遠征したアメリカでは中西部のカンザスおよびミズーリを拠点とするNWAセントラル・ステーツ地区を主戦場に、後に日本で流血の抗争を展開することになるキラー・トーア・カマタとタッグを組み、ロニー・エチソン、モンゴリアン・ストンパー、アーニー・ラッド、KO・コックス、ボブ・ガイゲルなどと対戦されています。
また当時は覆面を被り、シャチ横内選手とジ・インベーダーズ(The Invaders)なるタッグチームを結成していたこともありました。
1970年8月に凱旋帰国したラッシャーさん10月8日には大阪府立体育館にてドクター・デス選手を相手に、日本初の金網デスマッチを行っています。
「金網の鬼」
日本で初めて金網デスマッチを行ったのは、ラッシャーさんだったんですよ💦
で、その後も数々の選手と金網デスマッチを行い金網デスマッチでは不敗を誇り、「金網の鬼」の異名しています。
交流戦
アントニオ猪木戦
国際プロレスが消滅する1981年夏までエースとして活躍したラッシャーさん1975年6月6日にはアントニオ猪木さんに挑戦状を突きつけ、同年12月20日にはジャイアント馬場さんにも挑戦を表明され、全日本プロレスとの交流戦では馬場さんやジャンボ鶴田さんと対戦されています。
新日本プロレス参戦
1981年10月には、国際の解散に伴い、アニマル浜口さん、寺西勇さんと共に新日本プロレスに参戦し、アントニオ猪木さんとの抗争を開始されていました。
当初は国際プロレスの残党メンバーは新日本対旧国際の団体対抗戦が行われるはずだったが、新日本の手法に反感を持っていたマイティ井上選手らが全日本プロレスへの移籍を選択した為、最終的に新日本に登場した選手はラッシャーさん、アニマルさん、寺西さんの3人だけとなっています。
こんばんは事件
この出来事が「マイクの鬼」と呼ばれ、マイク・パフォーマンスが代名詞となるきっかけになっています。
また、当時この事があまりにもおかしかったため、ビートたけしが「こんばんは、ラッシャー木村です」とネタにしたこともありました。
悪役ユニット
新日本プロレス時代は人気絶頂の猪木さんに対する悪役ユニット「国際軍団」のリーダーとしてヒールを演じていました。