡村は、1年後輩にあたる東京芸人、キャイ~ンの天野ひろゆきから
「踊ってキャーっていわれてるんだよね」
といわれたことがあった。
天野からしてみれば、天然素材のアイドル的人気に対するうらやましさと負けじ根性から出た毒舌だった。
岡村は踊ることもキャーキャーいわれるのも大好きだったが、
「アイドルみたいに騒がれているだけでみんな笑ってへんやん。
笑かさなアカンやん。
踊ってどうすんねん」
という気持ちも持っていたので、天野の言葉はコタえた。
天然素材の総合演出、谷口秀一は、佐藤B作が主宰する劇団東京ヴォードヴィルショーを手掛けたこともある人物。
しかし岡村は、その指示に素直に従わず、反発することもあった。
「お互いに尖ってたのよ。
演出家の方も尖ってたし、俺らも尖ってたから。
ダンスとかさせられて、集団コントとかコンビネタで暗転使うな、音楽使ったらアカンとかいわれて、なんやねんって。
凄い厳しかったのよ。
演出家の方も絶対に尖ってた」
ライブ「天然劇場」の初日、2時間のショーの最後、メンバー全員で
「ありがとうございました」
と礼をしたが、他のメンバーが手を振って客に応える中、ナインティナインだけ会釈して降壇。
そのときのことを岡村は
「客に媚びるのはカッコ悪いって思ってた」
矢部は
「スカしてましたね」
という。
ライブ後、谷口秀一に
「高いところから低いところに水を流すヤツがおる」
といわれ、岡村は
「完全に俺らのことをいわれてるな」
と思った。
「お客さん来てくれてるのに、なんでありがとうございましたって気持ちを表現でけへんのか。
最後にあんなことされたら舞台が台無しや」
と説教されたナインティナインは
「おっしゃるとおりです」
といったものの、
「2日目、どうする?」
と相談し、最終的に
「感謝の気持ちを表現したらエエねんやろ。
思いっきり深々と頭下げようぜ」
と決定。
必要以上に頭を下げ、再び和を乱した。
そんなことを続けているうちに宮迫に
「エエかげんにせぇよ」
と怒られた。
岡村は、総合演出家は嫌いだったが、ダンスの振付師、金谷かほりのことは好きだった。
金谷かほりにダンスのセンターポジションに抜擢された岡村は
「先生のことも好きやったし、先生の家に遊びにいったりしてた」
その金谷かほりが天然素材から離れることになったとき、谷口秀一は、
「お前らがいうこと聞けへん、遊んでばっかりやから、振り付けもまとまれへんで、先生が嫌気さして辞めることになりました」
と説明。
しかし岡村が、その後、
「先生、なんで辞めんの?」
と金谷かほりに直接、聞くと
「演出家と合わないから」
といわれた。
その後、総合演出との関係はますます悪化。
次第にユニット内でも隅の存在となっていき
「腐っていった」
という。
「このまま天然素材にいてもダメかもしれない」
そう思った岡村は、脱退をも視野に入れて、コンビのネタづくりに力しを入れ始めた。
1993年4月、毎週木曜深夜、フジテレビで「とぶくすり」が放送開始。
「新しい波」に出演したナインティナイン、極楽とんぼ、よゐこ、光浦康子がレギュラーに抜擢されたが、大久保佳代子は
「笑えないブス」
という理由で外された。
「とぶくすり」のメインキャストとなったナインティナインは、「上方お笑い大賞」に再チャレンジ。
昨年は
「策を練って確実に1位を獲る」
といろいろとデータを収集し
・審査員は、お笑いのプロだけでなく、作家や評論家など文化人もいる
・客層は、年配者が多い。
・こういう審査員や客から笑いをとるにはコントではなく漫才
と分析。
誰もが知っている「昔話」を題材に、中高年世代にもわかるボケをちりばめた。
しかし結果は
大賞:桂ざこば
金賞:横山たかし・ひろし
銀賞:雨上がり決死隊
と入賞ならず。
「コントはダメ。
若い人向けの笑いはダメといった考えに囚われてしまった。
完全に自分の策に溺れてしまった」
と反省。
何より悔しかったのは
「雨上がり決死隊が受賞したこと」
だった。
「策に囚われすぎて失敗した」
という昨年の反省から、
「策は練ったらアカン」
ということを策に
「いろいろな恐怖症を持つ人がずっとおびえ続ける」
というネタで、とにかくボケを連発。
結果、
大賞:トミーズ、
金賞:吉本新喜劇
銀賞:ナインティナイン
大きなトロフィーをもらったが、その後、すぐに東京に向かわなければならず困っていると、吉本興業の中井秀範に
「俺が持って帰っといたろか?」
と笑顔でいわれ、岡村は
「えっ?、優しい」
と驚いた。
2年前、月謝未払いで3ヵ月でNSCを除籍処分になった後、2丁目劇場に出ていたとき、若手芸人を仕切っていた中井秀範に
「ああ、お前らか。
NSCの授業料払わんと出世払いとか生意気なこというとんのは。
消したるわ」
といわれ、実際に仕事を振ってもらえなかった。
以来、良い感情は持っていなかったが、これを機に和解。
その後、仕事だけでなく、パソコンやいろいろなものをもらった。
中井秀範だけでなく売れると対応がコロッと変える吉本社員や関係者がいて、岡村は
「そういうもんなんやなあ」
と思った。
その後も「手のひら返し」的なことは何度も経験した。
天然素材で1番人気があったのは、雨上がり決死隊とFUJIWARAHAで、ナインティナインは格下の存在だった。
しかし東京で仕事が増え、天然素材での活動量を減らすナインティナインに複雑な気持ちを持つメンバーもいた。
FUJIWARAは、
「ナイナイとその他メンバーには格差がある」
と感じていた。
あるとき天然素材にCMの話が来て喜んだが、
「フタあけたらナイナイがメイン」
だった。
元々ナインティナインに来たCMに、オマケ、オナサケ的に天然素材も出演することになったという経緯を知ると
「そんなんやったらいらんわ」
と思ったが、笑顔で仕事。
天然素材に雑誌の取材が来て、張り切って受けたが
「3ページぐらいナイナイやって、その他(のメンバー)は小っちゃく( 掲載されていた)」
ということもあった。
原西孝幸いわく
「それでも直接いえないビミョーな関係。
(ナイナイが)ちょっと距離置くから・・・」
藤本敏史も
「アイツら見下してる」
と思っていた。
あるとき飲みながら後輩と真剣な話をしている宮迫に対し、岡村はトイレから帰ってきたときに髪の毛をさわるというオチョクリを敢行。
1回目は
「やめろや」
で済んだものの、2回目にキレられ、「ゴリラのような」すごい力で倒され、馬乗りになられ
「殺される!」
と思った。
宮迫はなんとか思いとどまり、顔ではなく壁を殴った。
1993年12月25日のクリスマス、「ねるとん紅鯨団(べにくじらだん)」の芸能人大会、「ねるとん紅鮭団(べにしゃけだん)」に出演。
クジラもシャケも基本的に内容は同じで
「♪どうして どうして 僕たちは 出逢ってしまったのだろ~♪」
と松任谷由実の「リフレインが叫んでる」が流れる中、男性陣、女性陣が顔を合わせ、
自己紹介
貴さんチェック
フリータイム
告白タイム
という流れになる。
告白タイムは、男性が意中の女性の前にいって
「ホレました」
「付き合ってください」
「今度、一緒にドライブいってください」
などとコメントした後、右手を差し出す。
競合者がいれば、
「ちょっと待った!」
と声がかかってかけよっていく。
だから場合によっては複数の右手が女性に伸びる。
女性は気に入った男性がいれば、
「お友達から」
「お願いします」
などといいながら、その手を握る。
気に入らなければ
「ごめんなさい」
石橋貴明の
「大~どんでん返し」
が響く。
(「ねるとん紅鯨団」は、フジテレビで毎週土曜日23:00~23:30放送。
エンディングで成立したカップルのVTRで流れ、番組が終わると、続いて、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子が共演するコント番組「夢で逢えたら」が始まる。
この「夢で逢えたら」の後釜番組が、森脇健児、まだデビュー間もないSMAP、ナインティナインが共演する「夢がMORIMORI」だった)
ねるとん紅鮭団(べにしゃけだん)」の収録日、
「とにかく爪痕を残す」
と誓っていた岡村は、楽屋に挨拶にいき、中学時代からの憧れであるとんねるずと初対面。
「吉本興業、ナインティナインの岡村と申します。
よろしくお願いします」
とガチガチに緊張しながら挨拶。
2人から
「ヨロシクね」
といわれ、全身に電気が走るような衝撃を受け、改めて
「結果を残さなアカン」
と気合を入れた。
このとき
「ナインティナインなんて知らなかった」
という石橋貴明は
「ちゃんとしてる」
と思った。
富士急ハイランドで収録が始まると、自己紹介で体操選手の池谷幸雄がバク宙や開脚旋回をやって大盛り上がり。
岡村は
(ヤバイ)
と思いながら自分の順番を待った。
そして石橋貴明に
「岡村くん、小っちゃいね。
身長どのくらいあるの?」
と聞かれると、本当は156cmなのに
「160㎝です」
と数字の部分をゴニョゴニョ声で答え、矢部に
「誤魔化すなや」
とツッコまれた。
フリータイムでは、身長175㎝のバレーボール選手、益子直美と過ごし、スケート場で周りは女性が乗るソリに男性が押す中、益子に押してもらった。
そして告白タイムで益子に告白してフラれると
「ほなね」
といって去った後、
「なんでやー」
と絶叫。
第1回紅鮭団で柳沢慎吾が元・おニャン子クラブの内海和子に告白して玉砕した後、
「あばよ」
という捨てゼリフを吐いて大ブレイクしたが、岡村も
「ほなね」
で知名度を飛躍的に上げた。
クリスマスに紅鮭団に出た岡村は、正月には「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」に出演。
それはクイズとは名ばかりの芸人が体を張るバラエティー番組。
「溺死寸前!バス吊り下げアップダウンクイズ」では、バスが熱海の海に沈められたが、水が入って重くなったバスをクレーンが予定通りに吊り上げることができず、中にいる人間は水圧で窓が動かなくなり逃げることもできなかった。
少し長目に浸かった後、バスが引き上げられると、海面にイスが浮かび、アナウンサーは
「2人足りないよ」
といった。
そんな放送される度に多くのクレームと喝さいを浴びる番組に出演した岡村は、
「他にもいろいろ芸人さんおるし、(たけし)軍団さんもいはるし、俺みたいなもんが前に出て行っても仕方ない」
と萎縮してしまい、まったく何もできなかった。
「金粉ダジャレマラソン」は、ダジャレを1つもいえないまま、金粉を塗って皮膚呼吸ができないだけで終了。
「なんもできへんかった」
無力さを痛感しながらお風呂に入っていると、グーレート義太夫が背中を洗ってくれて
(ウワー、なんて優しい人なんや!)
と思った。
先輩、しかも他事務所の先輩だったので、あわてて
「すいません」
といって義太夫の背中を洗おうとしたが、義太夫は
「イヤイヤ、まずまず」
といって金粉がついた岡村の背中を洗い続けた。
そして「人間性クイズ」で岡村は、出川哲郎と初共演。
まずビートたけしが、出川哲郎に、
「先輩風を吹かせて、いつの間にかホモに持ち込め」
と指令。
出川が岡村に肉体関係を迫り、その一部始終を隠し撮りし、岡村の人間性をみようというドッキリ企画だった。
夜、宴会があって、ご飯を食べていた岡村は、
「電話です」
と呼ばれ、出てみると出川に
「俺の部屋で一緒に飲まない」
といわれた。
出川の部屋で浴衣姿の男が2人きりになると、、
「なに、飲む?」
という出川に
「僕、やります」
といってビールをあけてつぐ岡村。
「今日はどうだった?」
「緊張しました」
しばらく仕事の話が続いた後、出川は
「いい体してるな。
みせてみ」
といって岡村の浴衣を脱がし、その体をさわりながら接近。
最後は抱き寄せた。
「あのさ、俺が何でウルトラクイズに出れるか知ってるだろ?」
「いえ」
「タケちゃんにさ、かわいがってもらってるんだよ。
何いいたいかわかるだろ?」
そういって出川はバッグからムチを取り出し、ちゃぶ台をバシッと叩いた。
「怖いか?
なっ、利口になれよ。
お前、名前なんていうんだ?」
「たかしです」
「じゃあ、たかリンか」
出川はそういいながら浴衣を脱いで、ムチを畳に叩きつけた。
「なっ?
みんなこうやってきたんだよ」
そして息を荒げながら
「脱いで。
早く脱いで」
岡村が自分と同じパンツ1丁になると
「そうそうそうそう。
いいねえ」
といいながら、岡村にムチを渡し、四つん這いになった。
「これで叩いてください。
思い切り、いいよ」
岡村は、出川の背中を遠慮しながら緩くムチで打った。
「ダメ!
もっともっと思い切り。
遠慮しないで!」
岡村は少しだけ強めに打った。
「そう!
そんな感じ
もっともっと。
アッ!」
感じる出川に岡村は連打。
「哲リンって呼んで。
名前呼んで!
アッ!」
達した出川は
「今度はボクが叩いてあげる」
といってムチを奪い、嫌がる岡村をちゃぶ台に手を突かせ
「いくよっ」
といって岡村の背中にハードにムチを振り下ろした。
「痛っ!」
と体をよじる岡村に、出川は
「どう?
どう、たかリン?」
と笑いながら2発目。
「痛いいうてるやろ」
怒って立ち上がろうとする岡村の背中に、さらに3発目。
「痛いいうとんねん。
お前、コラッ!」
岡村はキレ、出川に向かっていった。
「痛いいうとんねん、さっきから」
「たかリン」
「たかリンやないやろ!」
「違う、違う」
「違うやないやろ!」
「あー待って待って!
先輩だから!
先輩のいうこと聞いてた方が絶対にいいと思う」
ビビる出川に、岡村は、その顔面の横の壁を殴った。
「興奮しないで!」
懇願する出川から岡村はムチを奪い、畳には這わせ、
「叩いてほしいんかい。
オオ?」
といいながら、その背中をスーパーハードに連打。
「痛い!」
首に血管を浮かせながら痛がり、逃げる出川を、岡村は容赦なく連打。
出川はバッグの中から少し短めのムチを取り出して、応戦。
旅館の部屋でパンツ1丁の男が2人、ムチでシバキ合う中、ビートたけしらが入っていってネタばらし。
実は岡村はすべてを知っていて、逆ドッキリだったことが明かされると、出川は、畳に崩れ落ち、ビートたけしはハリセンでその頭をハタいた。
撮影が終わった後、岡村が謝りにいくと、出川は全身ミミズ腫れになっていた。
「なんかスタッフの人に呼ばれて、「人間性(クイズ)やるから」いわれて「エエッ、俺ッスか」みたいな。
そっから打ち合わせして出川さんドッキリやみたいになって。
もう失敗できへんから出川さんをムチで叩かなあかんのやけど、失敗できへんから。
みんながモニターで観てるのはわかってるけどウケてるっていうのもわからへんから。
ボッコボコしばきあいして、俺、加減もわからへんし。
こんな大舞台で失敗したアカンとビッシビシしばいて」
「ねるとん紅鯨団」と「お笑いウルトラクイズ」が年末と年始に立て続けに放送された後、岡村が買い物で大阪の街を普通に歩いて買い物していると、後ろに100人くらい人がついてきた。
この2つの番組がきっかけになり、一気に仕事が増え、ナイティンナインは、そのチャンスをモノにし、全国区のスターとなっていった。
この2つの番組がなかったら、ブレイクが何年遅れたかわからない。
まさに快挙だった。
しかし一方で、「大阪で天下とってから東京へ」という従来の手順を踏まずに東京で大暴れするナインティナインを、妬む芸人や色眼鏡でみるお笑いファンもいて、岡村の心を屈折させた。
1994年2月8日、「お笑いウルトラクイズ」から1ヵ月後、「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングに初出演。
岡村は出演が決まるとすぐに
「花くれ作戦」
を敢行。
テレフォンショッキングでは、ゲストの出演を祝うため贈られた花がステージ上に飾られ、紹介されるが、ナインティナインと共演したことがある芸人やタレントに片っぱしから電話をかけて花を贈ってほしいと頼んだ。
当日、スタジオに入りきれないほどの花が届いた。
収録前、岡村は楽屋に挨拶にいった。
するとタモリがナインティナインの出ている雑誌を読んでいて、掲載されている写真を指しながら、笑顔で
「出てるねえ~」
そういわれてうれしいのと同時にゲストの情報を入れて事前準備していることに驚いた。
岡村は、
「なにも用意しないのがフリートークや」
「ネタ合わせも、打ち合わせもナシで面白いことをするのが芸人」
といってネタ帳はつけていなかった。
つけるようになったのは、2014年に矢部が結婚し、ラジオ「オールナイトニッポン」を1人で回さなくてはならなくなってからだった。
1994年4月、毎日放送、毎週火曜日22~23時まで「ジャングルTV~タモリの法則」が放送開始。
タモリと岡村のケンカを含めたカラミ、関根の恐れを知らないマニアックなモノマネ&ギャグ、ドSな矢部によるソフトな仕切りとツッコミと絶妙なメンバリング。
ゲスト出演した和田アキ子は、
・耳が弱点
・耳に息を吹きかけたら最後までやらなければいけない
・しかし最後までやるには大型二種の免許がいる。
・タモリとアッコのHビデオのタイトルは「アッコにおまかせ」で「いいとも」しかいってはいけない
などとイジられた。
同時期、
・東京での仕事が増えたことを理由にナインティナインの天然素材から脱退すること
・日本テレビで深夜に放送されていた「吉本印天然素材」が終了すること
が決まった。
「吉本印天然素材」が終わった後、「ぐるぐるナインティナイン(通称:ぐるナイ)」」が始めることが決まっていた。
岡村と矢部は、それを黙っていた。
そして「吉本印天然素材」の最終回を、スタッフやメンバーと一緒に観ていたとき、
「次週からは「ぐるぐるナインティナイン」が始まります」
と告知が流れた。
その瞬間、楽屋の空気が凍りつき、メンバーに
「あり得ん」
「腸が煮えくり返った」
と怒られた。
天然素材卒業後、初のゴールデン冠番組「ぐるぐるナインティナイン」、そして深夜ラジオ「ナインティナインのオールナイトニッポン」が開始。
頻繁に東京と大阪を往復していた岡村は、ある日、新幹線で谷口秀一に遭遇した。
「アッて思ったけど、そこもなんか会釈してっていうのも変やなって思ったし、そこから大阪-東京間ずっと(存在を)感じながらもイヤやなぁって思って「ちょっと、いいですか」っていうて座って喋ってん」
「どうですか?天然素材」
岡村が聞くと谷口秀一は
「いや、天然素材は天然素材でちゃんとやってるよ。
凄くいい感じに仕上がってきてる」
谷口秀一に対し心がネジ曲がっている岡村は
(俺らが抜けたからやりやすくなったいうことか)
と思いながら、
「どうですか?、ナインティナイン。
天然素材を飛び出して自分らでやらなアカンようになってるんですけど」
とアドバイスを求めると
「これから厳しいと思うよ。
足元すくわれると思う」
といわれ、憤った。
その後の天然素材の動向をまとめると、ナインティナインから脱退して2年後の1996年、雨上がり決死隊も脱退した。
宮迫は、
「新宿のホテル泊まっていて、飲みに行って夜中に帰ってきたら、パジャマ姿の蛍原さんが、ガニ股になって、「イエイ、イエイ」って、ずっと得体の知れないダンスをしてるんです。
10分ぐらいずっと踊ってて。
怖なってきて。
声をかけようかなって思ったら、「よしっ!」ていって部屋戻っていった。
このままやと、この人ダメになる。
もう追い込まれてて。
ネタやコントをやりたいのにダンスで10時間とか練習させられてたからおかしなってた」
と話しているが、脱退後、雨上がり決死隊は東京で活動したが、やがて東海地区のテレビ番組へ出演が増えていき、
「どん底の生活」
を送ったという。
ナインティナインが脱退してから5年後の1999年、天然素材が8年間の活動に終止符を打った。
ユニットの解散後、FUJIWARA、バッファロー吾郎、ヘビイチゴは、関西に戻って活動。
チュパチャップスは、コンビまで解消してピンとなった。
また谷口秀一が引退したとき、天然素材は東京で食事会を開き、大阪からかけつけるメンバーもいたが、ナインティナインだけ呼ばれなかった。
それを知って
「ショックを受けた」
という岡村に対し、FUJIWARAの原西は
「思い入れが違う」
藤本は
「正直、来たところでって感じやけど」
といった。
東京で仕事が増えたナインティナインに、ダウンタウンの番組の前説の仕事が入った。
岡村は
「前説ってなんやねん」
と思ったが、まだマネージャーもついておらず
「向こうで教えてもらおう」
ということにして新幹線で大阪駅から東京駅に移動し、すぐにタクシーに飛び乗った。
「緑山スタジオまで」
「結構遠いよ?」
運転手にいわれたが、電車やバスなど無理なので、とりあえず出発。
見事、渋滞にハマって、スタジオに着いたとき、すでに入り時間を大幅に過ぎていた。
玄関で待っていたスタッフに
「急いでください」
と叫ばれ、打ち合わせもないまま、
「ほとんどヤケクソ」
でステージへ。
本来、前説は、拍手の練習、収録中の禁止事項やルールを客に伝えなければいけないが、そういったことをまったく知らない上、ネタもスベりまくり、温めるべき空気の冷やして舞台を降りた。
1994年10月、「FNS番組対抗!なるほど!ザ・秋の祭典スペシャル」に出演。
フジテレビ系列の人気番組、新番組の出演者が集まってクイズを競うという特番で、司会は、愛川欽也と楠田枝里子。
岡村は、山田邦子、今田耕司と一緒に「学校では教えてくれないこと」チームとして出場し、
「後ろの方、ギリギリ映るくらいの席」
に座った。
SMAP、鈴木杏樹、深津絵里、篠ひろ子、内田有紀、ともさかりえ、西城秀樹、田代まさし、辰巳拓郎、麻木久仁子、唐沢寿明、岸谷五朗、鶴田真由、森口博子、山口智子、柳葉敏郎、松下由樹、仲村トオル、水野真紀ら有名タレント。
そして桂三枝、タモリ、鶴瓶、明石家さんま、とんねるず、ダウンタウンなどお笑いの大御所もいた。
「1発かまさなアカン」
「目立たなアカン」
と思いながら、豪華メンバーに萎縮してしまい、「あっぱれさんま大先生」チームが自己紹介しているときに
「岡村です!」
と叫び、さんまにツッコまれるなど頑張るシーンもみせたが、基本的には何もできないまま番組収録が進んでいった。
早押しクイズが始まったとき、
「ボーっと立っとっても来た意味がない」
と思い立った岡村は、回答もプランも持っていなかったが、ボタン目掛け、ダッシュ。
走っていく途中で楠田枝里子にブツかって転倒させてしまった。
今田耕司が、すぐに飛び出して、岡村を投げ、、
「ウチの後輩がスンマセン!
お前、謝れ!」
スタジオに笑いが起きた。
岡村は
「これは自分の手柄ではないが、もし前に出ようと走らなかったらハプニングは起きなかった」
と分析。
そして
「たとえバット(ボケ)は持っていなくてもバッターボックスに立つことが重要」
という大きな発見をした。