その後、海外武者修行のために渡米し、杉山さんは「トーキョー・ジョー」のリングネームでヒールとし活躍されています。
ザ・シークが主宰していたNWAデトロイト地区では、来日前のアブドーラ・ザ・ブッチャー(グレート・アマラ)ともコンビを組んでいました。
TWWA世界タッグ王座・IWA世界タッグ王座
帰国後の1968年2月14日、豊登選手のパートナーとなってファビュラス・カンガルーズ(アル・コステロ&ドン・ケント)を破り、TWWA世界タッグ王座を獲得。
1970年2月3日にはグレート草津さんとのコンビでモンスター・ロシモフ&マイケル・ネイダーからIWA世界タッグ王座を奪取。
IWA世界ヘビー級王座
杉山さん1970年5月19日には、リングアウト勝ちながら人間風車ビル・ロビンソンを破り、日本人として初めてIWA世界ヘビー級王座にも輝き第2代王者となっています。
全日本プロレス
1972年9月20日には、全日本プロレスに移籍され、入団直後杉山さんは、ジャンボ鶴田さん可愛がり食事に頻繁に行ったと言います。
しかし、扱いを巡って社長のジャイアント馬場さんと揉めて1976年3月末付で離脱、フリー宣言されました。
新日本プロレス
1978年にはヒロ・マツダさんを総帥とする「狼軍団」の一員として新日本プロレスにも参戦し、プレ日本選手権に出場されていました。
杉山さんフリー宣言後は『おはよう!こどもショー』にサンダーおじさんとして出演するなどタレント活動を始められ、名古屋で「サンダー杉山コーポレーション」(のちの「サンダー杉山ベンディングサービス」)を創立し、飲食業や自動販売機設置などの経営者として実業界でも大成功されています。
また全日本プロレスは名古屋興行の際に選手の宿舎として杉山さん経営のホテルを利用していた時期もあったとか・・・。